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馬の幸せについて、さらに考えてみた

花岡貴子ライター、脚本&漫画原作、競馬評論家
のんびりと過ごす馬たち(写真:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート)

億単位の資金でも馬を一生遊ばせて飼うのは難しい

 競走馬を引退した馬における議論が、最近さらに活発化している。

 筆者の引退馬に対しての考えは以前にもこのYahoo!ニュース個人に書いたとおりだ。

 日本において、毎年7000頭も生産される競走馬のすべてを一生寿命まで扱うのは現実的ではない。1頭でいいので、自分に関わりのある馬を無理のない範囲で大切にしていくことが大事だと考えている。

■過去記事

競走馬を引退した馬の行き先の現実。そして、引退馬たちの支援について

 引退馬を扱う養老牧場はすでに幾つもあるし、特に他人に知らせないが功労馬として寿命まで養い続けているケースは少なくない。競走を終えた馬が結構に寿命を迎えるまでには10年単位の時間がある。一般人が養老牧場に馬を預けるとして、毎月3万円から10万円ほどの預託料が必要になる。これ以外に具合が悪くなれば獣医に診せる必要があるし、手術となれば軽く百万単位のお金がかかる。仮に億単位のお金があったとしても、一般人が全く経済力のない馬を一生を面倒みるとしたら10頭も満足に看取ることはできないだろう。

馬の立場によって扱う所轄が変わる

 同じ馬でもその馬の立場によって所轄が変るのはご存じだろうか?

 競走馬として生産された馬は、生まれた時から競走を引退するまでは競馬を管轄する農林水産省が所轄となる。競走馬は「畜産農業に係る動物」に該当するのだ。

 競走馬を登録抹消された後、乗馬となった馬たちが置かれる乗馬施設は環境省の管轄下にあり、動物愛護管理法の元、管理される。

 一方、食肉となり肥育場に行く場合は、畜産物となるので農林水産省の管轄下となる。日本の馬肉供給量は平成30年度で9800頭弱で、供給量を確保するために輸入されることもあるという。一時、ダイエットに適した食材として馬肉が注目された時、その取引価格は高騰したが、今は落ち着いたそうだ。また、JRAの管理下にあった馬は衛生的に優れているため、家畜の餌として扱いやすいと聞く。

 そして、競走や乗馬などの経済活動を終えた馬は愛玩動物にあたり、環境省の管轄下で扱われる。種牡馬や繁殖牝馬といった繁殖用の馬や、その役目を終えて功労馬として生産牧場で引き続き飼われている馬は、限られた頭数であれば業とはみなされず愛玩動物として個人や企業に飼われる。ただし、その頭数が多かったり、引退馬に他人が餌を与えられるようにしている場合は"業"とみなされ、その施設に環境省指定の有資格者を置く必要がある。

アニマルウェルフェアとアニマルライツ

 続いて、一般的な動物に対する考え方について紹介する。

 代表的なものはアニマルウェルフェア(Animal Welfare)で、感受性を持つ生き物としての家畜に心を寄り添わせ、誕生から死を迎えるまでの間、ストレスをできる限り少なく、行動要求が満たされた、健康的な生活ができる飼育方法をめざすという考え方である。日本の農林水産省もアニマルウェルフェアを踏まえた家畜の飼養管理の普及に努めている。農林水産省のホームページにも以下の記載がある。

我が国も加盟しており、世界の動物衛生の向上を目的とする政府間機関である国際獣疫事務局(OIE)の勧告において、「アニマルウェルフェアとは、動物の生活とその死に関わる環境と関連する動物の身体的・心的状態」と定義されています。

アニマルウェルフェアについては、家畜を快適な環境下で飼養することにより、家畜のストレスや疾病を減らすことが重要であり、結果として、生産性の向上や安全な畜産物の生産にもつながることから、農林水産省としては、アニマルウェルフェアの考え方を踏まえた家畜の飼養管理の普及に努めています。

https://www.maff.go.jp/j/chikusan/sinko/animal_welfare.html

 経済に貢献する動物においても、その動物にストレスをできる限り軽減させた健康的な生活ができるようにする、という取り組みだ。この考えには、その動物がやがて食用になるために"死"を迎えるものも含まれている。

