追悼「喫茶マウンテン」初代マスター加納幸助さん。甘いスパゲティで名古屋の珍名所に
名物喫茶の名物マスターが2023年7月に逝去
名古屋から全国にその名を轟かす「喫茶マウンテン」(名古屋市昭和区)。甘口抹茶小倉スパをはじめ独創的すぎるメニューの数々で話題をふりまく名物喫茶です。
超個性的なメニューの考案者であり、強烈なキャラクターで看板役を担っていたのが創業者の加納幸助さん。その初代マスターが、去る2023年7月4日、逝去されました(年齢不詳だったため享年は不明)。
甘口抹茶小倉スパをきっかけにブレイク!
喫茶マウンテンは1967(昭和42)年オープン。名古屋市のやや郊外にあたるエリアに位置し、近隣の大学生らにとっては山盛りの店として愛されてきました。
メディアの注目を集めるようになるのは80年代後半から。きっかけは甘口抹茶小倉スパの登場でした。抹茶風味かつ極甘の麺の上にクリーム、あんこ、フルーツをトッピング。ショッキングなカラーリングとスパゲッティなのに激甘という意外性、そして食べ切れないほどのボリュームで俄然注目度が高まります。その後、甘口バナナスパ、イカスミかき氷、サボテンピラフなど珍メニューのラインナップもどんどん充実。こてこての名古屋弁のマスターのキャラクターもあいまって、“名古屋の珍名所”となっていきます。
メニューはアトラクション、店はテーマパーク。あの村上春樹も訪問!
知名度が高まるにつれ、摩訶不思議な味わい&大ボリュームのメニューを完食することを“登頂”、食べきれずギブアップすることを“遭難”、メニューや店を“山”と呼ぶ「マウンテン用語」がファンの間でのお約束に。メニューはチャレンジ精神を喚起させハラハラドキドキできるアトラクションのように、店は並んででも入りたいテーマパークのような存在となっていきました。
評判はかの国民的作家・村上春樹の耳にも届き、2002年には雑誌にマウンテンの食レポが掲載される事態に。「名古屋の奇食王」としての蛮名をいっそう世に轟かすこととなります(初出は雑誌『TITLE』。2004年に『東京するめクラブ 地球のはぐれ方』として書籍化)。
2代目&3代目インタビュー! 「仕事に関しては厳しい人だった」
店の象徴だった初代マスターでしたが、2019年に病気療養のため引退。そして、2023年7月4日に永眠。筆者はツイッターで訃報を知り、お通夜に参列して亡きマスターを見送りました。
“名古屋は面白い(変?)”という評判を高めるのにも寄与してきた名物男はどんな人物だったのか? 初代マスターの息子で2代目の加納隆久さん(通称「タカさん」)、孫で3代目にあたる加納真史(しんじ)さんに生前をしのびつつふり返ってもらいました。
――この度はご愁傷様です。マスターにはよくしていただいたのでとても残念です
2代目「オヤジ、大竹さんのこと大好きだったもんね」
3代目「ご焼香に来てくれてありがとうございました。じいちゃんも喜んでると思います」
――2019年12月に引退されて、ずっと闘病生活だったそうですね
3代目「亡くなる日の朝まではしっかりしていて、最期は眠るように逝きました。苦しまずに息を引き取れたのはよかったです」
――息子のタカさんから見て初代マスターはどんな人でしたか?
2代目「仕事に関しては厳しい人だった。小さい頃は店に来ると怒られたもん。飲食店の家の子が学校帰りに店に寄ってまかない食べる、とかあるじゃないですか。ああいうのは絶対ダメだった。まぁカッコつけとったんだろうね」
――タカさんはいつから店で働き始めたんですか?
2代目 「大学卒業してすぐ。“この世界は早く入った者が勝ちなんだで高校なんか行かんでもええ!”と高校進学も反対されたんだけど、結局大学まで行かせてもらったので、親孝行と思って店に入りました。でも、料理は一切教えてもらえなかった。新しいメニューができると一回だけ“よう見とけ”と目の前でつくって、後は自分で覚えるしかなかった」
「いちごスパの試食をさせられるのが嫌で逃げ回ってました」
――真史さんは子どもの頃に店で食事することはあったんですか?
3代目 「小学校の頃、友達と集まる時などは来てました。みんながいろんなメニューを食べながら盛り上がってくれたのがうれしかった。大学生とかサラリーマンの人とか、いろんな人がわいわい楽しく食べているのが僕にとってのマウンテンの原風景です。でも、試作メニューを食べさせられるのは嫌で逃げ回ってました。いちごスパとか試作の段階ではベリー感がなくてとにかく甘かったんですよ(苦笑)」
――真史さんから見た初代マスターは?
3代目 「世の中のことに興味がない感じ。株が大好きで死ぬほど買ってたんですよ。でもニュースも新聞も株の情報を得るためだけに見て、その会社自体には関心がない。ある時、一千万円で買った株が600万に下がった!と大騒ぎしていたので儲けてはいなかったんじゃないですかね。安い株をいっぱい買うのが好きで、そのへんは安くていっぱい食べてもらう、という店のやり方に通じてたのかもしれません」
――株をやってたとは意外ですね!
