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安倍談話に誤魔化されない。ひとりひとりみんなの戦後70年メッセージと思い

伊藤和子弁護士、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ副理事長

■ 玉虫色の安倍談話

あれほど暑かった夏もすっかり涼しくなり、8月ももう終わり。

この夏は戦後70年として、とても重要な意味のある夏なのだが、そんなさなかに出された「安倍談話」は、遠慮がちに言っても、玉虫色・・・というところではないだろうか。

結局首相の言いたいことは封印され、日本がきちんと述べるべき戦争責任への言及は不明確。

「植民地支配」「侵略」「反省」「お詫び」も、まるで「季語」「お題」みたいに、挿入する必要があるものの、その影響力を最低限に保つぎりぎりのラインでかろうじて絶妙に入れ込むという、作成に関与した人々の神経ギリギリの調整があったのであろうが、何のために出したのかさっぱりわからない談話であった。

これに対し、反応は様々だが、直後の朝日新聞は、いつになく厳しかった。

戦後70年の安倍談話―何のために出したのか

侵略や植民地支配。反省とおわび。安倍談話には確かに、国際的にも注目されたいくつかのキーワードは盛り込まれた。

しかし、日本が侵略し、植民地支配をしたという主語はぼかされた。反省やおわびは歴代内閣が表明したとして間接的に触れられた。

談話全体を通じて感じられるのは、自らや支持者の歴史観と、事実の重みとの折り合いに苦心した妥協の産物であるということだ。

閣議決定をしようがしまいが、首相の談話が「個人的な談話」で済むはずがない。日本国民の総意を踏まえた歴史認識だと国際社会で受け取られることは避けられない。それを私物化しようとした迷走の果てに、侵略の責任も、おわびの意思もあいまいな談話を出す体たらくである。

日刊ゲンダイでは、

いろんなことに気を使い過ぎて、文章のテクニックに走った結果、メッセージがぼけてしまいました」(政治ジャーナリスト・鈴木哲夫氏)

とのコメントが取り上げられている。このほか、立ち入れないが現在に至るもいろんな論評がされている。

しかし、「日本国民の総意を踏まえた歴史認識」というなら、国民的議論があってもしかるべきだったのに、国民にはほとんど相談なく、ぽんと出され、かつ玉虫色の談話。

多くの人が、誤魔化されたような、中には、踏みにじられたような気分でいるだろう。

今回の談話は、特に戦争責任や侵略行為の責任についても、そして、日本がその責任主体であることについても、その日本の首相である安倍首相が正面から自分の言葉で認め、反省の意志を示すということがなかった。極めて奇異であり、重大な問題であると思う。

これでは、近隣諸国は特に釈然としないであろう。

■ 私たちの戦後70年メッセージ

そんななか、ひとりひとりの戦後70年の声を記録し、発信していく動きが広まっている。

ヤフーでも、未来に残す戦争の記憶~ 100年後に伝える、あなたの想い~というコーナーがある。私も少し読んだけれど、素晴らしいアーカイブだ。

こういうことが出来るようになったのは、やっぱりネットの普及によるものだ。

村山談話が出た20年前には、こんな一人ひとりの声をネットで見られるアーカイブなんで考えられなかった。

津田大介さんのポリタスでも、戦後70年 私からあなたへ、これからの日本へという特集が組まれている。

私たち人権NGO ヒューマンライツ・ナウでも急遽、戦後70年特設ウェブページをつくって、様々なジャンルの方に、それぞれの戦後70年メッセージを寄稿してもらうことにした。

首相談話が国民の総意と関係なく勝手に出され、私たちの感覚や良心とは違うならば、むしろいろんな人がそれぞれの思いを語り、それを近隣諸国の人達にも伝え、日本の国内での議論、国際的な相互理解のきっかけになってくれるといいと思ったのだ。

歴史問題と多くの人が認識していること、これは私たちにとっては人権問題である。

過去の侵略戦争で起きた人権侵害をどう認識し、解決し、克服し、再発を防止していくのか、大きな取り返しのつかない人権侵害をした国は『過去の清算と承継・再発防止』という課題にずっと取り組み続けている。ナチスドイツや、カンボジアのポルポト政権、南米の軍事独裁政権や南アのアパルトヘイトなど、各国では終わりなき伝承、承継、再発防止の取り組みが続けられているが、日本でも政治家任せにしないで、私たちひとりひとりがこの継承のプロセスを紡いで次世代に残していく作業が必要だと思う。

