「スコア改ざん、10年出場停止」をどう咀嚼する?
「スコアを2打改ざんし、10年間の出場停止」――日本のプロゴルフ界で起こった驚きの“事件”に、思わず耳を疑った。
下部ツアーの「太平洋クラブチャレンジトーナメント」最終日、20歳の斎藤拳汰が、マーカーである同伴競技者が記載したスコアカードの一部を、こともあろうに消しゴムで消して修正し、実際より2打少ないスコアを書き入れて提出。その事実が判明し、日本ゴルフツアー機構(JGTO)は斎藤に10年間の出場停止処分を下した。
この報道を耳にして、私が驚かされた点は2つ。まず1つは、下部ツアーとはいえプロを名乗るゴルファーが、「ゴルフの根本精神」に当たる部分を、もちろん本人は秘かに行なったつもりだったのだろうが、ここまで真っ向から冒したという行為、事実には驚かずにはいられなかった。そして、もう1つは「10年間の出場停止処分」を決めたこと、そしてそれが公表されたことだ。
【ゴルフの精神って、何だ?】
米ツアー、あるいはメジャー4大会や世界選手権シリーズといった世界の舞台において、ルールやスコアにまつわる“事件”や“騒動”が起こらないかと言えば、その逆で、実にさまざまな問題が起こり、ときには激しい物議を醸す。
だが、その際に取り沙汰されるのは「ボールが動いたかどうか」「ある行為がライの改善に当たるのかどうか」「あるゴルフ規則がその状況に適用されるのかどうか」といった具合いで、判断が難しいシチュエーションだからこそ物議を醸すのである。
スコアの過少申告によって失格になった過去の例、罰打を科された例は世界のゴルフ界に数多(あまた)ある。が、それらは「誤記」であって「改ざん」ではない。
ゴルフはレフリーのいないスポーツであり、スコアであれ、ルール違反であれ、たとえ自分の得にはならないことであっても正直に申告することは、紳士淑女のスポーツであるゴルフの根本精神である。大切なその精神を一般ゴルファーに伝えるべきプロゴルファー、アマチュアの範となるべきプロゴルファーが、その根本部分に背く行為を行なったのだから、その責任は非常に重い。
今年、欧州ツアーで、こんな出来事があった。BMW―PGA選手権に出場していたアーニー・エルス(南ア)のボールがバンカー際の土の中に深く埋まってしまい、エルスは自分のボールかどうかを確認するため、ルールに従って埋まったボールを一旦取り出し、自分のボールであることを確認後、元の埋まった状態に戻した。
そして打ったら、そのままカップに転がり込み、チップイン・イーグル達成。ギャラリーの拍手喝采にとりあえず手を挙げて「サンキュー!」と応えたエルスだが、表情は冴えず、すぐにルール委員を呼び、こう主張した。
「こんなに簡単に打ち出せるはずがないぐらいボールは深く埋まっていた。つまり、私がボールの埋まり具合を元通りに戻せずに打ったということになる。このままでは、僕はどうしても気持ちが悪い」
そう自己申告したエルスは、このホールのスコアをイーグルからパーに変えてスコアカードを提出した。
「ゴルフの精神」に則った行為とは、こういうことを指す。
【生活や将来がかかっていればこそ】
すでにスーパースターとして名を馳せ、大金を手に入れているエルスと、生活や将来をかけて下部ツアーで戦う選手とでは、そのギリギリ感や焦燥感は天と地。
それは、もちろんそうである。だが、生活や将来、未来がかかっているからこそ、ルールは遵守しなければならず、プロゴルファーであればなおさら「ゴルフの精神」を全うしなければならない。
今年、米ツアーの下部ツアーにおいて、こんな出来事があった。
マシュー・サウスゲートという英国人選手が来季の米ツアー出場権獲得を目指し、下部ツアーのウエブドットコム・ファイナルズと呼ばれる4試合に挑戦していたときのこと。その第3戦の最終日に“事件”が起こった。
15番で短いバーディーパットが枯れ葉で動かされてカップをわずかにそれ、サウスゲートはカップ際に止まったボールをタップインしてパーとして、スコアカードを提出した。
