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元スパイが英国を去ることになったわけ 「烙印」は消えないのか

小林恭子ジャーナリスト
「ブレザード」主催のイベントに行ってみた(ウェブサイトからキャプチャー)

 国際テロ集団「アルカイダ」の元メンバーで、後に英情報機関「MI6」のスパイとなったエイメン・ディーン(彼の人生については、前回の記事をご覧いただきたい)。

 2006年にその素性が暴露されてからは、テロ撲滅のための専門コンサルタントとして世界各国の政府や企業にアドバイスを提供すると同時に、ポッドキャスト「Conflicted(矛盾して)」で中東の歴史や政治の動きを世界情勢とからめて伝えてきた。

 2015年には英国籍を取得。スコットランド・エディンバラに妻とともに居を構えた。長女が生まれ、名門私立校聖ジョージ・スクールに入学させた。順風満帆の人生になるはずだった。

 しかし、「元アルカイダ」という過去がディーンと家族の足を引っ張る。娘が通う学校から「差別的な待遇を受けた」と主張するディーンは、スコットランドの教育の質を高めるための組織(Registrar of Independent Schools)に苦情を申し立てた。学校側も事情説明の報告書を提出した。もし学校側の対応に問題があったとなれば、教育政策や統治の見直しが求められる。

 ディーン一家は英国を離れることを決め、これまでの経緯を英高級紙「ガーディアン」に語った。その内容は保守系高級紙「タイムズ」でも報道され、注目を集めた。

英国と人種差別

 筆者は「Conflicted」のリスナーの一人で、ディーンの娘の学校事情を聞いて、驚くと共に英国を去る決断にまで達したことに大変残念な思いがした。

 英国の情報機関のスパイとして数千人の命を救った人物が、英国から「追われる」ようであってはいけない、という思いがあった。

 元アルカイダのメンバーで、MI6のスパイになったという経歴で中東に戻れば、「裏切り者」として家族全員の命を危険にさらすことになるのではという懸念もあった。

 筆者はディーンのツイッターに「英国を去らないでほしい」、「ロンドンに引っ越してはどうか」というメッセージを送った(返事はなかった)。

 スコットランド発のポッドキャスト「Blethered(おしゃべりをした)」主催のトーク・イベントに、ディーンが中東に戻る前の「最後の出演」をすることを知り、筆者はイベント開催地スコットランド・グラスゴーに向かった。

 舞台上にキャスターのショーン・マクドナルドと登場したディーンは、「Conflicted」での掛け合いをほうふつとさせるようなジョークを振りまきながら、「英国を離れ、中東に移動する」という予定は変わらないと話した。(その模様は「ブレザード」で、パート1パート2で配信された。)

 イベント終了後ディーンに取材を申しこみ、9月上旬、ロンドン市内で話を聞いた。

ディーンとの会話

 スコットランドではなく、例えばロンドンに移動する、あるいは学校を替えるという選択肢はなかったのでしょうか。

ディーン:一滴の毒が入れば、すべてが汚染されてしまう、という言い方があります。たった一人の親が(元アルカイダの自分に対する)怖れを煽りたてれば、みんなが怖れを感じてしまうのです。

 英国籍を持っていれば、差別的待遇への怒りは特に強くなるのではないでしょうか。「英国人」として平等に扱われるべきですし、もちろん、どこの国籍であっても、一人の人間として差別的待遇を受けるべきではないでしょう。

 おっしゃる通りです。私たち一家はここ英国に帰属しているはずでした。差別的待遇を受けた後、私と妻は、果たして自分達がここに帰属しているのだろうかと疑問を感じるようになりました。

 エディンバラは国際的な都市で、大学もあります。ですので、ここに住む人は知的に行動するだろうと思ったのです。しかし、残念なことに(この学校は)当てはまりませんでした。

 具体的にどのような待遇を受けたのでしょうか。

 過去8か月間、私が車で娘を学校に連れて行く際に、ほかの生徒とは20分から30分遅い時間に到着するようにいわれました(注:英国では9歳未満の児童は親が通学の送り迎えをする)。帰りも同様です。

 ほかの生徒よりも遅く通学する理由として、学校側は「治安上の問題」と言いました。私は疑問を感じました。娘が入学する前に、英国の国防関係者が学校に対し、親である私には治安上の危険性はないと保証していたからです。

 私たちは学校側と対立しないよう努めてきました。でも、「対立を避ける」という行動が利用されたように感じています。

 例えば?

