ある馬主と良好な関係を築く調教師が「弟子を決して褒めない」理由とは
あるオーナーとの出会い
「褒める事はしませんよ」
調教師の牧光二に、厩舎所属の弟子・木幡巧也の事を聞くと、そう答えた。
実際、当人同士の会話を聞いていると、かなり厳しい態度を通しているのが一目瞭然。木幡も「叱られてばかりで褒められた事はありません」と語る。
しかし、それは愛情の裏返し。話していると、弟子に「より上手になってほしい」という気持ちから来る姿勢であるのが分かる。
「最初は2年前、競馬会主催の懇親会で顔を合わせました」
牧がそう語るのは、石坂茂ラボの代表・石坂茂オーナーとの出会いについて、だった。
「偏屈な自分を自然体のオーナーが気に入ってくれたようで、懇親会のすぐ後に電話をいただけました」
こうして入厩する事になったのが、アイビーサムライオだった。
「サムライオを預かる事が決まった後、巧也も含めて食事をしました」
牧がそう言えば、当時の様子を木幡巧也は次のように述懐する。
「とても気さくなオーナーで、僕の意見にも耳を傾けてくださいました。お陰で全く堅苦しくない食事会になり、話しやすかったです。最後は『ずっと乗ってください』と言ってくださり、応援してくれている感じがよく分かりました」
ある馬との出合い
その後、ブリーズアップセールの会場で、牧は石坂オーナーと再会した。
「申し合わせていたわけではないのですが、たまたま会場で会いました。
すると、偶然にも2人揃って「パイロ産駒の牝馬が気になっている」事が判明した。
「石坂さんは購入する予定ではなかったそうですが、即決購入して、うちに入れてくださいました」
「バランスが良くてスピードがありそう」と感じたその馬がアイビーヒメチャンだった。
デビューは6月15日、東京ダート1400メートルの新馬戦。期待を持って送り込んだ。
「それほど速い時計は出してはいなかったけど、本数をこなし、良い動きをしてくれていました」と言うと、弟子とこの馬との関係を次のように続けた。
「ゲートから出走まで全てを巧也が調整にあたったし、調教師自身のこの馬に対する神経の使い方も彼は見ていたので“勝たなければいけない”という重圧を相当、感じていたのは間違いないです」
こうして挑んだデビュー戦はゲートが開くと軽快にハナを奪ったが、最後に失速をして3着に敗れた。木幡は言う。
「速いペースで逃げた上につつかれたので、捉まってしまいました」
「調教内容から勝ててもおかしくない」と感じていた木幡は、この結果に対し「申し訳ない」と思った。ところが、そんな彼はオーナーの態度に驚かされた。
「3着という結果だったにもかかわらず石坂オーナーが、喜んでくださいました」
2戦目は7月20日の福島競馬。ダート1150メートルの未勝利戦だった。レース前の心境を牧が語る。
「正直、自信がありました。初戦の内容の良さだけでなく、中間も巧也に全て任せていたのですが、更に状態を上げてくれている感じがあったので、大丈夫だと思いました」
一方、木幡は言う。
「厳しい展開だった初戦もギリギリまで粘ってはいたので、使われた今回はもっと好勝負が出来るだろうとは思いました。ただ、兄のケンシンコウもそうだったようですが、急にゲートを拒むなど、難しい面のある馬だったので、不安がなかったわけではありません」
再び牧の弁。
「巧也はオーナーの初勝利がかかっているのも分かっていたので、かなりのプレッシャーを感じていたと思います。自分が彼の立場だったらかなりの重圧に押し潰されたかもしれません」
ところがその手綱捌きは冷静だった。芝からのスタートでも好発を決めると、初戦のように逃げはせず、2~3番手に控える。勝負どころから先頭を伺い、直線に向くと抜け出す。内にササる仕種を見せると左手に持っていた鞭を右へ持ち替えて矯正。最後はクビという着差以上に危な気の無い態勢で、先頭でゴールに飛び込んだ。
「サムライオが初戦で競走中止になっていた件もあったので、石坂オーナーの初勝利を自分で出来て良かったです」
木幡がそう言えば、牧は次のように語った。
「巧也はうちの所属騎手という事で、全ての経緯を知っていました。だから勝てたというのもありますが、同時にだからこそプレッシャーを感じたという面もあったでしょう。そんな中で、未勝利戦といえ、しっかりと結果を出せたのは彼の成長を感じました。確実に任せられる騎手になってきたのは間違いありません」
ちなみにこの時、札幌競馬場でテレビ観戦していたという師匠は「自厩舎の馬で初めて声を出して応援しました」と続けた。
弟子を褒めない理由
そして、忘れてはならないオーナーの存在について、次のように語った。
「石坂オーナーは福島におられたので、すぐにLINEで祝福の連絡をしました。後で巧也から聞いた話では、凄く喜んでくれたそうです」
更に感謝の気持ちを続けた。
「石坂さんは飾らず自然体で、厩舎が良い時でも悪い時でも見守って応援してくださる馬主さんの中の大切な方です。私も巧也もオーナーの期待を裏切らないようにやっていかなければ、と肝に銘じています」
ちなみに「巧也は今でも午後作業も必ず来て、歩様や馬体のチェックにも立ち会って、全ての馬の状態を常に把握しています。厩舎もその直向きな巧也の姿勢に応えたいと皆が思っています」と頬を緩める牧に「では、もう少し褒めてあげても良いのではないですか?」と声をかけると、急に表情を引き締めて言った。
「結果が良くても褒めません。逆に悪いとケチをつけなければいけなくなるから、時間が無駄になります。結果に一喜一憂していたらキリがないんです。大切なのはベストを尽くす事。それをしてくれていれば、結果によっていちいち怒ったり、褒めたりはしません」
今後、オーナーを含めた師弟関係がどうなるのか、見守っていきたい。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)