高橋/松友、リオの前哨戦・全英オープンで初V!
高橋礼華が「中国の実質1、2、3番手に勝てたのが大きい」といえば、松友美佐紀は「みんなが勝ちに来ている大会」。そう、伝統と格式を誇り、テニスでいえばウィンブルドンにも相当するのが全英オープンだ。そこで高橋/松友は、優勝という大快挙を成し遂げたのだ。日本女子としては38年ぶりだが、徳田敦子/高田幹子が優勝した1978年といえば、中国勢が国際舞台に出ていない。それが今回は、準々決勝以降強力な中国ペアに3連勝してのVだから、その価値はひときわだ。
高校時代から取材してきた2人だから、なかなか感慨深いものがある。
ペアを組んだのは、高橋が聖ウルスラ学院(現聖ウルスラ学院英智)高2年の07年だ。松友は1学年下だが、「組んですぐに、しっくりきた」と高橋はいう。最初は、チーム内ですらなかなか勝てなかったが、おもにシングルスに力を入れていた松友がダブルスに慣れると、すぐに力をつけた。08年の選抜、インターハイで優勝し、全日本総合でもあのオグシオに善戦してベスト4……。
松友がシングルスを選択していたら……
高橋は09年、松友は10年、日本ユニシスに入社する。その時点で松友は、単複どちらも兼ねていたため、高橋は「もし松友がシングルスに専念したいなら、自分は別のパートナーと組めばいい」と思っていたという。ただ社会人2年目で松友は「さすがに、国際大会に出ながら単複はきつい」とダブルスを選択。もし、もしである。ここで松友がシングルスを選んでいたら、今回の快挙はありえなかったわけだ。
11年の全日本総合で優勝し、日本一になったが、ロンドン五輪には間に合わなかった。大飛躍は、14年だ。グレードの高いスーパーシリーズ(SS)で初優勝を飾ると、年間12試合のSSの上位だけが集まるSSファイナルで日本勢初優勝を飾るのだ。高橋は振り返る。
「自分では、この年のユーバー杯(女子国別団体対抗戦)が一番自信になりましたね。チームは銀メダルでしたが、第1複という大役を任され、各国のナンバーワンと当たって全勝できたのが、その後のヨネックスオープン・ジャパン(YOJ)優勝にもつながったと思う。それまでSSの決勝では、意識しすぎて自分たちの力を出し切ることが少なかったんです。それがYOJやSSFでは、リラックスして戦えた」
そして15年はインドOPで優勝するほか、SS準優勝が2回と、一時は世界ランキング1位をキープ。今季も、マレーシアオープンを優勝するなど好調を維持してきた。成長の要因は? と問うと、高橋はこういう。
「自分たちは、松友が前で私が後ろというのが一番いいかたちなんですが、以前より自分の前衛がすごくよくなったと思いますね。これまでだったら、ためらって手を出していなかったタマにも、ミスしてもいいから積極的に行けるようになった。私が前にいてもなんとかなる、というバリエーションは増えました」
松友はこうだ。
「もともと後ろ(=後衛)は、(高橋)先輩に任せていれば安心でした。私より一発の決定力がありますから、先輩が後ろで打っていったほうがもちろんいい。だけどいまは、私が後ろにいて、それほど決定力はなくても、前衛のチャンスになるようなタマをつくれば、先輩が飛びついて決めてくれます」
また、レシーブ力の向上もあげられる。若いころは、高橋が攻められ、ガマンできずにミス……というパターンが多かったが、それが目立たなくなったのだ。
「確かに、いろんな人に"ミスが減ったね"といわれます。自分は安定型のプレーヤーで、飛び抜けたところがあるわけじゃなくて、パワーも技術も平均。だからダブルスのコート上では、4人のうち自分が一番ミスを少なくしようと考えています」
メジャー標準ゆえに……
意外なのは、国内の試合で苦戦することだ。たとえば14年の全日本総合は、ベスト4と不覚を取った。「海外選手のタマに慣れていると、日本選手のスマッシュはスピードも重さも違い、レシーブの感覚が狂う」(高橋)のも理由のひとつ。確かに、海外での試合が野球でいうメジャーだとするなら、日本の投手と対戦したときは、誤差をアジャストするのに時間がかかるだろう。
そこで昨年末の全日本総合では、あえて世界標準で戦った。
「たとえば、中国勢と戦うとラリーが速いんです。国内で、レシーブ型のペアとやると100本以上ラリーが続くこともありますが、対中国では、少しでも甘いタマを出すとパシッと叩かれる。だから、"それに対抗するには、こっちも先手先手で行こう"と松友とよく話しています。国内でも、それをやってみました」(高橋)
さらに前衛での決めダマを増やすこと、レシーブで下がらないことがテーマ。これらは、翌週に開催されるSSFをにらんでの戦略でもあったのだが、いわばメジャーのバドミントンを貫きながら、全日本総合の女王に返り咲いている。そして全英オープンで、今季SS2勝目……リオ五輪の出場はもはや確定的で、それどころか難敵の中国勢も最大2組しか出てこないのだから、金メダルの有力候補だ。
「オリンピック……もともと子どものころからの夢でしたが、子どもですから漠然としたものですよね。それが高校時代、北京五輪でスエマエ(末綱聡子/前田美順)さんたちの活躍をテレビで見て本当に感動し、"うわぁ、こんなところに出てみたいな"と。ただやっぱり高校生ですから、そこまでの力もないし、オリンピックと口にするのはおこがましいレベルでした」(高橋)
「10年から代表として海外に出ても、最初のころのSSは、ずっと1回戦負けばっかりです。水曜に負けて試合が終われば、あとは日曜の大会終了まで練習するしかなく、"ヨーロッパまで何をしにきたんだろう"という日々(笑)。ロンドン前の11年2月ごろの世界ランキングでは、スエマエさん、フジカキ(藤井瑞希/垣岩令佳)さん、松尾(静香/内藤真実)さんらが上にいて、日本で五番目です。だからオリンピックに出たいとは思っても、上位のナショナル3組に比べたら、あまり現実感がなかったんですよね」(松友)
そのロンドン五輪では、フジカキが日本で初めての銀メダルを獲得した。すごい、と思ってそれを見ながら、2人は半面、悔しさもあった。フジカキには、勝ったり負けたりできるレベルになっていたからだ。
「次は自分たちが、と意識がすごく変わったと思います」
2人のいう"次"が、やがて現実になる。