そこで、過去の人権侵害とどう向き合い、これからどんな国にしていくのか、について、寄稿をしていただいた。

すると、安倍首相よりもはるかに論旨が明確な力強いメッセージをいただいた。せっかくなので、少し紹介していきたい。

■ 戦後70年のメッセージ

濱田邦夫氏(弁護士・元最高裁判事)(抜粋)

http://afterwar70.hrn.or.jp/message/112/

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最近の我が国の政治状況は、この憲法と民主主義の視点からみると、由々しき段階に直面している。戦後民主主義教育の申し子であり、かつ半分引退したとはいえ法律専門家である筆者は、勇気をもって自分の考えを世に問う必要がある。今できるだけ多くの人々が発言をしないと、愚かな戦争に至った戦前(これが70年前の戦争のことなのは、世界的に見て稀有なことである。)の道筋を、日本が再び辿ることになる。

今我が国の政治および社会に必要なことは、幻想(一方的に作り出された、現実から遊離した自己満足)に振り回されずに、自分自身、家族関係、近隣・地域社会、日本全体、東アジア、世界全体の現実を冷静に把握・分析することである。政治の目的は、国民の生命・財産を守り、その福祉を増進し、近隣諸国および世界各国との良好かつ建設的な関係を確立することである。そのためには、政治家に(また主権者の筈の国民にも)知性、品性および理性が必要である。

近隣諸国との関係においては、過去に実際に起こったことおよび日本人が国として、また個人として行ったことをしっかりと受け止め、清算する必要がある。各国の国内事情からくる国際法的には必ずしも適正ではない要求に対処するためには、ただこれに反発して、「反省はするがお詫びはしない」といった傲慢な態度をとるべきではない。できるだけ客観的な歴史認識を共有するための真摯な努力を、相互にしなければならない。

国内的には、一部の政治家とその仲間による度を過ぎた言論操作や自由な意見表明を押殺しようとする態度に、国民は総力を挙げて反対すべきである。そのためには、自由で批判精神を持つメディア、平等な投票権に基づく国民の政治参加、司法の役割の発揮およびその尊重が不可欠である。また、国民の一人一人が、自由に生き生きと「今」を生きられる社会を、不断の努力により築き上げ維持してゆく気概を持ち、そのために力を尽くすべきである。

谷口真由美氏 日本おばちゃん党代表代行 大阪国際大学准教授

http://afterwar70.hrn.or.jp/message/137/

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そんな祖父母に、私が高校生の時にテレビでやっていた「終戦から55年」特集を観ながら、責めるようにきいたことがある。「何でもう懲り懲りやと思う戦争を、始める前に止められへんかったん?敗けるのわかってて何でやったん?何で日本は満州とかラバウルまで行く必要があったん?現地でやったん略奪と殺戮やん。あの時の日本の大人ってみんなアホやったん?」と。

そのときばかりは、祖父母は口を噤んだ。重い空気が流れた後に聞いたことは、「わからんかったんや」と。「国の偉い人らにはわかってたんかもしれんけど、わからんかったんや。ワシらも辛かったけど、(戦争にこちらが行った先の)向こうの人らも、そらかわいそうやったな。」と。その日はその後も「アホちゃうか目線」で祖父母を責めた覚えがある。

歴史を見てもわかるように、近隣諸国とは仲が悪いものだ。生活の場でも、近隣住民とはゴミの出し方などでも小さな衝突が絶えないものではないのか?それでもそれなりに知恵を出し合い、衝突を避け、何とか乗り越えてきた面もあるのではないのか?

日本はいま、どこかから攻められてるのだろうか?もしくは攻められる蓋然性が高いのだろうか?世界の動きは、アメリカの動きだけではないし、中国や北朝鮮との関係性だけではない。

世界地図を日本中心のものだけ眺めていてもわからないことがある。外国の情報がアメリカ中心のものであってもわからないことがある。小さな島国が、国際社会とどのように付き合うのが懸命なのか、次の世代に「日本の大人アホやったん?」といわせないために、大人は誰かに答えを求めることばかりせず、誰かに代弁してもらうことばかりを期待してはならない。

