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日中韓首脳会談――中国こそ「歴史直視」を

遠藤誉中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

3年半ぶりの日中韓首脳会談は、開催されたのはいいものの、開催されなかった原因と同じく、中韓からの「歴史直視」要求に終始した。しかし歴史を直視すべきは中国自身であることを中国は知らなければならない。

◆李克強首相の韓国『朝鮮日報』への寄稿

10月31日に中韓首脳会談を行うに当たって、その前日の30日、中国の李克強首相は韓国の新聞『朝鮮日報』に署名入りの原稿を掲載した。概要を以下に記す。

――中韓の友好関係はますます友情深く発展してきた。貿易額も20年前の60倍になり、貿易額は3000億ドルに達している。また観光など、人的交流は毎年1000万人に及び、毎週1000便以上の航空が中韓の間を行き来している。中韓両国は戦略的に協力しながら発展していくことを強化していかなければならない。中韓両国は歴史の大河の中で、命運を共にし、栄辱を共にしてきた。中国は韓国と共に、共同で歴史を銘記していきたい。

おおむね、このような内容だが、「歴史の栄辱を共にし」と「共同で歴史を銘記し」が、日本を指していることは、説明するまでもないだろう。訪韓前に、すでに「対日共闘」のメッセージが発せられていたのだ。

「対日共闘」は、10月28日にソウルに設置された韓国人と中国人の慰安婦を象徴する「少女像2体」によっても象徴されている。

この少女像に関するメールが、盛んにサンフランシスコから筆者の受信ボックスに送られてきているのは、2年後のユネスコの世界記憶遺産登録への共同申請を全世界に呼びかけていることの何よりの証拠だろう。日中だけでなく、国際社会全体に呼びかけて、何としても次のユネスコ世界記憶遺産登録を睨んでいる。もちろん、日本の「戦争犯罪」を世界の共通認識にして、日米関係を強化しているアメリカを弱体化させて、中国が世界ナンバーワンに上り詰めるための長期的戦略だ。

◆中韓首脳会談

10月31日にソウルを訪れた李克強首相は、韓国のパククネ大統領と、大統領府で会談した。中韓首脳会談は、双方のとろけんばかりの満面の笑みの中で、華やかに行なわれた。

CCTVの解説は、「領土問題、歴史問題、そして最近は戦争問題などで日中韓3か国首脳会談は途切れており、そもそも日本を交えた会談には、何ら期待すべきものはないが、それでも開かないよりはいいだろう」という前置きをしてから、中韓首脳会談の素晴らしさを讃えた。

イギリスに次いで、人民元建ての債券を韓国でも発行することや、一帯一路を韓国とともに建設発展させていくこととか、18項目のプロジェクトに関する提携が調印されたことなどが、誇らしげに報道された。また日中韓の自由貿易協定FTAを進めることも確認されたとのこと。中国としては、韓国にはTPPに参加するなど、日米側には付いてほしくないからだ。だから中国を中心としたFTAにより韓国を惹きつけ、日本をアメリカから少しでも離したい。

11月1日の午前中には、李克強首相は韓国企業400社(CCTV発表)との間でフォーラムを開き、歓迎レセプションにおける昼食会でスピーチをしている。企業との歓談であるにもかかわらず、なんと抗日戦争勝利70周年記念に触れて、「外国からの侵略と植民地の歴史を中韓は共有している」と、またもや対日共闘を呼び掛けたのである。

◆日中韓首脳会談後の共同記者会見と日中首脳会談

11月1日の午後に行われた日中韓首脳会談後の共同記者会見で、李克強首相はやはり「3カ国は一致して歴史を直視し、未来志向で歴史の敏感な問題を善処していく」べきであるという原則を披露した。もちろんFTAなどにも言及はしたが、しかし中国の魂胆が丸見えであるため、「歴史を直視」という文字ばかりが筆者には大きく映る。

日中首脳会談でも李克強首相は「こんにちまで3カ国首脳会談が開催されなかった原因がどこにあるか、日本はよくわかっているだろう」と安倍首相に「上から目線で」言っている。しかも、まるで「笑ったら懲罰を受ける」とばかりに、パククネ大統領との会談のときに見せた、あの満面の笑みは完全に消え、暗く厳しい表情を保ったままだ。カメラに撮られるとまずいのである。反日教育を受けて育った、数億におよぶ若いネットユーザーたちに、「売国奴」と罵倒されてしまうからだ。