3代目「あと体は丈夫でしたね。無茶苦茶やわらかいんですよ。ゴム人間みたい(笑)。それから、普段はユニセックスの服が好きで、オバさんと間違われたこともありました」
――店では黒いTシャツがトレードマークだったので、これまた意外です
3代目「人の話を聞かない。頑張るのが嫌い。書いてあることを見てすぐ覚える記憶力はスゴいんですけど、耳から入ってくる情報は頭から抜けちゃう。病院でも先生の話を全然聞いてなくて、治療を頑張ろうという気持ちもないので、肝臓を壊しても透析をやろうとはしなかった。“やらないと死んじゃうよ”と言われてもちゃんと頭で理解してなかったんじゃないですかね」
【喫茶マウンテン 初代マスター・加納幸助さん語録】
「スパゲティなんて辛いのばっかでしょー。(甘口抹茶小倉スパは)デザートみたいに食べられる甘いスパゲティをやったらどうかな~と思って、何回も試作してつくったんだわ」
「店の名前は、最初は『ブルーマウンテン』にしようと思っとったんだわ。俺はほら、コーヒー屋の出、だもんでよ。ほしたら師匠が『ブルーは取らないかん』って言うんだわ。その人の名前が山本でよ。あとこのへんは滝川豊後守って尾張徳川家の家老がお茶つくっとった山だったんだわ。で、『山』つながりで『マウンテン』にしよか、ってことになったんだわ」
「量が多いのは、店の名前が『山』なのに、料理が林くらいしかなかったらさびしいがね」
「(村上春樹さんの文章について)読んだけどよ、ちょこっと書いてあったな、そんなもんだわ。それに比べてあんた(大竹)の文章はすげえよ。心がある。天才だわ!」
衝撃事実! 実は〇年前には既に…!
――甘口抹茶小倉スパ以降、風変わりなメニューがどんどん増えていったのをどう感じていましたか?
2代目「別に、どうってことはなかったよ」
――メディアで取り上げられることも増えて、行列ができることも珍しくなくなっていきました
2代目「万博(2005年の愛・地球博)で変わったよね。もともと名古屋の人って並ぶの大嫌いなんだけど、あれ以来並ぶのが当たり前になった。万博関連のパンフレットにうちも載せてもらったおかげで県外のお客さんも増えて、行列ができるようになった」
――2007年に建て替えでリニューアルした時の行列もスゴかった
2代目「まぁありがたいことだけどね。でも、はたからは儲かっとるように見えるかもしれんけど全然そんなことないんだよ。建て替えの時も、店たたんで土地売った方がよっぽど楽だったはずなんだけど、お客さんが来てくれるんでやめれんかった。あの時に、店の名義はオヤジから俺に移してるんですよ」
――それは初めて知りました! 新店舗になっても初代マスターは厨房に入っていたし、マスコミ対応もしていましたものね
2代目「俺はコミュ障だから(笑)。でも、シフトはズラしてお互い店では顔を合わせないようにしてた。大体、高校卒業するまでにオヤジと3回しかしゃべってないもん(笑)。オヤジが引退してからかな、しゃべるようになったのは。車でスーパーへ買い物に連れて行く時とかにね。株の話か、孫(真史さん)の心配ばっかだったけどね」
――先代が亡くなってこれからどんなお店に…と聞こうと思っていたんですが、もう16年も前からタカさんの店になっていたんですね
2代目「うん。どんなふうに…というと、早く息子に代替わりしたいと思ってます(笑)」
3代目「じいちゃんも父もあまり自分からは店をPRしてこなかったんですけど、僕はいろんな企画などにも参加して、新しいお客さんに来てもらえるようにしたい。コロナ禍以降、家族連れのお客さんが増えたんです。観光のお客さんが来られなくなった分近所の人が来やすくなって、コスパもいいからと気軽に利用してくれるようになった。地元のファミリーや学生にとっては安く楽しく食べられる店、旅行で来る人には“ここに行ったんだぜ”と話題にしてもらえるような店にしたいと思っています!」
◆◆◆
喫茶マウンテンが名古屋きっての名物喫茶になったのは、初代マスターの奔放なアイデアとユニークなキャラクターによるところだったことは間違いありません。そして、筆者が感じたマスターの最大の魅力はあふれんばかりのサービス精神でした。「おう!何でもつくったるで言ってちょー」ととても食べ切れない量のメニューが次から次に運ばれてくる(ある時期から、食べ残さないよう取材時には胃袋自慢の友人数名を誘うようになりました)。インタビューではあっちこっちに話が飛びつついくらでもおしゃべりしてくれる。甘すぎるスパゲティやデカすぎるかき氷も、お客が喜んでくれるのでどんどんリミッターが外れていく旺盛なサービス精神の現れだったのです。
筆者はことあるごとに「マウンテンはあくまでオンリーワンであり名古屋めしではない」と書いてきましたが、行き過ぎたサービスが個性を育む、という点では根底に名古屋喫茶らしさがあることは確か。名古屋ならではのモーニングなどのやりすぎサービス、その特異進化版が喫茶マウンテンだといえるかもしれません。
事業継承という形でサービス精神を受け継いだ2代目。より多くの人に楽しさを提供したいと考える3代目。それぞれのやり方で喫茶マウンテンを守り、発展させようと店に立つ姿を頼もしく感じます。創業者なき後も名古屋の一角で険しくそそり立つ名(迷)峰・喫茶マウンテン。アメージングなメニューの数々があなたの挑戦を待っています!
(写真撮影/すべて筆者。※ツーショットもセルフで撮影 語録はかつて「ぴあ中部版」「ぴあ 秋旨」に筆者が寄稿した記事より抜粋)