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中国全人代 首相会見中止は「経済問題で突っ込まれたくないから」とか「閉鎖性が加速」という解説は的外れ

富坂聰拓殖大学海外事情研究所教授
(写真:ロイター/アフロ)

 李強首相の会見はもう行わない――。

 全国人民代表大会(全人代)が始まる直前、こんなニュースが流れてきてメディアをざわつかせた。

 最終日の会見を楽しみにしていた外国メディアは少なくない。また1年に1度、会議の最終日に首相が内外の記者たちと長時間向き合い話をすることで、親しみを覚えた読者・視聴者も多かったに違いない。何より、全人代を通じて、一つの大きな「華」が失われたことは間違いない。その意味では残念であり、外国メディアを中心に、不満と憶測が飛び交ったのも無理からぬところだ。

 だがその一方、会見中止をとらえて「不振が続く経済問題で記者たちから突っ込まれたくなかった」とか、「習近平政権の閉鎖性が加速した」といった解説がメディアにあふれたことには違和感を覚えた。

首相会見は記者が切り込む場ではなかった

 まず「経済問題を突っ込まれたくなかった」という受け止め方についてだ。この見方に賛同しかねるのは、大前提として首相会見は以前から突っ込む場所ではなかったからだ。記者たちが首相に鋭く切り込む場面など、思い浮かばない。

 会見は原則、事前に質問を提出し、当てられる記者もほぼ決まっている。だからこそ「形式的な会見」と、多くの記者が揶揄してきたのではなかったのか。

 そもそも自国の首相を針の筵に座らせるような場所を中国の役人がセットするはずもないのだから当然だろう。

 さらに「閉鎖性が加速した」という指摘についても的外れと言わざるを得ない。

 なぜなら単に提供される情報量だけを比べれば、むしろその濃度は増していると考えられるからだ。

会見の濃度はむしろ増している

 確かに、首相会見という大きなセレモニーはなくなったが、その代わりとして会期中、大きな記者会見が3度も行われた。また、各部門の担当者にはオンラインでの取材申請も可能になっている。

 さらに中国が誇らしげに宣伝したのが「通道」である。日本でいう「囲み取材」に似たスタイルだが、議場への出入りの際に記者と向き合い、直接話しかけられる場を設け、整備しているのだ。

 通道は応じる相手の身分に合わせ「代表通道」、「委員通道」、「部長(大臣)通道」と分かれていて、すでにそのやり取りも活発に報じられている。

 日本の国会答弁を見ていても分かるように、細かい話になればなるほど、トップは官僚や部下、専門家に頼らざるを得なくなる。答弁に立つ前に官僚から耳打ちされる首相の姿はテレビの国会中継ではお馴染みだ。

問われるのは記者の力量

 中国の首相とて、個別の問題を隅々まで把握しているわけではない。守備範囲が膨大だからだが、そうした事情を考慮すれば、多種多様な質問に長時間、一人で対応してきた首相会見は、なかなかの見せ場だったともいえる。

 しかし、内容はどうしても広く浅い話になりがちだったので、本当に知りたい個別の問題があり、記者にも力量があれば、首相会見で質問するよりも、むしろ各問題に通じた代表や委員、もしくは大臣に直接訊いた方が深い理解につながるはずなのだ。

 つまり首相会見をなくすダメージは、全人代から「華」が一つ失われることや、「マーケットに対するメッセージ性の欠如」といった批判としては当てはまるかもしれないが、中国の「閉鎖性が加速」したと解釈できるものではないのだ。

 いずれにせよ全人代といえば、経済成長の目標値(今年は5%前後)の実現の可能性に疑問符を投げかけ、国防費の増加率(前年比7・2%増)を取上げて「軍拡に懸念」と書き、台湾問題で強硬姿勢を崩さないと、毎回同じことしか伝えないのであれば、首相会見があってもなくても同じではないだろうか。

拓殖大学海外事情研究所教授

1964年愛知県生まれ。北京大学中文系中退後、『週刊ポスト』記者、『週刊文春』記者を経て独立。ジャーナリストとして紙誌への寄稿、著作を発表。2014年より拓殖大学教授。

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