Yahoo!ニュース

夕張で見たのは辺境の貧しさではなく、唐突に終わりを告げた豊かさと、偽りの希望の残滓だった

楠正憲国際大学Glocom 客員研究員
広大な石炭歴史村の駐車場には「夕張希望の丘」と書かれた棟が

夕張で見たのは辺境の貧しさというよりは、豊かさの唐突な終わりだった。財政破綻から早10年、札幌から約60Km、車で1時間半ほどの距離にあるが、バスも電車も1日3往復、その電車も近く廃止されてしまう近くて遠い街だ。駅前には巨大なマウントレースイ・リゾート、札幌との交通は電車もバスも1日3本だけ。駅前にタクシーなんて気の利いたものは止まっておらず、レンタカー屋もないから、日に数本のバスを使うか歩くんだけど、市の中心部を通って石炭歴史村へは2キロちょいなので十分に歩ける距離だ。

駅にほど近い親水公園は素敵な景観だが、バックネットの残る野球場跡には雑草が生い茂り、中学校は廃校で立ち入り禁止、その横にある小学校はNPOに貸し出されて地域活動の拠点となり、昼はバイキング営業をしていた。

現在はNPOに貸し出され地域活動の拠点となっている夕張小学校
現在はNPOに貸し出され地域活動の拠点となっている夕張小学校

ボロボロの歩道橋や朽ちかけた建物とシャッター商店街、ノスタルジーを誘う多数の映画看板。営業しているのは床屋と何故か仕立て屋。吉野家という蕎麦屋が往時の炭鉱労働者の間で食べられていたらしいカレー蕎麦を今でも出すので繁盛しているが、私が訪問した土曜は残念ながら貸切営業で入れなかった。

ハローワークは土日休業で入れなかったが、求人票をまとめた一覧表を印刷して入口の掲示板の横で配っている。求人票を見ると時給は北海道の最低賃金である786円から、フルタイムの仕事も非正規で月収12万円台からと厳しそうだ。ハローワークの隣にある市の中心部で最も巨大な建物は市役所だが、かつて併設されていたらしいレストランは窓を板張りで塞いで営業していない。

市役所の建物は立派だが、併設されていたレストランは閉鎖されて窓に板が張られている
市役所の建物は立派だが、併設されていたレストランは閉鎖されて窓に板が張られている

報道では築50年近くのボロボロの団地に住み続ける高齢者が移転を求められても応じない様子が報じられたが、市の中心部にある団地は真新しいパステルカラーで、でもベランダの物干し竿をみると半数近くが空き家になっているようだ。団地の前には屋根付き駐車場と集会所も完備されており、駐車している車は割と新しくて小綺麗だった。

市役所と市立診療所に近い団地は小綺麗だがベランダをよく見ると空室が目立つ
市役所と市立診療所に近い団地は小綺麗だがベランダをよく見ると空室が目立つ

夕張市立診療所の前には夕鉄バスの停留所の残骸が残っていてShiritsubyoinと書かれていた。昔は市立の総合病院だったものが財政破綻で縮小して診療所に改組したのだ。いまは市内にCTやMRIが1台もなく、人工透析も廃止して、病床数は171から19に減ってしまった。結果として死亡率、医療費、救急車の出動回数、全て下がったことが話題になったが、病院を頼れないとする市民の自覚で改善しただけでなく、本当に高度な医療サービスを必要としている人々は夕張を去らざるを得なかったのだろう。夕張で起こったことが日本全体で成り立つかは精査が必要だ。

市立診療所の前に放置された停留所跡。医療サービスだけでなくアクセスも悪化した
市立診療所の前に放置された停留所跡。医療サービスだけでなくアクセスも悪化した

石炭歴史村に行く途中の左手も公園として整備されており巨大なオブジェが残っていた。入り口にほど近いキャラメル工場は建物が真新しく、まだ営業しているようだがひとけは感じられない。巨大な駐車場を突っ切って入り口まで行くと、営業時期は4月〜11月までだが、今は石炭博物館がリニューアル工事中で模擬炭鉱しか入れないという。休止中の立派な公衆便所の横には、仮設トイレと真新しいプレハブにゼネコンの旗が並び、若き夕張市長名の工事票が大きく貼られている。駐車場に佗しげに立つ「夕張希望の丘」と書かれた看板を振り返りながら、財政破綻して遊園地の整備も財政を圧迫した理由のひとつだろうに、今なお夕張は観光資源としての炭鉱がアイデンティティであることを実感した。

深いところまで行かない模擬坑道はあまり期待していなかったのだが、皇族が訪れる度に展示が整備され、昭和29年には昭和天皇も訪問した由緒正しい施設で、今年に入って2.5億円をかけて改修された。鉱床が地上に露出している珍しい地形で、道の天然記念物になっている。亡くなった祖父が満州に渡った頃を振り返って、石炭の露天掘りをしているところを汽車から見て、とても本土とは違って資源の豊富な地域だと感じたといっていたのを思い出した。博物館は閉じてるので入場料は半額の600円、炭鉱といってもなかなか実感が湧かないところ、十分に観る価値のある展示だった。

今年2.5億円をかけて改修された模擬坑道。実際に石炭が露出し炭鉱を体感できる
今年2.5億円をかけて改修された模擬坑道。実際に石炭が露出し炭鉱を体感できる

終バスまで夕張を散策するつもりだったけれども、店が貸切で昼飯を食べ損ね、だいぶ歩き疲れてしまったこともあって、2時間足らずで切り上げて戻ることにした。映画の看板が立ち並ぶ商店街、本町キネマ街道を通り抜けながら、結局のところ夕張の財政破綻とは何だったのか改めて考え直した。