だが、ゴルフルールによれば、彼は枯れ葉で動かされたボールを元の位置に戻してリプレーしなければならなかった。そのルール違反をスコアカード提出後に指摘されたサウスゲートには、誤所からのプレーで2罰打、スコアの誤記で2罰打、合計4罰打が科された。そのショックからか、サウスゲートは最終戦で予選落ちを喫し、4試合の通算ランクは27位へ後退。25位までに与えられる米ツアーの来季フル出場権を僅差で逃した。
興味深く、素晴らしいと感じさせられたのは、その後のサウスゲートの潔い姿勢だった。ほとんどTV中継されない下部ツアーの大会なのに、枯れ葉に翻弄されたサウスゲートの問題の15番のパット風景がたまたまTVカメラに捉えられたために、彼のルール違反が指摘される運びとなり、周囲は「なんという不運!」と同情さえ寄せていた。
だが、サウスゲートは「2歳のときからゴルフクラブを握っていながら、こんな基本的ルールを知らなかったのは僕の責任だ」と前置きした上で、こう言った。
「もし、僕のルール違反が誰からも指摘されず、そのままシード権をもらっていたら、僕は来季から米ツアーで戦うことになっていた。そして10年後ぐらいに同じ状況を目にして、実は僕は10年前にルール違反をおかした上で米ツアー出場権を得ていたのだと知ったら、どうなるか。僕はこの場にいるべきではなかったのに、ルールに違反したまま10年もの歳月を過ごしてしまったと気づき、愕然とするだろう。そんな取り返しのつかないことになるより、(シード落ちしたほうが)ずっといい」
将来、未来があるからこそ、「ゴルフの精神」を重んじるべきとは、こういうことを指すのだと思う。
【10年出場停止。その妥当性】
ちなみに米ツアーは、選手に対して罰金や出場停止などの処分を科した際、基本的にはそれを公表しない姿勢を取っている。もっとも今後は禁止薬物等の使用、いわゆるドーピングに関する違反は公表することになったばかりだが、それ以外に対する罰金や出場停止の処分に関しては、本人が自ら明かすか、知り得た関係者から漏れ聞こえでもしない限り、メディアも知ることは、まずできない。
その中で、米ツアー選手による意図的なスコア改ざんがあったかどうかを推し量れば、あったかもしれないが、なかっただろうと私は思う。ほんの数例、これまでに耳にしたことがあるのはジュニアの世界での残念な出来事だが、そうやってスコア改ざんが世間の知るところとなったジュニアゴルファーが後に米ツアー選手になったという事例を私はただの1つも聞いたことはない。
そういう意味で国内外ともに「参考例」が皆無に近い状況下、JGTOが下した今回の「10年出場停止」は、ずいぶん悩んだ末の結論だったのだろう。
果たして「10年」と「出場停止」が重すぎるのか、軽すぎるのか。その妥当性を何を基準にどう測るか。これといった見本もゲージもないからこそ、判断も結論も難しい。
プロゴルファーとして、いや1人のゴルファーとして、一番冒してはいけない「ゴルフの精神」に背いたのだから、「除名」「永久追放」に値するという見方が出たのは当然であろう。
だが、20歳という若い年齢と初めての違反であることを考慮した上で出した「10年出場停止」は、JGTOが出した最大限の考慮と優しさと言えると思う。
しかしながら、まだ下部ツアーで腕を磨いていた成長途上の若い選手が、これから10年間、試合に出られず、30歳になって、いざ試合の場へ復帰しようとしたところで、そのカムバックは不可能に近いほど難しくなるのが現実。その意味では、今回の「10年出場停止」は、実質的には彼のツアープロとしてのキャリアを限りなく終わりに近づけた処分と考えられる。
逆に言えば、この処分によって与えられた「限りなく不可能に近いカムバック」を、それでもナニクソの精神で覆し、10年後に彼がツアーに戻ってきたら、そのときは不可能を可能に変えた彼の姿勢と努力を評価し、温かく迎えてあげればいいのではないか。
今、言えることは、それしか思い浮かばない。