 ある時、娘の学校の校長(現在は別の学校の校長)がこう言いました。「私は娘さんのことを心配している。将来、あなたの過去についての記事を読んだら、どう思うでしょう」。つまり、私の娘は私を恥に思うべきだと言いたかったのです。「ではどうしたらいいのでしょう」と言いたかったですが、言いませんでした。こちらからの答えを期待した言葉ではなかったからです。

 また、私たちは息子を娘と同じ学校の保育園に入れようとしたのですが、学校側は拒絶しました。当初は「問題ありません、お子さんを連れてきてください」と言われました。査定をするために4月に来てください、と。

 4月になって訪れてみると、学校側からは副校長と保育園部の責任者が部屋に座っていました。この時、「あなたの息子は自閉症だから、受け入れることはできません」と言われました。でも、保育園にはすでにダウンシンドローム症の子供や自閉症の子供がいることを知っていましたので、私たちは意図的に排除されたように感じました。この時、「すでに自閉症をかかえた子供たちがいますよね」と言いたかったのですが、言いませんでした。対立を避けたかったからです。

 こちらが黙っていると、副校長の女性がこう言いました。「劇的な解決法があります。国を離れることを考えてはどうでしょうか」と。そして、こう聞かれました。「エディンバラに留まる理由は何なのでしょう」、「中東諸国ではあなたの息子のような子供に素晴らしい教育を施しているのではないですか」と。

 隣に座っている妻は何も言いませんでしたが、傷ついているように見えました。学校を出て、子供と一緒に自宅に帰ろうとするとき、妻がこう聞いてきました。「私たちはここに帰属していると思う?」と。「非常に愚かな人々によると、そうではない」と答えました。

 それでも、娘さんの方は入学できていたわけですよね。学校側が態度を硬化させるようなきっかけはあったのでしょうか。

 2001年の米国大規模中枢テロ事件(「9・11テロ」)から20年ということで、21年秋に英国のテレビがドキュメンタリー番組を作りました。その中で私は元アルカイダとして出演したのですが、これがきっかけで学校の親たちの間で私の過去が広く知られることになりました。

 そこで親の一部が私を「怖い人物」として煽り立てて、学校側は私が娘を通学させる時、ほかの生徒や親と一緒にならないよう、20分、遅れて学校に到着するようにと言ったのです。

 親同士が参加するワッツアップグループ内でのやりとりも、関係が崩れた一因と聞きましたが。

 そうです。17−18人ぐらいの親たちが使う私的なワッツアップグループで、学校側は関与していなかったのですが。

 娘がほかの生徒よりも遅く学校に来ることが話題に上りました。そこで私は、私が車で娘を学校に連れてくると、しかめ面をこちらに見せる親が2人いましたので、「2人の偏屈な親が醜い人種差別主義者の顔を見せたからだ」、と書きました。「あなたたちは間違った人物と対応している」、とも(注:「間違った人物と対応している」という表現は、報復するぞ、という脅しと受け取られる場合がある)。

 そこで親たちが学校に行き、「この人物が学校に来ることについて、心穏やかではない」、と言ったのです。私の物言いが「脅しの表現だ」、「私たちは女性だが、彼は男性だ。彼は元テロリストだった」、と。

 この後、校長から手紙が届き、私は学校に行くことを禁止されました。家では私だけが運転免許証を持っていることを校長は知っていて、禁止したのです。

 娘さんはどう思っていたのでしょう。

 娘は何かおかしいと気づきだしました。遅く到着するように言われたので、朝の集会に出られない日が出てきたのです。「どうして皆と一緒に集会に出られないの」と聞いてきました。「お前は特別だからだよ」と説明しましたが、次第におかしいなと思うわけです。友達の誕生パーティーにほとんど招待されなくなりました。例外の友人家族はいましたけれども。

