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ミラノダービーも欠場。本田圭佑は終わったのか?中田英寿も超えるエゴイズム

小宮良之スポーツライター・小説家
代表戦後の本田圭佑(写真:Motoo Naka/アフロ)

2006年夏、ドイツワールドカップでジーコに率いられた日本代表が惨敗を喫した後だった。筆者は「中田英寿の後継者」というスポーツ雑誌の特集企画で、真っ先に彼に会うことを選んだ。当時、彼は所属する名古屋グランパスでも準レギュラーで、高い評価を受けていなかったが、周囲を圧倒するセンスと熱量を持っていた。

―自分が変わる瞬間が来るとすれば?

そう水を向けると、彼はほとんど間を置かずに答えた。

「でかい大会でしょうね。人間には節目があると思うし、それで流れを引き寄せれば俺はもう止まらないんじゃないかな、と思う。突き進んでいく、というか。もちろん、人間ずっと突き進めるもんじゃないし、そんなの虫が良すぎるけど、だからこそ節目はあるんだと思う。まあ、世界のすごい選手は俺みたいにユースで落とされるということはないと思うけど」

振り返って、まったく変わらない、と思う一方、まだ自虐的でかわいげのあるところもあって、そういう部分はそぎ落とされていったのだろう。

彼はその言葉通りに生きてきた。

北京五輪には出たが、鼻をへし折られている。2部に落ちたオランダのクラブでMVPとなって飛躍する機会をつかむ。挫折と成功の繰り返しだった。その境目では、常に疑問視され、批判を受けた。2010年W杯では日本代表をベスト16に導く立役者となり、エースとしての地位を手にしている。

そして、彼のキャリアには再びブレーキがかかった。それだけのことだろう。

まだ、本田圭佑は終わっていない。

現状、本田はハリルJAPANに必要である

「本田叩き」

国内では、そんな風潮が渦巻いている。いつからそんな風が吹き始めたのか。今シーズン、本田が所属するACミランで出場機会を失ったことが大きいだろう。今年に入ってからの出場は1試合、それも5分に満たない。

「なぜ、試合に出てもいない本田を選ぶ? 出てる選手は他にいるのに。不公平だ!」

そんな声が一気に熱を帯びるようになった。世論は当初、代表監督のヴァイッド・ハリルホジッチへ怒っていたわけだが、その矛先はやがて「試合にも出ていないのに選ばれる本田」に向いた。

「実業家気取りも気にくわない」と批判には色が付いた。

本田はオーストリアのクラブを買収し、国内でもメディアを作り、アカデミーも運営するなど、様々なビジネスに手を出している。そうした行動も、格好の批判の的になった。「本業もできていないのに」。嫉妬心も混ざった反発を買ったのだ。

プレーも精彩を欠いている部分はある。かつて見せたようなボールキープ力は影を潜めている。決定機で空振りするなど、神懸かっていた得点力も失った。直接フリーキックも入る気配はない。

しかしながら、代表でのプレーレベルは批判されるほど落ちたのか?

「本田はゴールへの意欲を感じさせ、戦術的にも欠かせない選手だろう」

スペインの名門レアル・ソシエダで強化部長などを歴任したミケル・エチャリは言うが、プロフェッショナルの中立的意見は貴重である。

「昨年10月のオーストラリア戦、本田は1トップとして戦術的に完璧に働いていた。サウジアラビア戦は交代で出場し、長友佑都との連係で決勝点をアシスト。パス交換のタメはトップレベルだった。UAE、タイ戦と交代出場だが、即座に適応を見せている。UAE戦はカウンターとポゼッションをもたらしていた。タイ戦も、終盤に山口のヘディングパスをダイレクトで裏に入れ、リターンからゴールを狙うポジションをとるなど、ここだけ切り取ってもセンスは出色だ」

本田のプレーを、エチャリ以外にもスペイン人の目利き数人に見てもらった。低い評価を下した人は1人もいない。前代表監督のハビエル・アギーレも「代表から外す理由がない」と証言している。

直近のタイ戦、本田は左サイドで深みを作り、ポゼッションをもたらしていた。交代出場後、ボールが落ち着いたのは明らかだろう。タイの集中力が落ちたのもあったが、とどめになっていた。日本では数少ない左利きである本田は、左足で際どいシュートを放ち、左足クロスから惜しいシュートも演出。結局、それがゴールネットを揺らしていないのは、「試合勘が足りない」と結びつけられるのだろうが――。

しかし久保裕也も、原口元気も、タイ戦で90分間を戦う力はなかった。後半の半ば、明らかに動きは落ちていた。"スペア"が必要なのは間違いない。

その点、実績を残してきた本田は最高の手持ちカードになっている。

ハリルJAPANのサイドFWは、「ストライカー色が強く、走力に長ける」という二点が起用条件になっている。求められるのは崩し役ではない。ボールを呼び込み、ゴールに迫れるか。同時に、守備の最前線として機能する必要がある。強度の強い守備で後方も支援しながら、さらにカウンターも牽引する。凄まじい消耗を余儀なくされる。90分は持たないだろう。

「本田は私のチームの最多得点者である」

ハリルホジッチは言うが、その有用性を確信している。代表監督にとって、「選んだときのプレー」が選考基準。本田は麾下選手としてその条件を満たしてきたのだろう。

本田のエゴイズム

一方、本田は渦巻く批判に左右されることはない。ずっと前から、本田は本田でしかなかった。彼は自分のことしか信じない。ACミランへの移籍を決断する際、「リトル本田に問いかけた」という表現をし、面白おかしく扱われたが、自身は真剣だった。なぜなら、そうやってサッカー選手としての自分を正当化して生きてきたからだ。

ガンバ大阪ジュニアユース時代、本田は「ボールを持ったら勝負。ギャラリーを楽しませたる」と目論む少年だった。「俺、やれてるわ」と腹の底から湧き上がる自信があったという。ところが、ユースにも昇格できなかった。

「おまえら、どんな恥ずかしい思いをさせてくれるんや」

それは怒りの感情に近かった。その日から、彼は自らを強靱に鍛えてきた。他人の評価を許さないほどに。

強烈なエゴイズムが生まれた。

―サッカー人生において、我を貫いた中田英寿についてどう思う?

そう訊ねたとき、彼は笑みを浮かべて答えている。

「エゴイストで、日本では珍しい選手だった。プロは自分がどれだけやるかで評価される。だからエゴは出すべきで、もちろん失敗したら自分に返ってきますけど、そんなこと恐れていたら始まらない。中田という選手はそうやってきたからこそ、あそこまで辿り着けたんじゃないかと。これから先、ああいった選手を見習って、追いつき追いこせでいかなければならないと思う。彼のような選手が何人も出てきて始めて、世界と渡り合えるから」

本田は何も変わっていない。自らの信念で己の肉体を旋回させる。果てるまで、本田なのだろう。

4月15日、ミラノダービーもベンチ入りしたものの、欠場している。

今、彼は一つの節目にいる

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

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