安倍首相はメルケル首相のアドバイスを戦後70年談話に活かせるか
「過去の総括は和解の前提」
来日していたドイツのメルケル首相の歴史認識と旧日本軍慰安婦問題をめぐる発言が波紋を広げている。
メルケル首相の発言は次の通りだ。(朝日新聞と日経新聞から)
「第ニ次大戦後の独仏の和解は、隣国フランスの寛容な振る舞いがなかったら可能ではなかった。ドイツもありのままを見ようという用意があった」
「アジア地域に存在する国境問題も、あらゆる試みを重ねて平和的な解決策を模索しなければならない」
(いずれも9日の講演会)
「(ナチスドイツの)過去の総括は和解の前提になっている。和解の仕事があったからこそ、EU(欧州連合)をつくることができた」
(9日の首脳会談後の記者会見)
「日韓関係は非常に重要だ。慰安婦問題などはきちんと解決したほうがよい」
(10日、民主党の岡田克也代表との会談)
ドイツは明確な「謝罪」はしていない
メルケル首相は「過去の総括」と「和解」を強調したが、「謝罪」という言葉は使わなかった。なぜか。ドイツは戦後、明確な「謝罪」を行っていないからである。
「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となる」という一節で有名なヴァイツゼッカー独大統領(今年1月に死去)の戦後40年演説では「真実の直視」が説かれている。
ユダヤ人大虐殺をはじめナチスの戦争犯罪について「謝罪」し「法的責任」を認めてしまうと、損害賠償のアリ地獄に追い込まれる。国際社会で「謝罪」は「懲罰」「補償」を伴うのが常識だからだ。
ヴァイツゼッカー大統領もかつて「過去に対する罪を認めるようにとの要求が政治的恐喝の手段とされることは好ましくない」と述べている。
先の大戦でナチスがもたらした約3500万人の死について法的責任を認めて賠償に応じるとしたら、ドイツは何度、破綻しても追いつかない。
容赦ない第一次大戦の戦後処理がヒトラーの台頭を招いた反省から、第二次大戦の戦後処理は「懲罰と賠償」より「和解と復興」に重点が置かれている。
「国家間賠償」で処理した日本
日本政府は国際社会への復帰を目指して戦後、サンフランシスコ平和条約や2国間の条約に基づき戦後処理を進めてきた。
(1)サンフランシスコ平和条約
・フィリピンに5億5000万ドル、ベトナムに3900万ドルの賠償
・その他の条約当事国は日本への賠償請求権を放棄
・条約当事国に対して在外財産(約237億ドル)の処分権認める
・赤十字国際委員会に捕虜への償いとして英貨換算450万ポンドを支払う
・1965年の日韓請求権・経済協力協定で、韓国に財産・請求権問題の解決を確認するとともに5億ドルの経済協力(無償3億ドル、有償2億ドル)を実施
(2)個別の平和条約
日本はビルマ(現ミャンマー)に2億ドル、インドネシアに2億2308万ドルの賠償を供与。インドは賠償請求権を放棄
(3)ソ連
1956年の日ソ共同宣言でソ連は日本に対する賠償請求権を放棄
(4)中国
日中間の請求権問題は、1972年の日中共同声明発出後存在していない
村山談話主導した外務省
戦後50年に出された村山富市首相の談話は将来を見据えて
(1)「植民地支配と侵略」
(2)「多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」
(3)「それに対して痛切な反省の意と心からのお詫びの気持ちを表明する」
ことを明記し、潔く「謝罪」している。
日本の未来はアジアとともにある、そのためには歴史問題というトゲを抜いておかなければならない――と考えた外務省により村山談話は戦後処理の最終ステップとして発表された。それに基づき、アジア女性基金を通じて元慰安婦の女性に「償い事業」を展開した。
国家間賠償をサンフランシスコ平和条約や2国間の条約で処理してきた日本政府は、さらに個人対国家の賠償請求に向き合うため、アジア女性基金という道義的な枠組みを設置したのである。