 9年前に結婚した妻は、あまりにもストレスが大きくて、自分自身に話しかけることもありました。あんな様子は見たことがなかったです。

 そして、学校を去ることになるわけですね。

 私たちは学校に伝えました。「娘は学校を離れます、私たち一家は英国を離れます」、と。でも、私は校長にメールでこう書きました。「昨年10月、警備体制について話があったとき、学校側が私たちを歓迎するとは思わないでほしいと言いましたね。そこで私は、「あなたは人種差別主義者ではないかもしれないが、人種差別を可能にする人ですね」、と言ったのです。この後、学校から連絡が途絶えました。

学校側の反応

 夏休みを前にして、ディーンの娘の通学も後1週間残るのみとなった。

 ディーンは再度、学校を訪れることを学校側に打診してみた。学期の最終日にはどの子供の親も学校に来るのが慣例だったからだ。妻が学校に聞いてみると、訪問は当初許されなかったが、ディーンは校長と話し合う機会を得た。

 ディーンは校長に対し、「私には治安上の恐れがないという手紙を親たちに書いてほしい」と懇願した。「すでに(国内の治安情報を収集する)MI5が学校側に対し、私の存在に治安上の問題はないことを保証しています」。娘を普通の学校生活に戻すことがディーンの願いだった。

 しかし、願いは聞き入れられなかった。校長はディーンを「暴力的な人物」と見ていた。

 ディーンは校長に「私は実際の暴力の現場を見てきた。子供がレイプされ、殺される場面を見た。私が暴力的だというのは、暴力の犠牲者になった人への侮辱ではないかと思う」。

 校長はディーンと妻に向かって、「あなたはアルカイダだ」と言ったという。ディーンは思わず、「アルカイダだった、と言いましたか。それとも今、アルカイダ、だと?」と言い返していた。

弁護士は

 ディーンは弁護士に相談した。学校側がディーンに送った手紙の中でディーンを「暴力的」と表現したこと自体が「違法だ」と言われたという。

 ワッツアップで、ディーンが「暴力的」と後に解釈されたメッセージを送った時、「その人自身に暴力的であった記録が必要」だが、ディーンは「逮捕されたことも、起訴されたことも、裁判にかけられたこともない。暴力的であったという記録がない」。現在のディーンを「暴力的」と解釈することは、「違法なプロファイリング(推定)」になる、という。

 またワッツアップは暗号化されたメッセージの行き来であるため、参加者の一人ディーンの合意なしに学校にその内容を伝えるのは「データ利用の違法行為」だと弁護士はいう。

 学校側が何らかの理由で保護者の来校を制限する、禁止することはあり得るが、その場合でも、両者の言い分を聞く必要があるため、片方の側(苦情を報告した親)だけの依頼で、ディーンの立ち入りが停止されるのはおかしいという。

「数千人の命を救った」が

 イラク戦争、アフガニスタン戦争で従軍し、2015年に政界に転じたトム・トゥゲンハート下院議員(現政権で国防問題閣外大臣)は、ディーンを「英国を守った、最も勇気ある人物の一人」と評し、学校による待遇に「大きな懸念を覚える」とツイートした。

 英軍で軍事情報を担当していたトゥゲンハートはディーンをよく知る人物だ。トゥゲンハートは、スパイとなったディーンが数千人の命を救ったという。ニューヨークの地下鉄への化学兵器による攻撃を未然に防いだばかりか、アルカイダの爆発兵器のマニュアル約800ページを英情報機関に流した。複数の自爆テロや米海軍への攻撃を防いだのも、ディーンの功績によるものだった。

ガーディアン紙による取材を学校は拒否

 ガーディアン紙はディーンの話を聞いた後、公平な報道をするために学校側に取材を試みたが、協力を拒否された。しかし、非公式にガーディアンに返答を出した。

 ガーディアンの報道によると、学校側はディーンの要求を満たすために、大きな努力をしたと説明したという。ディーンは「法外な要求を突き付けた。学校に近寄らないようにという礼儀正しいお願いは、『禁止』という意味ではなかったのに」。