いま日本で起こっていることの責任は、私にもあなたにもあるのだから。だからこそ、私自身が、そしてあなた自身が学ぶこと、知ること、考えること、対話すること、言葉をごまかさずに伝えることを怠ってはならない。

阿古 智子氏 ( 東京大学准教授、現代中国研究)

http://afterwar70.hrn.or.jp/message/108/

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(中国環境問題のシンポ・左側が阿古氏)

日本人の私が中国を研究し、中国と関わっていく中で、歴史問題を避けては通れない。初めて中国を訪れ、列車で旅をしていた時、隣り合わせた中国人たちは、「日本の電化製品や自動車はすばらしい」「戦後短期間で復興を成し遂げた奇跡の国だ」と持ち上げ、「中国人は資質が低く遅れている」と肩を落とす一方で、「日本人は歴史を学んでいない」と言わんばかりに、日本の戦犯の名前を次々に筆談で示した。全て私が知っている人物だった。

国民の資質は生来決まっているわけではない。国の発展には複合的な要素が影響を与えているのだから、日本と中国の発展を同列に比較することはない。それに、中国のメディアや教育現場で伝えられる日本のイメージは偏っており、歪んだステレオタイプが一人歩きしていると不満に思った。しかし当時私は、中国人なら誰でも知っているような、日本軍の攻撃によって多数の死傷者を出した事件を知らないことがあった。日本軍と激しく戦った村に、その事実を知らないまま、調査に入ったこともあった。

同じ人物や事件についても、どのような位置から見るかによって、見え方は違ってくる。「被害」や「加害」の実態をさまざまな視野から学び、異なる立場にいる人たちがどのように歴史を学び、どのような感情を持っているかを知ることが重要だ。毎夏、戦争を特集する新聞報道やテレビ番組を見ながら、広島や長崎と同じように、アジアで起こったことも日本のメディアが積極的に伝え、子どもたちが活発に教育の場で学ぶべきだと感じる。それが自然にできるならば、「自虐」でもなんでもない。自らをより良く知るためであり、未来に向けて、同じ失敗を繰り返さないためでもあるのだから。

私が、中国の人権派弁護士について発信するのは、「中国がいかに人権を抑圧しているか」を主張したいからではない。国を越えて、普遍的に法の支配を広めなければ、ハードな側面の安全保障も機能しなくなると考えるからだ。人権、自由、民主などに関する価値観を共有することができれば、国を越えた公共圏をつくりやすくなる。相互不信を減らし、人類共通の財産を築くことにより力を入れるはずだ。軍事費を抑え、より多くの予算や人材が、医療や教育を改善するための政策に振り向けられるだろう。

「あなたの考えは楽観的すぎる」「中国はそんな甘い国じゃない」と言われるかもしれない。しかし、悲観的になっても未来は開かれない。人数はまだ限られているが、中国にも基本的人権の価値を共有できる人たちが確実に育っている。日本は、戦後の経済発展や平和国家としての経験を基に、ソフトパワーを存分に発揮し、中国に影響を与えるべきだ。

申 ヘボン氏(青山学院大学教授)(抜粋)

http://afterwar70.hrn.or.jp/message/1/

平和国家としての戦後日本の歩みは誇るべきものだが、その誇るべき国が、慰安婦問題をめぐり、この期に及んで躍起になって火消しに立ち回ろうとする姿は、あまりにも見苦しくまた非生産的である。自国の過去に直面することは辛いかもしれないが、しかし、それを通して過去を教訓とし乗り越えていくことこそが、日本がアジアの諸国・人々と和解し共に前に進んでいくために必要だと考える。

戦後 70 年という節目にあって、テレビではアウシュヴィッツ収容所の生存者の証言など、ナチスによるホロコーストの歴史を特集する番組もしばしば放送されている。しかし、翻って、日本が戦時に行った加害行為、例えば南京虐殺については、正面から取り上げるような番組はほぼ皆無だという現状がある。日本の加害にかかわる事実を扱った映画作品(最近では、アンジェリーナ・ジョリー監督の“Unbroken”)も、「反日」のレッテルを貼られ、日本での公開は困難となることが多い。日本の学校教育ではそもそも現代史をあまり扱わず、また教科書の記述にも、慰安婦問題を削除するなど様々な問題がある中で、テレビや映画もそのような現状であるとすれば、ますます、自国の歴史について日本人だけが何も知らないという状態が加速していくだけではないだろうか。

