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【記述式テスト見送り】そもそも、なんのための大学入試改革だったのか、前提を問い直す

妹尾昌俊教育研究家、一般社団法人ライフ&ワーク代表理事
(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

 大学入学共通テストでの記述式問題について、再来年(2021年)からの導入を見送ることが、本日(12/17)発表されました。

 これで、民間の英語試験の見送りとあわせて、大学入試改革は大きな目玉をなくすかたちとなります。

 本稿では、導入見送り自体の是非について論じるつもりはありません。その代わり、この機会に振り返りたいことがあります。

 それは、「そもそも、なんのためにセンター試験を廃止までして、新テストを導入しようとしたのか」です。

■なんのための入試改革だったのか?

 先ほどの問いへのシンプルな答えは、「受験生の思考力や表現力をより高めたいから」ということだろうと思います。

 根拠を示します。今般の入試改革の方向を決定付けた、重要な文書があります。中央教育審議会(文科大臣へ答申する審議会、中教審)の答申、「新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的改革について」。平成26年の12月に出されたものですから、もう5年前になりますね。この答申では、こんな一節があります。

大学入試センター試験は「知識・技能」を問う問題が中心となっており、これからの大学入学者選抜において評価すべき「確かな学力」の在り方(中略)なども踏まえると、「知識・技能」を単独で評価するのではなく、「知識・技能」と「思考力・判断力・表現力」を総合的に評価するものにしていくことが必要である。

 このように、現行のセンター試験は知識を問う問題が中心であったという認識があったわけです。

写真素材:photoAC
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 大学入試改革をリードしたキーパーソン、鈴木寛教授も、こう述べています。

マークシート試験というのは、「人から与えられた選択肢の中から、一つ一つ重箱の隅をつつくように間違いを探して、消去法で正解を選ぶ」という試験です。だから、マークシート試験の訓練をしていると、ミスや欠陥を見つけるのが速くなる。

(中略)(引用者注:そういう能力を磨いても)シンギュラリティの時代にはAIに取って代わられるのです。

だから、新しい学習指導要領や大学入試改革は、AIを使いこなし、AIにはできない、人間にしかできない能力をいかに身につけさせるかを主眼に置いています。また、学習指導要領でも「言語活動の充実」を掲げ、「書くこと」「読むこと」を重視してきました。にもかかわらず、“入試に関係ない”多くの高校の現場では記述・論述に力が入れられてきませんでした。

出典:NEWSポストセブン2019年12月16日

■大学入試改革の前提は、正しかったのか?

 もう少し整理しましょう。記述式試験の導入を含む、今般の入試改革には、少なくとも、3つの前提(あるいは、前提とする事実認識と見通し)がありました。

1)マークシート式では、受験生の思考力や表現力等を試すには不十分である。

2)記述式を導入すれば、思考力や表現力等をもっと試すことができる。

3)大学入試、それも50万人もが受験するセンター試験を改革すれば、高校教育も大きく変わるはずだ。

 さあて、ここで問題。この3つの前提は、本当に正しかった、あるいは確かだったのでしょうか?

 今回のドタバタのなかで、多少関連する話題が出たのが、2)でした。「アルバイトの採点で大丈夫か?」という議論が起きましたが、国語の記述式などで、思考力等を試そうという高度な問題を出そうとすればするほど、採点は難しいものになるし、また、採点者によってブレてくる可能性が大きくなります。逆に、あまりブレない問題を出そうとすると、マークでの選択式のときと大差のない問題になってしまい、思考力等を十分に試せない可能性が出てきます。どちらもイバラの道と言えるかもしれません。

 また、2)については、いまのセンター試験は良問が多いと評価する意見もあります。

 ここではこれ以上踏み込みませんが、1)、2)の前提がどれほど妥当だったのか、再度問い直す必要があると思います。

 とはいえ、わたしが文科省や有識者、また高校の関係者に最も問いたいのは、「3)大学入試、それも50万人もが受験するセンター試験を改革すれば、高校教育も大きく変わるはずだ」です。

写真素材:photoAC
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■大学入試が変わらないと、高校は変われないのか?

 先ほどの中教審答申の別の箇所を引用します。

現状の高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜は、知識の暗記・再生に偏りがちで、思考力・判断力・表現力や、主体性を持って多様な人々と協働する態度など、真の「学力」が十分に育成・評価されていない。

(中略)高等学校においては、小・中学校に比べ知識伝達型の授業に留まる傾向があり、学力の三要素を踏まえた指導が浸透していない

 このように、非常に厳しいトーンで、高校教育へのダメ出しがなされています。

 教育政策の動向に詳しいジャーナリストの渡辺敦司さんも、入試改革の背景をこう指摘します。

(引用者注:経済界等から大学教育への批判が高まったことを背景に)大学教育を変えるには、入学生を送り出す高校側の教育も変わってもらわなければならない。しかし、高校は「大学入試が変わらないと、高校教育は変えられない」と言う。ならば、高校教育、大学教育、大学入試を三位一体で変えよう。そんな問題意識がすべての出発点でした。