 一方、アニマルライツ(Animal rights)という考え方もある。

 アニマルライツとは、動物にも権利があり、人間が動物を使ってはいけないという考え方である。動物は人間から搾取されたり残虐な扱いを受けることなく、それぞれの動物本来の性質に従って生きる権利がある、としている。その中には動物を実験、食用に使うべきではない、とする考え方はもちろん、中には動物をペットにすることも動物の権利を迫害している、という考えもある。アニマルライツを強く訴える人の中には競馬そのものを全否定する人もいるだろう。

では、馬の幸せとは?

 馬は言葉を操ることはできないので、自分自身が今の生活において満足しているかを言葉で表現はできない。しかし、態度や顔から、多くの馬たちを扱ってきた人には読み取ることができる、とされている。特に人に対する行動、顔つき、心拍に如実に表れる。

 実際、競走馬の中にはレースで戦うのが大好きな馬もいれば、ゴールが見えると手抜きをする馬もいる。毎日、同じことをさせられて飽きてしまい、競馬しか真剣に走らない馬もいる。競走馬として飼養されること自体にストレスを感じたのか胃潰瘍を発症する馬もいる一方で、トレセンという施設が大好きな馬もいて人に甘えまくっている馬もいる。まぁ、人間と同じで1頭と同じ性格の馬はいないのだ。

 乗馬になったり、引退馬の牧場に引き取られたらその馬は幸せなのか?というと、正直疑問が残る。乗馬施設や馬についての教育機関もその施設ごとに馬の扱い方は大きく異なる。たとえば、朝から晩まで何度も人を乗せ続ければ馬は相当疲弊する。人間と同じで、生きて働いていれば幸せ、という単純な話ではない。

 現実問題として、その動物の管理状態を決めるのはその時の管理者である。仮に他人がある施設の飼養状況を「劣悪」と評価しても、その人に直接的な損害(たとえば、隣家にその施設があり、悪臭によって迷惑をこうむる等)を受けない限りは、そういった干渉は越権行為となる。

 では、改めて。馬の幸せとは何だろう?

 いくら考えても答えは見つかるわけがない。人が羨むエリートコースに乗り続けることが苦痛で仕方ない人間もいるのと同じだ。毎日、乗りなれない人間を背にして働く生活から解放されたい馬もいるだろう。そして、食用にされるために肥育場に送られた馬の中には毎日たくさん食べてゆったりと暮らせることを一生でいちばん幸せに感じる馬もいるはずである。

 強いて言うなら、筆者は先日、SNSで「馬のライフステージにおいてその場所その場所で最大限自分達の手の内にいる間は愛情を尽くしてあげる事が重要」という意見を見て、強い共感を覚えた。毎日、生きている中で精一杯の愛情と幸せを感じながら生きる。明日はどうなるかわからないが、いまこの瞬間の縁を大切に想って生きていく。そこで得た幸福感は、馬も人も、生きとし生けるもの、みな同じではないか、と思うのである。

ライター、脚本&漫画原作、競馬評論家

競馬の主役は競走馬ですが、彼らは言葉を話せない。だからこそ、競走馬の知られぬ努力、ふと見せる優しさ、そして並外れた心身の強靭さなどの素晴らしさを伝えてたいです。ディープインパクト、ブエナビスタ、アグネスタキオン等数々の名馬に密着。栗東・美浦トレセン、海外等にいます。競艇・オートレースも含めた執筆歴:Number/夕刊フジ/週刊競馬ブック等。ライターの前職は汎用機SEだった縁で「Evernoteを使いこなす」等IT単行本を執筆。創作はドラマ脚本「史上最悪のデート(NTV)」、漫画原作「おっぱいジョッキー(PN:チャーリー☆正)」等も書くマルチライター。グッズのデザインやプロデュースもしてます。

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