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子どもの頃から残業の練習!? ド根性、生産性無視の教育、子育てを見つめなおす

妹尾昌俊教育研究家、一般社団法人ライフ&ワーク代表理事
(写真:アフロ)

 「とにかく長い時間、がんばらないと!」

 こうした発想は、学校でも、家庭の子育てでも、あるいは様々な仕事、職場でもみられる光景ではないでしょうか。

 たとえば、

●志望校に合格するためには、夜遅くまで勉強しないと。

●(部活などで)大会で勝ち進むには、競争相手よりももっと練習しなければ。

●顧客(または上司)の期待、要求もあるし、この資料作成は遅くまでかかってもがんばらないと。 などなど。

 これらに共通するのは、限られた時間で高い成果を出すという発想が弱いこと、言い換えれば、生産性などガン無視だという点です。

 こうした考え方のすべてが悪いと申し上げるつもりはありませんが、いろいろな問題があります。

■自分にとって大切な時間は取れていますか?

 ちきりん『自分の時間を取り戻そう』(ダイヤモンド社)という本はビジネスパーソン向けに書かれたものですが、「生産性」をもっと大切にすることが、自分の時間を取り戻すことにつながる、と述べています。ここでの生産性とは「成果÷投入した希少資源(時間やお金)」という意味です。

 つまり、一生懸命ともかく長く働けばよいという発想、根性論から脱して、限られた時間で一定の成果を上げることを目指そう、そうしたほうが他の時間を自分のスキルアップなどにも使えるし、人生も豊かになるよ、という話です。

提供:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート

 子どもたちはどうでしょうか。

 少々個人的なエピソードになりますが、先日、娘の受験の関係で、神奈川県と東京都の私立高校の案内パンフレットを読みました。各校のコースごとに3~4行(100字強)でPRポイントが書かれてあるのですが、「平日の3日は7時間目まで授業」、「希望者には土曜授業を実施」、「夏休みは午前授業や勉強合宿あり」などと書いている学校がいくつもありました。

 「授業あるなら、夏休みと言えるのかな?」などツッコミどこかはいろいろあるのですが、ここでも、「じっくり時間をかけて、面倒見がよい高校ですよ」という点をアピールしようとしている姿が見えます。限られた時間で成果を出すという発想は見えません。

■早朝や夏休みも補習。つらくてもガマンせよという教育?

 首都圏の私立高校だけの話ではありません。私立と競争している公立高校でも7時間目までの授業や補習がある学校は少なくありません。

 九州の公立高校の一部では、朝課外(通称「ゼロ時限目」)があるところも。これは朝の7時半ごろから、実質的な授業をはじめるもので、生徒にとっても、教員にとっても大きな負担となっています(毎日新聞9/15など)。

 生徒の睡眠不足を助長する、教員のワークライフバランスを崩す(例:保育園への送りができない)など悪影響がいろいろありますし、地元の新聞や議会で問題視されてきた地域もあるのですが、お構いなしで続いている学校もあります(やめた高校もあります)。

 少子化と労働人口減少が進むなか、ひとりあたりの労働時間を長くして対応するのでは限界があります。人間は、疲れ知らずなロボットやAIのようにはいきませんから。日本の労働生産性が他の先進国と比べて低いことについては、様々な説がありますが、ひとりひとりの生産性を高めていくことが重要なことには、ほぼ異論はないと思います。

 ですが、この国では、子どもの頃から、「ともかく長い時間がんばれ」、「将来のために今はガマンせよ」という教育、子育て、あるいは少々意地悪な表現をすれば、”洗脳”をしているのです。

 これでは、社会人になったあと「もっと生産性を高めよ」、「長時間の残業は禁止」などと言われても「そんなの無理」、「人を増やすか、仕事を減らしてくれ」という姿勢になるのは自然なことかもしれません。

■宿題や塾は残業の練習では?

 もちろん、一定の水準まで上達、熟達するにはある程度の時間はかかりますし、長い時間取り組むことが悪いことばかりではありません。ですが、あまりにも効率や生産性を軽視しては、心身の健康にも悪影響が出ますし、勉強や仕事以外の経験が少なくなることは、問題も大きいです。

 臨床心理士の武田信子さんは『やりすぎ教育』(ポプラ新書)のなかで次のように述べています。

貧困家庭の子どもは学力が低いという研究結果は、貧困家庭の子どもの学習支援を盛んにし、放課後には無償の塾が開かれ、子どもたちは昼間の学校の勉強を夜に持ち越して残業することになりました。その時間の分、生活力をつける時間も、休息を取って次の活力をつける時間も減るわけですが、それは問題視されません。(pp.6-7)

 貧困家庭にかぎらない話だと思いますが、塾での勉強、あるいは学校や塾の宿題は、残業のようなものだ、というのは鋭い指摘です。

 ある公立中学校の校長は、わたしにこんな話をしてくれたことがあります。

教員の働き方が過酷だと言うことはずいぶん知られるようになってきたけれど、わたしから見ると、いまの中学生のほうがよっぽど”ブラック”ですよ。朝から夕方まで授業を受けて、そのあと18時、19時まで部活。移動中におにぎりを食べて22時近くまで塾。そのあと学校と塾の宿題をしたり、友達とSNSでやりとりしたり。寝るのは日付が変わったあと。そんな中学生もたくさんいます。

