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大相撲9月場所で奮闘の大関琴櫻 師匠の佐渡ヶ嶽親方が「横綱になれる」断言する理由とは 荒磯親方と語る

飯塚さきスポーツライター/相撲ライター
トークイベント後の佐渡ヶ嶽親方(写真右)と荒磯親方(写真:すべて筆者撮影)

大相撲9月場所は、今日からいよいよ終盤戦。関脇・大の里が連勝街道をひた走り、ついに初日から10連勝の二桁勝利を挙げた。このまま優勝すれば場所後の大関昇進もあるとして大注目を浴びている。そんななか、静かに闘志を燃やしているのが、今場所出場者の最高位、大関・琴櫻である。

7日目には、国技館恒例の「親方トークイベント」に、師匠であり父である佐渡ヶ嶽親方(元関脇・琴ノ若)と、同じく部屋付きの荒磯親方(元関脇・琴勇輝)が登壇。期待のかかる部屋頭について、イベント内とその後のインタビューで語っていただいた。

目標は「東西の横綱を育てたい」 先代と交わした約束

去る9月14日、大相撲9月場所7日目。両国国技館内の相撲博物館で行われた「親方トークイベント」に、佐渡ヶ嶽部屋の師匠であり協会の広報部長でもある佐渡ヶ嶽親方と、同部屋の荒磯親方が登壇した。先代の師匠(元横綱・琴櫻)から現師匠へ代替わりした直後の一番弟子である荒磯親方が、進行を務める形で行われた。

師匠に現役時代の懐かしい話を振る荒磯親方。2005年5月場所9日目、相撲巧者・安美錦と対戦した当時前頭の琴ノ若は、投げの打ち合いになって最後は顔から土俵に落ちた。軍配は安美錦に上がったが、安美錦の髷が先に土俵についており、軍配差し違えで琴ノ若が勝利。しかし、右の顔面はひどい流血で、すぐさま帰って処置をしたという。

「『手をつくな』とは、先代の教えでした。ただ、当時私は体重が180キロありまして、その重さがすべて自分の顔に乗ったわけですからね。取り直しになったらもう取れないなと、そのときは正直思いました。でも、手当てしたときにきちんとワセリンを塗って処置したからか、傷は5日くらいで治ったんですよ。ご覧の通り、跡も残らずきれいに治りました」

イベントで、自身の現役時代から師匠として指導する現在に至るまで、あらゆる質問に答えた佐渡ヶ嶽親方
イベントで、自身の現役時代から師匠として指導する現在に至るまで、あらゆる質問に答えた佐渡ヶ嶽親方

現在の土俵には、その息子であり先代の師匠の孫でもある琴櫻が立っている。「いま対戦してみたい現役力士は?」の質問に、照れくさそうにしながらも息子の名を挙げた佐渡ヶ嶽親方。

「自分とも取り口が似ているんです。本人は先代と私の両方の相撲を取り入れたいと言っていますが、私のは参考にしなくていいんですけどね。先代は、まわしを取ってからの引きつけやおっつけ、ぶちかましも強烈でした。絶対に真似できなかった。いまの(琴)櫻は、負けた日や勝っても納得のいかなかった日は、部屋に帰ってから一人で黙って四股を踏んでいます。本場所では、そうやって頑張っている力士一人ひとりの姿を見てほしいと思います」

また、イベントの最後には「東西の横綱を育てたい」という夢も語った佐渡ヶ嶽親方。同部屋から誕生した横綱は、先代の師匠ただ一人だ。

「横綱を育てる。それは、亡くなった先代との約束なんです。私が定年退職するまで、あと約9年。その間に横綱を育てて、先代との約束を果たしたいというのが、私の長年の目標です」

イベントに参加した約30名のファンとの握手や写真撮影などの交流を楽しみ、佐渡ヶ嶽親方にとっては初のトークイベントが盛況裏に幕を閉じた。

金メダリストの活躍も後押し 大関の可愛らしい幼少期も

イベント終了後、登壇した両親方にインタビューを行った。

――お二人とも、トークイベントお疲れさまでした。初めてご登壇された佐渡ヶ嶽親方は、やってみていかがでしたか。

佐渡ヶ嶽 最初、実は緊張しました。喋りが下手でね、人前に出るのは向いていないんです。だから、勇輝(荒磯親方)に任せておこうと思って。

荒磯 師匠、「飴持っていっていいかな」「コーヒー持っていっていいかな」ってずっとソワソワして、もちろん大丈夫ですよって言ったのに結局全部持っていくの忘れましたもんね。