出典:国数記述式見送りへ 揺らぐ大学入試改革、忘れられた「高大接続改革」の原点

 同じことは、英語の民間試験導入についても言えます。改革を主導した論理のひとつは、「高校の英語教育は知識偏重になっており、聞いたり、話したりするコミュニケーション力を高めるものになっていない。入試が変われば高校の英語教育も変わるはずだ。」というものでした。

 さて、高校の段階で、生徒たちの思考力や表現力等を高められていない、平たく言えば、「高校教育がヘボい」という批判は、どれほど当てはまるでしょうか?

 怒り出す高校の先生もいそうです。ともすれば、これは、「うちはちゃんとやっている」、「いや、やってないだろ」といった水かけ論になります。

 わたしがすごく心配するのは、文科省や有識者等は、十分に事実をもとに、高校教育の現状を断じてきたのか、どうかです。

■高校教育は大丈夫か?

 他方、高校や教師にも反省は必要だろうと思います。これは傍証ですが、中3生への高校説明会等のときに、高校は何をPRしていますか?

 おそらく、部活動の実績だったり、進路先についてだったり。そうしたウェイトが高い高校が多いのではないでしょうか。授業でこんな工夫をして生徒の思考力等を高めています、そういう正面きった話はできているでしょうか?

 仮にですよ、入試問題がどうなろうが、高校教育の段階で、生徒の思考力や表現力等を相当高められている、ならば、わざわざ高いコスト(莫大な税金と、莫大な関係者の時間)をかけて入試改革をやる必要性は薄いわけです。

 今回のゴタゴタで混乱させられた、高校生と高校の先生たちは被害者です。ですが、高校の先生たちは、被害者づらだけしていても、ダメだと思います。自分たちの授業等がAI時代に必要な力を高めるものになっているのだろうか、そこが問われないといけません。

■入試改革だけが「解」ではない

 以下では、仮に、高校教育の段階で、生徒の思考力等を高めるのに不足がある、という前提にたつとします。

 これに対する問題解決の策は、「入試を改革する」というだけではありません。

 もちろん、大学入試の影響は甚大でしょう。そこは認めます。ですが、入試改革以外に本当に方法はないのかは、よく検討、検証していくべきです。これこそ、思考力が問われます。

 ひとつ思い付くのは、もっと日ごろの授業をみて、高め合うことが、定石のひとつです。先生たちがお互いの授業をみて、あるいは校長や教頭らが見てアドバイスする、フィードバックをかける。小学校の授業改善などはそうして、一定の成果をあげているわけですし、効果が高いという研究も多くあります。ところが、高校では、そういう研修や授業をみあうということが少ないところが多いようです。

 また、高校の定期テストはどうなっているか、そこがもっと問われてもいいでしょう。50万人が一斉に受験する共通テストで、思考力等を問う問題を出すのは限界があります。ですが、個々の学校のテストなら、はるかに小規模ですし、採点も可能です。

 都道府県の教育委員会や教育センター(教職員研修等を担う機関)には、指導主事という、各教科の指導者役の先生たちがいます。そこに、県内の定期テスト等を集めて、良問を分析して、高校間で共有してはいかがでしょうか?また、思考力等を高められていない、問題のありそうな高校には、教委から指導助言を進めたらいいと思います。

 つまり、「入試改革のせいだけにして、高校(ならびに教育委員会等)があぐらをかくのは、よしてほしい」ということです。

 

 「なんだ、大学入試改革の話をしていたのに、高校教育の批判に議論がすり替わっているじゃないか」と思われた方もいるかもしれません。しかし、説明したとおり、入試改革の目的、原点は、高校教育を変えるということにありました。

 拙速な改革はとん挫したわけです。この機会に、「そもそも、改革の前提なり目的の設定に、問題があったんじゃないか」、「入試改革以外にももっとできることはあるんじゃないか」、そういうところまで立ち返り、考えたいと思います。

教育研究家、一般社団法人ライフ&ワーク代表理事

徳島県出身。野村総合研究所を経て2016年から独立し、全国各地で学校、教育委員会向けの研修・講演、コンサルティングなどを手がけている。5人の子育て中。学校業務改善アドバイザー(文科省等より委嘱)、中央教育審議会「学校における働き方改革特別部会」委員、スポーツ庁、文化庁の部活動ガイドライン作成検討会議委員、文科省・校務の情報化の在り方に関する専門家会議委員等を歴任。主な著書に『変わる学校、変わらない学校』、『教師崩壊』、『教師と学校の失敗学:なぜ変化に対応できないのか』、『こうすれば、学校は変わる!「忙しいのは当たり前」への挑戦』、『学校をおもしろくする思考法』等。コンタクト、お気軽にどうぞ。

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