 筆者は、ディーンの話を聞きながら、「他の親よりも20分遅く、子供を連れてくるように」、「学校に近づかないように」と学校側から告げられて、数ヶ月、これに応じたこと自体に驚いていた。おそらく、他の親だったら、最初の依頼があった時点で、「差別的」として怒りが沸騰し、要求に応じないばかりか、学校側を訴えるだろう。

 元アルカイダという、いわば「アキレス腱」があるディーンならば、「20分、遅く通学させる。迎えも20分遅くする」という学校側の依頼を「受け入れるだろう」という想定が学校側にあったのだろうか。

 ディーンは元アルカイダのメンバーであったけれども、「現在、治安上の恐れ・危険性はない」と英政府当局が保証し、学校側がこれを受け入れた結果として娘が入学できていた。ディーンは英国籍を得ており、他の英国人同様の権利がある。

 学校側は保護者に電子メールを送った(ガーディアン報道)。「私たちに向けられた申し立てに非常に強く異議を唱える」、「我が校は真に心地よく友好的なコミュニティである」、「1888年の創立以来、平等と内包を学校の中心に据えてきた。わたしたちの価値観とやり方がこのように不正確に描写されたことに深く困惑している」。

なぜ学校の依頼に応じていたのか

 屈辱的な扱いを受けながら、なぜディーンはすぐに学校を替える選択をしなかったのか。「子供は英国しか知らない。だから、英国の教育の中で育てたかった。彼女の母語は英語だ。英国の生活を続けることが、子供にとって、正しいことをしていると思った」。

 当初、筆者はディーンがロンドン、あるいは他の地域に引っ越せばいいのではないかと思っていた。しかし、英国内のどこに行っても、何かがきっかけとなって、同様の事態が発生しないとは限らない。

 アルカイダの内部にいながら、MI6のスパイとして情報を伝え、いくつものテロ事件を未然に防いだディーンだが、「元アルカイダ」の烙印がついて回る。

 ディーンがメディアに一部始終を語ったのには、理由があった。

 「私は、全力を尽くして、子供のために正しいことをしたい。ほかの子供たちが決してこのようなことを経験しないようにしたい。絶対に同様の事態が起きないように」。

 インタビューもそろそろ終わりに近づいた。

 数々のポッドキャスト出演の中で、笑いが充満しているのはなぜかと聞いてみた。コーランを暗記した十代、そして元アルカイダであった時も含めて、ディーンはいつもあのように冗談を連発する人物であったのか。それはなぜか。

 「ユーモアは重要だ。魂を治癒する。私は、これまで、十分に恐ろしい光景を見てきたけれども、私自身がハッピーでなかったら、どうやって子供を育てられるのか。娘のためにも、自分はハッピーでなければならない」。

 ユーモアを維持し、英国を去るまでに至っても、明るく見えるのはなぜか。どうやって生き続ける力を保っているのか?

 「今まで、多くの死や破壊を目にしてきた。もし誰かが私と同じ人生を歩んでいたら、頭にピストルを突き付けるだろう、と言われたことがある」

 「私は小さい頃から、私たち全員に神が決めた道があると信じてきた。その理由は分からない。そこに行って何が起きるのかも分からない。ただ、すべてに理由があって発生しているのだ、と考えてきた。時として、悪いことが私の身に起きる。生き延びるはずではないのに、生き延びる。それがあらかじめ決められたその人の人生なのだと思っている」。

 インタビューの翌日、ある中東の国に一家は旅立った。

 今頃、「数字に強い」というディーンの娘は新しい学校で勉強しているはずだ。

ディーンのTwitterアカウント(ウェブサイトよりキャプチャー)
ディーンのTwitterアカウント(ウェブサイトよりキャプチャー)

ジャーナリスト

英国を中心に欧州各国の社会・経済・政治事情を執筆。最新刊『なぜBBCだけが伝えられるのか 民意、戦争、王室からジャニーズまで』(光文社新書)、既刊中公新書ラクレ『英国公文書の世界史 -一次資料の宝石箱』。本連載「英国メディアを読み解く」(「英国ニュースダイジェスト」)、「欧州事情」(「メディア展望」)、「最新メディア事情」(「GALAC])ほか多数。著書『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、共訳書『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)。

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