漫才への憎しみと愛。「レイザーラモン」を衝き動かす情念
HGさん(44)、RGさん(46)ともにピンでも存在感を見せる「レイザーラモン」。若手の頃に吉本新喜劇の舞台にも立ち、プロレスラーとして天龍源一郎さんらと激闘を繰り広げるなど、道なき道を切り開いてきましたが、1日から漫才に特化したYouTubeチャンネル「新春漫才番組必ず呼ばれたいんや!」を開設しました。なぜ今、その選択をしたのか。そこには、漫才への憎しみ、そして、愛が渦巻いていました。
スパーリングの場
RG:1日からコンビのYouTubeを立ち上げたんですけど、新型コロナウイルスの感染拡大で活動がままならないというのも大きな理由でした。
今の売れっ子さんを見てみると、「博多華丸・大吉」さんにしても「千鳥」にしても、1日8本くらいロケをやって、その中で生まれたノリを漫才にもフィードバックしている。
先日も、若手とイベントをしたんですけど、コロナ禍でもYouTubeでしっかり発信をしていた「ニューヨーク」とか、いろいろな番組で“ケンカ芸”をしていた「鬼越トマホーク」は、ネタもすごく面白かったんです。
やっぱり、いろいろ動いて、いろいろな人と話す中で、生まれることは間違いなくあるんだなと。今の状況で、僕らはそこまでのお仕事がないからこそ、自分たちからスパーリングをやっておかないといけない。自らに負荷をかけるものとして、YouTubeと向き合おうと思ったんです。
漫才への“強がり”
HG:じゃ、どんなYouTubeをやるのか。二人で出した答えが、ネタに特化したもの。特に漫才に特化したものとなったんです。
RG:「ジャルジャル」はネタだけを毎日アップして80万人近くまで数字を伸ばしている。その姿を見て、純粋にすごいなと思ったんです。正直、その姿への憧れもあって、完全にネタのチャンネルにしようと。そして、さらに根っこの思いというか、リアルな思いとしては、なんとか漫才の賞をとりたい。そう思ってのことだったんです。
HG:皆さんの中で、僕らが漫才をやってるイメージはあまりないと思います。Rさんは個人で活躍してますし、僕もハードゲイキャラのイメージがまだあると思いますし。
実際、デビュー当初はずっとコントをやってたんです。2000年に「ABCお笑い新人グランプリ」で審査員特別賞をいただいたのもコントでした。
そこから吉本新喜劇に入り、僕がHGキャラでお仕事をいただくようになり、さらにプロレスに行った。いわゆる普通の若手芸人というか、ネタを作って劇場に出て…という形とは全く違う道を歩むことになったんです。
ただ、2011年に賞レースとしての「THE MANZAI」が始まりました。当時も、コンビというより、それぞれの活動がメインだったんですけど、僕らが賞レースに出ていたことなんかもよく知っている当時のマネージャーから言われたんです。「なんで二人でネタをしないんですか」と。
その言葉をきっかけに、じゃ「THE MANZAI」で勝つための漫才をやろうと。そこから漫才に本格的に取り組みました。そして、ありがたいことに、13年の「THE MANZAI」では決勝まで行くことができました。
RG:マネージャーから言ってもらったからこそ、始まった漫才の道ですし、そこは熱いメッセージをもらったと思っています。ちなみに、その後、マネージャーは吉本興業を辞めて、山本太郎議員の秘書になりました。実に、熱い人間です(笑)。
HG:漫才をやるようになって、今一度、考えたんです。「自分たちは、なぜ漫才をやってこなかったんやろう」と。
一つはデビューした頃から憧れていたり、好きだったりした先輩方、例えば「バッファロー吾郎」さんであったり、ケンドーコバヤシさんであったり、「野性爆弾」さんだったり、そういう方々のファイトスタイルに感化されていた。それは多分にあります。
あと一つ、原風景として強烈に残っているのが若手の頃に出たNHKの「爆笑オンエアバトル」でした。
当時、NSC在学中から注目されていた「キングコング」が出場して、その流れで僕らもバーターじゃないですけど、おまけみたいな感じで出ることになったんです。
当然というか「キングコング」はテンポの速いスタイリッシュな漫才で高い点数を取って、オンエア。僕らははっきり言って、完全なる惨敗でオンエアされませんでした。
もちろん、その時の僕らの力不足なんですけど、いわば、後輩の「キングコング」のおまけみたいな流れで出て、そこでこれでもかと負けた。これももちろん「キングコング」が悪いわけでもなんでもないんです。でも、その状況に対する悔しさとか、妙な反骨心、ある種の自己保身みたいなこともあったのか「なんやねん、漫才って!オレらはムチャクチャやったる!!」という心が出てきた。その思いを貫いてきた部分があったなと…。
