【富士宮市】境内からは内房を一望できる 落合の山腹に位置する『本光寺』と『龍興寺』
本日からお盆ですね。
お盆とは御先祖様の供養のための風習で、現在は夏の風物詩ともなっています。
盆入りの本日13日は、お墓参りに行かれた方も多いと思います。
お墓参りに持参するのは、線香、お花、掃除用具、水、故人が好きだった飲み物などの他に、塔婆ですよね。
この塔婆はご存じの通り、お盆やお彼岸が近くなるとスーパーやコンビニなどで販売されます。
お墓参りの時に、お参りに来ましたよ、という意味も込めて名前と日にちを記入して、お墓に供えて来るもの。
全国共通の風習だと思っていましたが、塔婆を供えるのは、県内東部の限られた地域の風習なのだそうです。
持ち物を確認したら、御先祖様の眠るお墓参りへ出発です。
内房落合にある『本光寺』は、1592年羽鮒にある吉祥寺5世『大宝律師日泉』によって相沼に創建しました。
1832年類焼し、その後山崩れと立て続けの厄に合い、翌年により現在地へ移転しました。
現在の本堂は昭和31年に建て替えられたものです。
道幅はとても狭く、車一台がやっと通れるくらいですが、以前はもっと狭かったのでしょう。
参道拡幅畑地奉納の記念碑があり、昭和54年と刻まれていました。
そしてその地続きと言えるような場所に『龍興寺』があります。
『龍興寺』は、1608年『清見寺』4世の『説心禅師』が隠居寺として開山したと言われています。
興津の『清見寺』は、奈良時代に創建された東海道屈指の名刹です。
今川家の人質として幼少時代を駿府で過ごした徳川家康は、『清見寺』の住職でもあった雪斎禅師に教えを受けた言われています。
そして開山した『説心禅師』は御本尊を安置する厨子と聖観音菩薩を持参したと言われています。
現在、室町時代から江戸時代のものと推定されている厨子は、富士宮市の文化財に指定されています。
本尊は『説心禅師』が持参したと言われている聖観音菩薩ではなく、如意輪観音像が納められています。
山を切り開いたかのように鎮座する『龍興寺』の境内。
坂の上から百日紅の花が本堂前を飾り姿は、迫り来るような迫力さえ感じました。
『本光寺』と『龍興寺』の間に、竹林の合間を縫う獣道のような道がありました。
ところどころには人の手が加えられたコンクリートの階段だったり、石を積んだ階段になっていたりする道を興味本位で辿って行くと、その先には小さな神社が鎮座していました。
神社には鳥居もないため、なんという社名を持つ神社なのかすら分かりませんでした。
『本光寺』建設後の神仏分離により、この場所に移動されたのではないかと推測できる、まるで隠し守られて来たかのような神社。
神殿には奉納された汚れも破けもない綺麗な紙垂が風になびいていました。
田園風景と、竹林が多いのどかな内房地区。
普段は穏やかな稲瀬川や巡沢川は、大雨の際には氾濫し度々周辺集落に被害を及ぼしたそうで、50年ほど前には昨年新しく完成した尾崎バイパスの辺りまで河水が来たこともあったと聞きました。
この場所だけでなく、内房の至る場所に小さな神社が点在するのは、五穀豊穣を願うとともに、こうした厄除けのために古くから地元の方々に祀られてきているからなのかもしれません。
内房全域を見渡せる場所に立ち、自分の先祖だけではなく豊かなこの地区を守り繋げてくれた先人に感謝をして、額から流れ落ちる汗を拭い、手を合わせました。
龍興寺:富士宮市内房3720-1
本光寺:富士宮市内房3816