 もちろん、そういう子たちばかりではありません、家でゆっくりゲーム三昧という子もいたりして、様々です。ですが、加重な負担、時間拘束にさらされている子どもたちもいることは確かです。

提供:アフロ

 やっかいなことに、ほとんどの先生や保護者が悪気があってそうしているわけではありません。たとえば、この前の夏休み中にも学校からどっさり宿題を渡されたところもあるでしょう。先生たちは意地悪でそうしているのではなく、子どもたちに復習や学習習慣の定着を進めてほしいという思いからです。

 無自覚もしくは善意だからこそ、誰も疑問をはさまず、ストップがかからないのです。

 これは学校、教師だけが悪いという話ではありません。家庭や行政、社会も加担していることです。

 2000年前後の学力低下論争、「ゆとり教育」へのバッシングのあと、文科省(ならびに教育行政に影響力のある政治家の先生たちや経済界など)は学校のカリキュラムと教科書の分量を増やすことには熱心でしたが、精選するという発想はほとんどありませんでした。約1年前、未曾有の休校が2~3ヶ月続いたあとでも、学習内容を減らすという決断を文科省も教育委員会もしませんでした(次の学年に一部持ち越してもいいという国の通知は出ましたが)。学力低下とまた批判されてはたまらない、そんな考えもあったのかもしれません。

いまの子どもたちは、自由に楽しむ時間や休息が十分に取れているだろうか。こうした視点でこれまでの教育、子育て、政策、社会からのプレッシャーを見つめなおす必要はありますが、生産性無視のガンバリズムのもうひとつの問題は、他人から言われて、義務感からやっているというところにあります。そこに子どもたちの主体性や意思は、あまり重要視されていません。むしろ、他人への依存や指示待ちを増やしてしまうでしょう。

■~ねばらないで時間がかかっているのか、好きなことに没頭しているのか

 関連して、長い時間をかけるといっても、2種類あるとわたしは考えています。

 次の図をご覧ください。ひとつは「イヤイヤもしくは義務感で長い時間がんばる」というもの。もうひとつは、「好きなことに時間を忘れて没頭する」ケースです。

出所)筆者作成
出所)筆者作成

 「イヤイヤ、義務感で長い時間がんばる」のは、受験のために、親や先生に言われたから、といったケースに多く見られます。この場合、他律的です。

 また、受験が終わったら勉強をやめる、もしくは部活を引退したあと、そのスポーツや文化活動からは一切手を引くといったケースが典型的ですが、燃え尽き(バーンアウト)ぎみになったり、生涯にわたって楽しむ、学び続けるといったことにはつながりにくいです。ストレスも高いので、メンタル不調をきたす場合もあるでしょう。

 一方、「好きなことに時間を忘れて没頭する」のは、主体的ですし、精神的にはヘルシーです。スポーツ選手が言うゾーン、あるいは『鬼滅の刃』で言う「全集中の呼吸」もそうかもしれませんが、あることに没頭する、のめり込むことで、高いパフォーマンスを発揮するときがあります。

 最初はイヤイヤだったけど、途中で好きになるケースもあるように、両者の境界はあいまいな部分もありますが、ひとつの分類の目安として捉えてください。

 毎日の時間の過ごし方として、「イヤイヤ、義務感で長い時間がんばる」ということの比重が高くないでしょうか?子どもたちもそうですが、大人のわたしたちも振り返る必要があるのでは、と思います。

 わたしは、子どもの頃から「イヤイヤ、義務感で長い時間がんばる」という時間はもう少し減らして、ぼーっとする時間やしっかり休む時間、あるいは「好きなことに時間を忘れて没頭する」時間をもっと取っていったほうがよいのではないか、と考えています。

 なにを豊かな時間や幸福と捉えるかは人それぞれのところも大きいですが、子どもたちにあまりにも与えよう、与えようとしていないか、その結果子どもたちの時間を大人が奪ってはいないか、見つめなおす必要があると思います。

◎妹尾の記事一覧

https://news.yahoo.co.jp/byline/senoomasatoshi

教育研究家、一般社団法人ライフ&ワーク代表理事

徳島県出身。野村総合研究所を経て2016年から独立し、全国各地で学校、教育委員会向けの研修・講演、コンサルティングなどを手がけている。5人の子育て中。学校業務改善アドバイザー(文科省等より委嘱)、中央教育審議会「学校における働き方改革特別部会」委員、スポーツ庁、文化庁の部活動ガイドライン作成検討会議委員、文科省・校務の情報化の在り方に関する専門家会議委員等を歴任。主な著書に『変わる学校、変わらない学校』、『教師崩壊』、『教師と学校の失敗学:なぜ変化に対応できないのか』、『こうすれば、学校は変わる!「忙しいのは当たり前」への挑戦』、『学校をおもしろくする思考法』等。コンタクト、お気軽にどうぞ。

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