でも、実は、その思いの裏には漫才への強い憧れがあった。だからこその強がりだった。自分の心ながら、漫才をやりだして、そこで気づいたんです。
RG:あと、思わぬ効果みたいなものもありまして。漫才をやるようになって、劇場だとか営業のお仕事もいただくようになったんです。楽屋でいろいろな人と話したり、その日の出演者と一緒にロケバスに乗って営業先まで行ったり。そんな機会がすごく増えました。
これって、僕らが若手の頃、ほとんどしてなかったことなんです。漫才によって、かなり遅れてですけど、経験させてもらっているなと。それがとにかく楽しいし、その時間がまた次の仕事に生きたりもする。これは意外なポイントでもありました。
二人ならではの漫才
HG:だいぶ遅くからのスタートでしたけど、漫才への思いがどんどん湧き上がってくる。ただ、芸歴的にもう「M-1」は出られない。賞レースとしての「THE MANZAI」もない。
賞レースがあれば、そのために新ネタを作って、単独イベントもどんどんやっていきます。ただ、今はコロナもあってなかなかできない。ネタを作るモチベーションを維持するためにも、YouTubeでネタをアップすることを自分たちに課すことが必要なんだろうなと。
そして、もう「M-1」や「THE MANZAI」という目標はなくなったけれども、関西には上方漫才大賞という大きな賞がある。おこがましいかもしれませんけど、なんとか、それを目指して頑張ろうと思っているんです。
RG:全ては漫才のため。そう考えています。
HG:ただ、漫才をやる上で大変なこともあります。僕で言うと、HGのイメージが強いし、Rさんもピンでやっているイメージが強い。その二人が普通にスーツを着て出てきただけで、お客さんがザワザワしたりもするんです。普段とイメージが違うから「どう見たらいいんだ」と。今までの蓄積が、漫才の場においては“違和感”という形で出てしまうというか。
でも、その蓄積は僕らにとっては一つ一つが力の源になっていますし、あまりない道を歩んできた僕らだからこそ、出る味は必ずあると思っています。実際、漫才をやり始めて7~8年でだいぶ違和感もなくなってはきましたし、逆に、新喜劇での経験やプロレスなどが漫才に生きているところもたくさんあります。そこを活用して、僕らの漫才の形をお見せしていきたいなと思っています。
RG:究極は「ミルクボーイ」の漫才みたいに独自のシステムを作ることですね。それを作れば、強いですから。
HG:本来“あるある”はRGさんが見つけた素晴らしいシステムなんですけどね。ただ、これが配信となると、翼をもがれるんですよね。
RG:“あるある”は基本的に歌ネタなんですけど、配信となると、権利の問題で歌ネタは全くできないんですよ。今まで磨いてきた技ではあるんですけど、オンライン的な世界ではルール的に禁じ手になってしまうんです。
なので、次なる武器としてモノマネの方にシフトを考えたりもしたんですけど、細川たかしさんも歌ネタだし…。今はクイズ王の伊沢拓司君とか、あとはサンケイスポーツの森岡真一郎さんとか、歌を伴わないモノマネをやるようにしてるんですけど、そこを主武器にするのはなかなか難易度が高くて(笑)。
だからこそ、幾重にも漫才を軸にしていく。そこで結果を出す。そのためにも、まずは漫才をやっている僕らをしっかりと発信していきたいと思います。
(撮影・中西正男)
■レイザーラモン
1975年12月18日生まれで兵庫県出身のHG(本名・住谷正樹)と74年6月8日生まれで愛媛県出身のRG(本名・出渕誠)のコンビ。住谷は同志社大学、出渕は立命館大学でプロレス同好会に所属し交流が始まる。97年、お笑いコンビ「レイザーラモン」を結成。二人とも社会人を経験した後、吉本興業のオーディションを経て芸能活動をスタートさせる。吉本新喜劇を経て、住谷のHGキャラがブレーク。2005年には決めゼリフ“フォー!”が「ユーキャン新語・流行語大賞」でベスト10入りを果たした。コンビでプロレス団体「ハッスル」に参戦し話題となる。「今宮子供えびすマンザイ新人コンクール」福笑い大賞、「ABCお笑い新人グランプリ」審査員特別賞などを受賞。13年には「THE MANZAI」で決勝に進出する。今年8月1日からコンビのYouTubeチャンネル「新春漫才番組必ず呼ばれたいんや!」を開設した。