安倍首相はイスラエル訪問時にホロコースト記念館を見学し、人種差別がもたらす悲惨な結果を実感されたそうだが、日本も実は、関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺や、侵略戦争による他民族虐殺の過去をもっている。そうした事実は日本ではあまり教えられず、語られないことが、昨今の「朝鮮人殺せ」といったヘイトスピーチの横行にもつながっている。安倍首相には、ここアジアで、日本が過去に悲惨な被害を与えたアジア諸国・人々に対してこそ、今回のホロコースト記念館訪問で得たような歴史感覚を発揮してほしい。

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辛淑玉氏(人材育成コンサルタント)

http://afterwar70.hrn.or.jp/message/90/

特定秘密保護法が施行され、情報の管理者を決める名目で、 「出自」が国家の敵とされることになった。

いつでも、「敵」として扱われる存在の一つが「在日」だ。

「良い韓国人も悪い韓国人も殺せ」と叫ばれ、国家のイデオロギーと大衆のテロ(ヘイト)がセットになったいま、

私達は、不安を持たずに生きることができない。

ただ、静かに、そっと暮らしたい、たったそれだけの夢すら、 この社会ではもつことができなかった。

戦後70年と叫ばれるが、少なくとも私にとって、変わったものはほとんどない。

殺される不安、敵視される不安を持たずにいきていける社会を、せめて次の世代には残したいと思う。

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池田 恵理子氏(アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」wam 館長)抜粋 

http://afterwar70.hrn.or.jp/message/142/

90年代後半、「慰安婦」裁判や国連の調査から被害実態が明らかになるにつれて、日本国内では「強制連行はなかった」「『慰安』は売春婦」という右派の猛攻撃が始まりました。「慰安婦」の記憶と記録を抹殺しようとする歴史修正主義が政治の主流におさまり、問題解決に取り組まないばかりか、歴史の歪曲や捏造を始めたのです。その結果、97年度版の全ての中学歴史教科書にあった「慰安婦」の記述は徐々に削除され、2012年度版では、ゼロになりました。公立の平和資料館や博物館でも、展示の撤去や後退が増えていきました。

「慰安婦の強制連行の証拠はなかった」と一貫して主張してきたのは安倍首相です。昨年8月に朝日新聞が「慰安婦」報道検証を行い、吉田清治証言などを誤報だったと発表すると、右派のメディアは「売国奴」「国賊」と朝日新聞バッシングを始めました。やがて彼らは被害女性の証言まで「嘘」だと貶め、慰安所は民間業者がやったことで軍や政府には責任がない…と暴論を吐くようになりました。

こうして、「慰安婦」問題は「南京大虐殺」「天皇の戦争責任」とともにメディアではタブー扱いされて、日本と韓国のナショナリズム対立にすり替えられ、アジア各地での被害実態はほとんど報じられていません。しかしそれを知らないのは日本人だけで、アジアや世界の人々はよく知っているのです。

「慰安婦」問題では、日本人の戦争責任と植民地支配責任、人権感覚が問われています。このままでは、いくら安倍首相が「美しい国 日本」を唱えたところで、日本は「世界から蔑まれる国」になることでしょう。

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http://afterwar70.hrn.or.jp/message/64/

志葉玲氏 (ジャーナリスト)

昨年の夏、私はイスラエル軍の猛攻撃を受けていたパレスチナ自治区ガザにいた。避難民が集まる国連学校への攻撃、救急車や病院への攻撃、がれきの山と化した市街地…まさに戦争犯罪のオンパレードだった。ガザ取材を終え帰国した私を驚かせたのは、従軍慰安婦報道をめぐる朝日新聞の報道への猛烈なバッシングだった。政府与党の政治家や一部の新聞や雑誌などは、朝日新聞を攻撃するにとどまらず、まるで従軍慰安婦問題など無かったとでも言わんばかりの主張をしていたことに衝撃を受けた。こうした「愛国者」気取り達の狂騒を観て思い出したのは、あるイスラエルの平和運動家の言葉だ。「イスラエルでは、2000年前の歴史のことは学校で教えるが、この国が建国される際、どれだけパレスチナ人に酷いことをしてきたかは、教えない。歴史を直視しない、させないことが現在の暴力にもつながっている」。彼の言葉は、最近の日本の政治やメディア、ネット社会にも通じるものがあるような気がする。だが、あえて言おう。自国の侵略行為、そこで起きた数々の人権侵害をなかったことにし、現在の戦争犯罪も正当化する。そんな国に日本をしてはならないのである。