これに対して第二次大戦後、東西に分断されたドイツは統一後も国家間賠償は行なわず、明確な「謝罪」は行っていない。
しかし、1970年、ワルシャワ・ゲットー蜂起の英雄記念碑でブラント西独首相が両膝をついて跪き、両手を組んで黙祷した行為や84年、第一次大戦の激戦地ヴェルダンでミッテラン仏大統領とコール西独首相が自然と手を携えた場面が戦後和解の象徴として強調される。
西ドイツはユダヤ人の犠牲に対して道義的責任として総額900億マルク、東西ドイツ統一後に強制労働に対して総額100億マルクの戦後補償を行っている。
しかし国家間賠償は行わなかったため、ギリシャのチプラス政権から大戦中の損害賠償として1620億ユーロを改めて請求されている。
脱線した日本の戦後和解
冷戦の終結、韓国での民主政権の誕生、中国の新しいイデオロギーとしての反日・愛国、世代交代、中国と韓国の経済的な台頭と日本の衰退、領土問題・ナショナリズムの沸騰で、日中韓を取り巻く環境は著しく悪化した。
日本では小泉純一郎首相と安倍晋三首相の靖国神社参拝、旧日本軍慰安婦問題をめぐる河野談話や村山談話を見直す動きがくすぶり、韓国や中国を無用に刺激している。
しかし、その小泉首相は2001年10月、中国・盧溝橋の「中国人民抗日戦争記念館」を訪れた際、「侵略によって犠牲となった中国の人々に対し心からのお詫びと哀悼の気持ちをもって、いろいろな展示を見させていただきました。(略)私共も過去の歴史を直視し、二度と戦争を起こしてはいけない、その反省から、戦後平和国家として日本は繁栄をすることができました」と村山談話より明確に反省と謝罪を示している。
一方、安倍晋三首相(第一次政権)は07年3月、河野談話に関連して「強制性を裏付ける証拠がなかった」と発言、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」とする答弁書を閣議決定した。
その年の6月、米下院外交委員会が慰安婦問題に関する対日謝罪要求決議を可決。7月には米下院本会議が慰安婦問題に関する対日謝罪要求決議を可決した。
11年8月には韓国憲法裁判所が元慰安婦への補償について韓国政府が日本側と解決に向けた努力をしないことは違憲であるとの判決を下し、12月にはソウルの日本大使館前に慰安婦を象徴する少女像が設置された。
メルケル首相の低姿勢に学べ
河野談話の見直しを公言していた安倍首相が首相に返り咲いてからは、オーストラリアのカー外相(当時)が「河野談話については、近代史において最も暗い出来事の一つを確認した談話であると認識しており、この談話の再検討は誰の利益にもならないと考えている」と発言。
シーファー元米駐日大使も「河野談話見直しは米国やアジアでの日本の利益を大きく損なう」「米国内に賛同者はいない」などと発言している。いずれも安倍首相が河野談話を見直さないよう釘を刺すためだ。
安倍首相は今では河野談話や村山談話を踏襲する考えを表明しているものの、戦後70年談話に合わせて村山談話の文言をいじって骨抜きにしてしまおうとしていると国内外から不信の目を向けられている。メルケル首相の発言からも安倍首相への警戒感がにじみ出ている。
村山談話を下手にいじれば、日本の戦後70年の歩みを否定する動きと受け止められ、国際社会で損をするのは日本自身である。
経済でも安全保障でも欧州に完全に組み込まれたドイツと違って、中国の台頭でアジアの安全保障環境は激変した。脱線してしまった戦後和解の取り組みをもう一度軌道に載せるのは至難の業だが、加害国である日本がちゃぶ台をひっくり返してしまうわけにはいかない。
戦後70年談話は村山談話、小泉談話を踏襲して「過去の総括」をしっかり踏み固めることから始めよう。それがメルケル首相のアドバイスだ。
欧州では頭一つ抜けだしたドイツだが、まだ低姿勢の外交に徹している。「欧州をリードすべきだ」とせっつかれても、実際にそうすれば激しく非難されることは身にしみて分かっている。それが戦後ドイツが身につけた処世術だ。
戦争の傷跡は容易には癒えないということだ。
(おわり)