――本当にちゃんと緊張されていたんですね。しかし、国技館でファンの方と触れ合う機会はあまりないと思います。

佐渡ヶ嶽 はい、うれしかったですよ。皆さんといろいろとお話ができたので。

トークイベントの様子。「緊張していた」と言う佐渡ヶ嶽親方(写真右)と、完璧な時間配分と軽快なトークでそれをサポートした荒磯親方
トークイベントの様子。「緊張していた」と言う佐渡ヶ嶽親方(写真右)と、完璧な時間配分と軽快なトークでそれをサポートした荒磯親方

――お二人は、部屋の師匠とその部屋付き親方として、普段はどのように指導の役割分担をされていますか。

佐渡ヶ嶽 特に決まっているわけではないけど、みんなが一度に同じ子にあれこれ言わないようにはしています。勇輝が何か言っていたら私は言いません。

荒磯 基本的に、自分は「師匠の言っていることを聞きなさい」と促すガイド役。あとはもう、挨拶しなさいとか返事しなさいとか、相撲以外の生活面のことを言うことが多いかな。力士といえども相撲だけじゃないから、どこに行っても恥ずかしくないような人間を育てたいというのが師匠の願いだと思っているんです。

佐渡ヶ嶽 そうだね。「佐渡ヶ嶽部屋の力士なら大丈夫」と、周囲の皆さんにかわいがっていただけるような力士を育てたい。礼儀正しさや素直さ、そういったどこへ行っても通用する力をつけてもらいたいと思っています。

――大事なことですね。今年の2月には、パリオリンピックのレスリングで金メダルを取った日下尚選手が部屋に出稽古にいらしていたそうですが、どんな刺激がありましたか。

佐渡ヶ嶽 櫻だって(琴)勝峰だって、励みになっていると思いますよ。世界で金メダルを取るって、日下選手はどれだけ厳しい稽古をしてきたのか。並大抵ではない努力をしたはずです。私は柔道経験があるので、試合の映像をよく見るんですが、阿部詩選手が大泣きしたのを見て、私も泣きそうだった。弟子たちにも、YouTubeでオリンピックを見たほうがいいよと言いました。他競技で頑張っている選手たちの活躍を見ると、自分にとっても得るものがあるよ、と。

――他競技の選手との交流も経て、現在大関(琴櫻)の調子や部屋での様子はいかがでしょうか。

佐渡ヶ嶽 彼には自分のペース、ルーティンというのがあって、それを崩さずここまでやってきています。櫻は、それこそ琴奨菊(元大関、現・秀ノ山親方)や勇輝に稽古をつけてもらって上がってきているので、次は自分が下を引っ張り上げないといけないというところが見えるようになってきました。順番ですからね。巡業地でも、巡業に参加した部屋の力士たちを集めて話をしたようです。それを聞いて、稽古に打ち込む姿がだいぶ変わってきたなと思いました。

――大関が幼い頃から見ている荒磯親方にとっても、感慨深い思いがあるのでは。

荒磯 そうですよ。最初に会ったときはまだ小学生だったんですから。わんぱく相撲で負けてしょんぼり帰ってきて、いつまでくよくよしているんだ!って、お父さんである師匠に叱られて、みんなで中華屋さんに行ったんです。好きなもの食えよ!って師匠が言ったら、将且(まさかつ・琴櫻の本名)が下を向いたまま「僕、ピータン」って(笑)。自分は田舎の出身で、ピータンなんて何か知らなかったんですよ。ピータン?何ピータンって?って、それが衝撃的でした。

佐渡ヶ嶽 よく覚えているね(笑)。将且は、離乳食が終わった後の2歳になる前くらいかな、焼肉屋に連れて行ったら「コブクロ、塩で」って言ったことがあったな。それが一番びっくりしたよ。

荒磯 それは…やばい…(大爆笑)。

――さすが、幼い頃から大物だったんですね。そんな彼が、いまは大関として角界をけん引しています。師匠は「東西の横綱を育てたい」とおっしゃいました。ずばり、琴櫻関は将来、横綱になれますか。

佐渡ヶ嶽 なるための努力をしています。本人は大関で終わりたくないって言っているんです。僕らは関脇で終わっちゃったけどね。櫻は僕と違って、負けて帰ってきたら部屋で四股を踏んでいる。目指しているところが違うと思います。

――心強い師匠のお言葉。私も信じて応援しております。お二方、このたびもお忙しいなかありがとうございました。

スポーツライター/相撲ライター

1989(平成元)年生まれ、さいたま市出身。早稲田大学国際教養学部卒業。ベースボール・マガジン社に勤務後、2018年に独立。フリーのスポーツライター・相撲ライターとして『相撲』(同社)、『Number Web』(文藝春秋)などで執筆中。2019年ラグビーワールドカップでは、アメリカ代表チーム通訳として1カ月間帯同した。著書に『日本で力士になるということ 外国出身力士の魂』、構成・インタビューを担当した横綱・照ノ富士の著書『奈落の底から見上げた明日』。

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