谷山博史氏(日本国際ボランティアセンター代表理事)

世界には巨大で構造的な不条理が存在します。多くの場合それは格差や差別の構造として現れますが、すべての市民が自分の問題として向き合わなければならないにもかかわらず自分たちはまだましだ、として無関心のベールに覆われたまま見過ごされてしまいます。これは権力をもつものたちの分断工作なのです。

大橋正明氏 (聖心女子大学教授 JANIC理事)

http://afterwar70.hrn.or.jp/message/95/

車中で隣の人の足を踏んでも、踏んだ人は往々に気が付かないですが、踏まれた方は当然「痛い」と感じます。アジア・太平洋戦争で私たち日本が犯した人権蹂躙は、蹂躙された人たちが感じている痛みを基準に対応することが、必ず必要です。私たち「踏んだ側」「蹂躙した側」が、安易に謝罪や補償は十分などと主張すべきではありません。

野中 章弘氏 (アジアプレスインターナショナル代表)

http://afterwar70.hrn.or.jp/message/157/

70年代からアジアの戦争や紛争地を取材しながら、軍による暴力の実態を現場で目撃してきた。ハッキリと断言できることは、人権を侵害する最大の主体は国家であり、実行するのは国家に専有された暴力装置としての軍であるという事実だ。

そもそも軍は人々を守らない。軍が守るのは国家であり、軍そのものである。独裁国家であれ、民主主義国家であれ、その本質は変わらない。また軍の銃口は「敵」だけではなく、多くの場合、政権を批判する自国民に向けられてきた。

新倉修氏 (青山学院大学教授)

http://afterwar70.hrn.or.jp/message/148/

いま与党は、全有権者の3分の1ほどの投票で選出された議員によって国会の圧倒的多数を占め、これを悪用して、国際的な誓約である憲法に反する「平和安保法制」を採択しようとしている。これこそが、憲法9条と前文の「平和のうちに生きる権利」の確認が人類の至宝であることを認めず、これを踏みにじる行為であって、安直な「力による平和」論に甘える途方もない愚行と言わざるを得ない。ドイツの賢人を引くまでもなく、「歴史に目を閉ざす者は、現在を危うくし、将来の危害をもたらす」という自戒を強く意識せざるを得ない。

■ 戦後70年~安保法制をめぐる動き

安倍談話が出される一方、政府は憲法9条に反する安全保障法制を粛々と進めようとしている。

この点、以下のお二人はアカデミアでありつつ、安保法制に反対する動きの先頭に立たれ、学生たちからの支持も篤い。戦後70年をどうするかはまさにこの瞬間、そしてこれからにかかっているということを訴えられている。

岡野八代氏(同志社大学教員・京都96条の会代表)

http://afterwar70.hrn.or.jp/message/128/

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現行の日本国憲法の下で、非常に遅い歩みかもしれませんが、わたしたち日本の市民はその精神を少しずつ学んできました。70年前とわたしたちの頭が同じどころか、たとえばわたしは91年の金学順さんの勇気ある発言を受けてから、ようやく日本軍がなぜ「慰安所」を必要としたのか、日本帝国のめまいのするような広大な領土の意味、そして国家はなぜかくも暴力的なのか、その暴力の歯止めとして憲法が存在すること、長い歴史の中で立憲主義が、人類の英知としての発見されてきたことを学びました。

2000万人という、ナチスドイツのユダヤ人ホロコーストの被害者の3倍以上にも及ぶ戦争被害者を東アジア諸国に生み、自国でも広島・長崎の原爆、東京・大阪などの大空襲、そしてわたしの身近な母も焼きだされた、想像を絶する被害を出したその戦争とは、いったいどういったものだったのか、じつはその詳細を、わたしたちはほとんど知りませんし、70年という時間はもしかすると、まだその全容を知るには足りないのかもしれません。

わたしたちは戦後長い時間をかけて、時に力をむき出しにする露骨な国益優先の戦争がいまだ米国を中心に行われているなかで、平和憲法を支柱に日本は国家による人殺しはしないと、大国米国に向けても主張し、世界のなかでその地位を確立してきました。残念ながらかつて侵略された国々から信頼を勝ち得ているとはいえませんが、市民の交流や研究を重ねながら、わたしたちは武力によっては平和を獲得できないことを学んできたのです。過去の過ちを正しながら、少しでも良い政治にしていく。それが、民主主義の原点といえるかもしれません。