そもそも貧しい山村であれば、このようなかたちで破綻しない。石炭産業が盛んで人々が集まったからこそ、夕張は他の地域よりもずっと豊かだったし、国のエネルギー政策転換の煽りを受けて急激に寂れてしまった訳だ。明治以来、必要性があって発展してきたのだし、転換期にも何とか逆転しようと街起こしを続けて、その結果として財政破綻を招いた。魅力的な仕事が少なく、買い物に不便で、ちゃんとした医療を受けられない土地から、子どもを持つ多くの若者は街を去り、使命感を持って踏みとどまった方々と、行き場のない老人が残って苦労している。

夕張はこれから日本を襲う財政難の先行事例だという人もいるけれども違う気がする。ピーク時に人口11万人を誇っていた夕張が現在は1万人弱、人口1.2億人の日本に譬えれば1億人以上が周辺国に逃げ出したようなものだ。夕張の若者と違って僕らには逃げる先がない。大半の人々は国会議事堂の前を開墾して芋を植えてでも、日本に残らざるを得ない。ただ、こうなる前に為政者として何かできなかったのか考えると、今の日本と通じるところもある。

雪に閉ざされて夏期しか営業できないテーマパークが黒字にならず、後に財政を圧迫することなんか分かりそうなものだ。しかしながら今、計画を立てれば国からの補助金を受けることができ、当座の雇用も生まれる。石炭の産み出す富が引き寄せ、そこに生活の基盤ができた人々に、束の間の雇用と居場所を提供できるのはとても魅力的なことだったのだろう。

仮に自分が選挙に出て市議なり市長候補としてポスト石炭の地域振興を問われたら、やはり中央から資金を引き出して、当時の流行りだったリゾートなりテーマパークをつくろうとしただろう。夕張にはそれだけの富があり、人がいて、中央に資金を請求する正統性があったのだから。枠のあるだけ借金して雇用を生み続ける、それを有権者も業者も求めていた。後々それが地方財政を逼迫させる要因になると気付いていても、である。

当時の夕張の決断を振り返って嗤うことは容易だが、では出口戦略の見えない金融緩和や、なかなか成果の上がらない成長戦略と何が違うのだろう。みんなの意見はだいたい正しいというけれども、それはフラットに見通した場合のことだ。みんなの居場所を確保するためには、偽りの希望であっても必要とされるのだ。

いま夕張は財政再建へ向けて大変な苦労をされている。しかしながら夕張に踏み止まった数千人だけが偽りの繁栄を謳歌してきた訳ではない。凋落の元凶となった1981年の北炭夕張新炭鉱ガス突出事故では事故の2ヶ月後に事業会社の北炭夕張炭鉱が倒産、事後処理に総額583億円かかり、うち夕張市が地方債として負担した332億円が債務の数割を占め、その額は再建計画の赤字解消額353億円に匹敵する。

国や道は1990年代から夕張の破綻を予期しながら、無許可起債に手を貸してきた。傷を広げたリゾート開発の絵を描いたのは東京のコンサル会社だし、頼る親戚なり労働市場で売りになるスキルを持った人は夕張を逃げ出してしまっている。市役所職員の待遇は全国最低水準だが、現在の職員の約6割は財政破綻時は無役の係員で、破綻後に入庁した職員がすでに約3割を占めているという。そもそも夕張市の債務は誰が積み上げて、本来であれば誰が返済すべき債務なのだろうか。

夕張で見たのは辺境の貧しさではなく、唐突に終わりを告げた豊かさと、偽りの希望の残滓だった。富は突然のようにやってきて人々の期待値を上げ、人を呼び込むけれども、僕らはその豊かさを当たり前のように享受して、偽りの希望に縋ってでも維持しようとしてしまう。人生の中で変化に柔軟に適応できる期間は限られているのか、人生の後半戦になるほど、これまで積み上げてきたものに対する依存度が大きいのか、けれども僕らは若いうちに豊かになりつつある世界に身を置こうとして、いつの間にかそこから抜け出せなくなり、その豊かさを当たり前の権利として享受しながら、前提の変化に対して戸惑い踏み止まろうとする。

経済成長の波に乗るよりも、衰退に合わせて身を縮めることの方がずっと難しい。トップダウンで決める資本の論理であればともかく、民主主義の手続きを通じて決断することは極めて難しい。これからも僕らは唐突な終わりを迎えるまで、もっともらしい希望をでっち上げるんだろうか?それともソフトランディングのための希望を別に持ち得るのだろうか?そもそも希望の優劣とは何だろうか?その実現可能性と人々が望むこととが一致するなんてあり得るんだろうか?そんなことを考えながら夕張を後にした。

国際大学Glocom 客員研究員

インターネット総合研究所、マイクロソフト、ヤフーなどを経て2017年からJapan Digital DesignのCTO。2011年から内閣官房 番号制度推進管理補佐官、政府CIO補佐官として番号制度を支える情報システムの構築に従事。福岡市 政策アドバイザー(ICT)、東京都 DXフェロー、東京大学 大学院非常勤講師、国際大学GLOCOM 客員研究員、OpenIDファウンデーションジャパン・代表理事、日本ブロックチェーン協会 アドバイザー、日本暗号資産取引業協会 理事、認定NPO法人フローレンス 理事などを兼任。FinTech、財政問題、サイバーセキュリティ、プライバシー等について執筆。

楠正憲の最近の記事