「戦略的互恵関係という大局に立って、敏感な問題を善処しなければならない」とする李克強首相に、安倍首相は、第一次安倍内閣のときの2006年に「自分が戦略的互恵関係を提唱したのだ」と、せめてもの抵抗を示した。

中国がこの時点で日中韓首脳会談や日中首脳会談に応じたのは、昨日のコラム<南シナ海、米中心理戦を読み解く――焦っているのはどちらか?>に書いたように、IMFにおける特別引出権(Special Drawing Rights:SDR)の構成通貨に人民元を採用する決議をするときに、日本にも賛成票を投じてほしいからである。

そのため東シナ海のガス田開発などに関して対話の再開を約束したようだが、それでもなお、日本に対して「歴史直視」を要求し、高飛車な態度を取り続けることには変わりはない。南京事件の次は慰安婦問題で韓国と手を結ぶのは明らかだ。

安倍首相は70年談話で、こういった負の遺産を子々孫々にまで残したくないという趣旨のことを言ったが、中国のこの姿勢は永久に変わらないだろう。

この負のスパイラルにピリオドを打つには、日中戦争時代に中国共産党軍が何をやっていたかを直視するしかないのである。その真相を浮き彫りにすることによってのみ、「真の日中理解」が生まれる。

歴史認識に関する会話は互いに公開しない約束になっているそうだが、しかし、一連の流れから大方の察しはつくだろう。

闇に葬るようなことではない。

◆中国は自らの歴史をこそ直視せよ

8月25日付の本コラム<毛沢東は抗日戦勝記念を祝ったことがない>や10月13日付の<毛沢東は「南京大虐殺」を避けてきた>にも書いたように、日中戦争時に日本軍と戦ったのは現在の中国ではない。蒋介石が率いる「中華民国」の国民党軍だ。

このとき中国共産党軍は延安の山岳地帯にいて、日本軍との接触を避けていた。国民党軍に追われて延安に逃れ、武器どころか食べるものさえない状態だったのだが、1937年からは国共合作(国民党と共産党が協力して日本軍と戦う戦術)を実施し、国民党の禄(ろく)を食(は)み、武器や衣服まで与えられるようになっていた。

そして8月3日付の本コラム<兵力の10%しか抗日に使うな!――抗日戦争時の毛沢東>に書いたように、毛沢東はやがて国民党軍の蒋介石をやっつけて天下を取るために、兵力を温存していた。

最も有利だったのは、国共合作により、国民党軍の軍事情報をすべて知ることができるという立場にいたことだ。

毛沢東はスパイを派遣して、日本軍や日本の外務省の出先機関と秘密裏に接触させ、知り得た国民党軍の軍事情報を、日本側に高額で売っていたのである。

これ以上の詳細を書くと、出版社に叱られるので、詳細は『毛沢東 日本軍と共謀した男』に譲る。

しかし、こうして誕生した共産党政権のどこに、日本に向かって「歴史を直視せよ」という資格があるのだろうか?

中華人民共和国は、1945年8月15日以降に、「中華民国」の国民党軍を打倒して、1949年10月1日に誕生した国家である。毛沢東は、国民党軍を弱体化させてくれた日本軍に感謝していた。現在の中国は抵抗するだろうし、一部の日本人は中国の怒りを恐れて自分を抑え込むかもしれない。知らないうちに、日本人も中国の主張に洗脳されてしまっているのである。だから日本人自身も、この事実を直視する勇気を持たなければならない。なぜなら、これは事実だからだ。この事実を認めてこそ、真の平和がやってくる。

なお、<毛沢東は「南京大虐殺」を避けてきた>に書いたのは、「毛沢東は南京事件に言及するのを避けてきたという事実」を書いたのであって、筆者は決して「南京事件の有無」に関して言及しているわけではない。もちろんその程度がどのようなものであったかに関しても、いっさい言及していない。この点、一部の読者に誤解を与えたとすれば、お詫びしたい。

中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『中国「反日の闇」 浮かび上がる日本の闇』(11月1日出版、ビジネス社)、『嗤(わら)う習近平の白い牙』、『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』、『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』、『 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など多数。

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