いま、日本国中で、頭のなかの時計の針が逆回りしているかのような首相を前に、ようやく自分たちで民主主義とはなにかを考え直そうという機運が高まっています。安保関連法制は廃案、あるいはもし、与党がそれを認めないとしたら、ますますわたしたち市民自身の手で、民主主義ってなんだ、と自問し、自分たちで答えを見つける運動が高まることになるでしょう。戦後70年はまさに、民主主義を再びわたしたちの手に取り戻す闘いの年となったのです。

中野 晃一 氏 (上智大学教授)

http://afterwar70.hrn.or.jp/message/104/

「積極的平和主義」という平和主義を僭称するスローガンに基づき、違憲の安保法制を強行し、憲法9条を完全に無効化してしまおうというやり口と、「慰安婦」問題などをめぐる歴史修正主義は、戦後と戦前の違いこそあれ、ともに歴史や事実を意のままに改ざんしてしまおうというところが共通しています。(中略)

こうした目を覆うばかりの状況を変えていくには、市民社会と学界が再び率先して声をあげ、国際的な人権擁護の連帯を通じて、政治を動かしていくほかありません。河野談話や村山談話を継承するというからには、その完全な「実施」を求めていく必要があります。人権侵害の過去と正面からむきあい、その事実を若い世代とともに受け継ぎ、武力によらない平和な未来を切り拓いていくことこそが、戦後70周年の私たちの誓いであるはずです。

■ 新しい信頼をつむいで

お盆の前に唐突にお願いしたのに、率直で素晴らしい、パーソナルな投稿をしてくださった方に心から感謝している。

こちらはまで続けていく予定だが、これから英語などに翻訳して、特に近隣諸国の市民の人たちにも見てもらうことを計画している。

国どうしが対立していても民間人は違うレベルの交流ができるはず、よくわからない国の見解とは違うパーソナルな思いをひとりひとり持っていることを伝えることは、とても重要だと思う。

実は、私も近隣諸国に行くと、「日本から来た人権団体」ということで、一言も発する前から偏見を持たれるという経験を何度もしてきた。最近の人権問題について、私たちの見解だったり思いだったりを話しても、いつも過去のことばかりに引き戻されて、批判されたりすることもあった。

それでも、そうした偏見を乗り越えようとしてオープンマインドで接してくれる人もいるのだ。

多分育った環境、受けた教育の影響で偏見から自由になるのには時間がかかるのかもしれない。

それでも、「ああ、日本には実はこんなこと考えている人もいるんだな」というところから交流が始まり、海の向こうの人たちの率直な意見も聞けたりすると、新しい信頼がつむいでいけるかもしれないと思う。

そして、日本の中で、ひとりひとりが想いを語っていくこと(周囲にも語らない人が多いですね)、後世に残していくことが必要だとおもう。

■ 安倍談話で戦後70年は終わらない。

安倍談話で戦後70年は終わったわけではなく、誤魔化されてはならない。

二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。

という安倍談話の言葉は、戦後70年に日本の平和主義を全面的に変容する安保法制の強行的な進め方やその内容と絶対的に相いれない。

二度と戦争の惨禍は繰り返さない、というのは私たちの思いでもあり、それに誠実であるためには、主権者としては今こそ正念場であろう。

中野先生のメッセージを最後にもう一度引用したい。

人権侵害の過去と正面からむきあい、その事実を若い世代とともに受け継ぎ、武力によらない平和な未来を切り拓いていくことこそが、戦後70周年の私たちの誓いであるはずです。

明日、30日には大規模な国会包囲行動が予定されている。

弁護士、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ副理事長

1994年に弁護士登録。女性、子どもの権利、えん罪事件など、人権問題に関わって活動。米国留学後の2006年、国境を越えて世界の人権問題に取り組む日本発の国際人権NGO・ヒューマンライツ・ナウを立ち上げ、事務局長として国内外で現在進行形の人権侵害の解決を求めて活動中。同時に、弁護士として、女性をはじめ、権利の実現を求める市民の法的問題の解決のために日々活動している。ミモザの森法律事務所(東京)代表。

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