コントレイルで3冠制覇を目指す福永祐一が、7年前の菊花賞で唯一不安だった事とは?
ダービーでは逆転を許す
2012年のラジオNIKKEI杯2歳S(G3)。ここまで2戦2勝のキズナは7頭立ての6番枠からスタートすると、その直後から何度も頭を挙げる素振り。前半の1000メートル66秒フラットという遅い流れに折り合いを欠き、その分、末脚が不発。3着に敗れてしまった。天才・武豊をしても、テン乗りで「うまく乗ってあげる事が出来なかった」と当時、語っていた。
そのレースを勝利したのは福永祐一が騎乗したエピファネイア。これでデビュー以来3戦3勝。母のシーザリオも知る鞍上は、レース後「この馬がどこまで強くなるのか楽しみ」と笑顔で語った。実際、当時のマスコミやファンは角居勝彦厩舎に福永という鞍上から、日米でG1を勝った母を重ね合わせ「翌年のクラシック戦線はこの馬で決まり!!」と盛り上がった。
しかし、翌春、この馬に大きな試練が立ちはだかった。騎乗停止中だった主戦にかわりW・ビュイックが代打で騎乗した弥生賞(G2)は単勝2・3倍の1番人気を裏切る4着。敗因は“折り合いを欠いた”事だった。
世界の名手をしても引っ掛かったエピファネイアは、福永に戻った後も難しいところを見せ始めた。皐月賞(G1)、そして日本ダービー(G1)でいずれも行きたがる素振りをみせ2着に惜敗。とくにダービーではゴール前で一度は抜け出してみせたものの、道中、他馬に乗りかかりそうになるほど折り合いを欠いてしまったため、最後に差されてしまった。掴んだかと思えた刹那、指の隙間からスルリと落ちた偉勲に、福永は唇を噛みつつ言った。
「あれでも“勝てるのか?!”というシーンを作るのだから大した馬だけど、前の馬に乗っかってひっくり返るかと思うほど制御不能になってしまいました。自分が至りませんでした」
ちなみにそのダービーを勝ったのはキズナ。前年のラジオNIKKEI杯2歳Sで折り合いを欠いて敗れた馬だったが、その後、約半年間、武豊が乗り続けると、ダービーでは掛かる事なく、戴冠してみせた。
3冠目の菊花賞で雪辱を果たす
キズナとエピファネイア、双方にカギとなった“折り合い”だが、勿論これはジョッキーだけの問題ではない。騎手が競馬で乗るのはせいぜい2分前後なのだから、むしろ問題はその何十倍もの時間、普段の調教にかかわっている厩舎や牧場が生殺与奪の権を握っていると言って過言ではない。そんな事の分かる言葉を口にしたのが、この年の秋になってからの福永だった。
夏を越したエピファネイアは、神戸新聞杯(G2)を折り合って勝利。管理する角居は「祐一君がエピファネイアの行きたがる気持ちを上手におさめてくれた。コントロールの仕方を手の内に入れた感じでした」と語った。そして、その角居の弁を証明するように、続く菊花賞(G1)でもバッチリ折り合わせると、2着のサトノノブレスを5馬身突き放して快勝。春には手の届かなかったG1のタイトルをいともたやすくエピファネイアに授けてみせた。
しかし、当の福永は次のように言っていた。
「厩舎のスタッフが色々と努力をしてくれて、馬が折り合いを覚えてくれました」
菊花賞前、唯一の不安とは?
春に惜敗を繰り返した時は全て自らの責任とばかり「上手に乗れなかった」と語り、ついに大輪を射止めた秋は、決して自らの手柄とは言わず「厩舎のお陰」と言った。ちなみに当時、菊花賞での不安はなかったのか?と聞くと、彼はニヤリとして次のように答えた。
「5レースで落馬した時は一瞬『菊花賞に乗れなくなっちゃうのか?!』って思いました。不安があったとしたらその時だけ。結局、運が良い事にかすり傷一つせずに済みましたけどね」
今年はそれ以来となる菊花賞制覇に、福永は挑む。コンビを組むのはご存知コントレイル(牡3歳、栗東・矢作芳人厩舎)。無敗の3冠獲りに王手をかけた馬との挑戦は、7年前のエピファネイアの時とは比べ物にならないほどのプレッシャーがのしかかる事だろう。しかし、7年前と違い2度のダービーを制すなど、押しも押されもせぬトップジョッキーとなった男なら、きっと大仕事を成し遂げてくれる。そう信じて、応援したい。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)