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ここに何があったのか?道路脇の松の間に建てられた「謎の石碑」案内板に残された内容に「残念」藤沢市

ころんころライター(藤沢市)

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【プライスレス藤沢】
~藤沢の魅力を再発見~

藤沢市内で見つけたプライスレスな情報シリーズ。105カ所目は藤沢市西富の『旧東海道松並木跡』です。

数日前に開催された、第101回東京箱根間往復大学駅伝競走(通称:箱根駅伝)。関東学生連合チームを合わせた全21チームが参加し、青山学院大学が2年連続で通算8回目の優勝を果たしましたね。藤沢市内のコース沿いにも、多くの見物客の姿が見られました。

その藤沢市内のコースの一部、遊行寺坂の北側に、このような松が植えられた場所があるのをご存知でしょうか?

松の間には石碑と案内板も設置されており、案内板には、以下のような内容が記されています(この石碑ですが、道路側には文字が刻まれておらず、石の存在が何を意味するのか一見謎なのです)。

旧東海道松並木跡
この道は、その昔「東海道」と呼ばれた街道で、江戸時代の浮世絵師安藤広重の描いた「東海道五十三次」には、みごとな松並木が見られます。松並木はその後欝蒼(うっそう)たる大木に成長し、ここ「緑が丘」にふさわしい風情を保っていましたが、1960(昭和35)年頃から全国各地に猛威をふるった松喰虫の被害で無残にも大半が枯れて失われてしまいました。ここに、そのいにしえの面影を偲ぶとともに、いま新たに、花と緑のある近代的な歩道が整備されたことを記念し、この碑を建てます。 平成4年早春 藤沢土木事務所

背景を紐解くと...

藤沢はかつて「遊行寺」の門前町として繁栄。1555年に、北条氏が伝馬(てんま/荷物や人を運ぶ仕組み。律令制では、駅馬とは別に各郡に5頭ずつ常置して公用にあてたのだとか)を設置、1596年には徳川家康が「藤沢御殿」という宿泊施設を建てます。そして1601年、家康が関ヶ原の戦いで勝った後「東海道」を整備し、その途中に「藤沢宿」を設けたと伝えられています。

また、「東海道(西へ続くメインの道)」のほかにも、付近には「大山道(北西に進み大山阿夫利神社や大山不動尊へ向かう道)」、「江の島道(南へ進み江島神社へ向かう道)」、「鎌倉道(遊行寺前から東へ向かう道)」、「八王子道(北へ向かう道)」、「厚木道(北西へ向かう道)」などがあり、これらの道が交わることで、藤沢は人や物が集まり、流通の中心地として栄えていたと想像できますよね。

そんな「藤沢宿」に設けられた「東海道」ですが、戦後まで残っていた松並木も、松喰虫の被害によって大半が失われてしまったのは、何とも残念...。もし今もその松並木が残っていれば、風情ある街並みとして、多くの人々を魅了していたことでしょう。

当時の風景の一部は、三井住友トラスト不動産の公式ホームページ(外部リンク)に記録されています。その面影を伝える『旧東海道松並木跡』は、歴史を感じながら当時の街道の雰囲気に思いをはせることのできる貴重なスポットです。

基本情報
『旧東海道松並木跡』
住所:藤沢市西富678
※駐車場は無いため、行かれる際は公共交通機関をご利用ください。

ライター(藤沢市)

湘南エリアの複数メディアや紙面、昭文社「まっぷるトラベルガイド」などで、記事執筆&撮影を担当。取材スポットは1000ヶ所超え。そんな取材後記や、徒然なるままのゆるゆる日暮らしを、Instagramに綴っています。ほわっとあたたかくなる「神奈川県藤沢市」の情報をお届けできたら幸いです。※毎週日曜の20時10分に、LINEを通じて1週間分の記事を「まとめてお届け (ダイジェスト配信)」しています。友だち追加すると、藤沢市の話題(特に美味しいもの情報)に困りません。

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