世論が分かれる安倍元首相の国葬問題 岸田首相は自ら招いた危機を脱却できるか
安倍晋三元首相の国葬について、世論が割れ、内閣支持率にも影響を与えています。危機発生時のダメージコントロールとしての危機管理の観点からすると、岸田文雄首相が閣議決定してしまった国葬は、自ら招いた危機となってしまいました。
危機発生時には、被害を最小限にするために即断即決が求められます。今回の安倍元首相に関しては、その場で容疑者が逮捕され、組織的テロではなく個人的な恨みが背景にあることが奈良県警から発表されました。よって、要人警護の強化が即断即決に値します。では、安倍元首相の国葬についての即断即決はダメージ軽減に果たして必要な判断だったのでしょうか。
時系列で振り返ると、安倍元首相の銃撃事件が7月8日。岸田総理は、7月14日の記者会見で国葬にする発表。わずか6日間。さらに7月22日には閣議決定してしまいました。この判断はダメージコントロールに寄与しているといえず、反対にダメージを深める事態となっています。報道機関の調査発表では、国葬への意見は二分され、次第に反対意見が多くなる傾向にあります。拙速な国葬決定が信頼失墜、支持率低下につながっています。何でもかんでもさっさと決めればいいというものではない、が1つの教訓となりそうです。
・7月19日NHK世論調査 評価する49%、評価しない38%
・8月1日 共同通信調査、賛成45.1%、反対53.3%、
・8月9日 読売新聞調査、評価する49%、評価しない46%、
・8月11日 時事通信 賛成30.5%、反対47.3%
なぜ、国葬への反対意見が多くなってきているのか、それは過去の国葬事例について報道が増え、国民が考える視点を持ったからだと言えるでしょう。
「戦後日本の公葬」(前田修輔著 2021)には、戦後国葬となった吉田茂元首相の死去時に閣議決定されて批判が沸き起こったことやその後の論点についてまとめられています。当時、国葬について「理論上は内閣の責任において決定し得る」とされつつ、「実際上は国会の両院において決議が行われ、それを契機として内閣が執行するという経緯を取ることが望ましい」といった意見が出されています。今起きている批判と全く同じ状況、同じ批判、議論。その意味では、岸田首相は歴史を教訓としていないように見えます。
当時の批判として、「貞明皇后でも行われなかった国葬を、国会にも謀らず決定したことは民主主義も新憲法も踏みにじる」(高木幹太・牧師)「国民による厳正な審査を経た者こそが、真の意味での国葬となる」(大宅壮一・作家)などがありました。
こういった批判を受けたことから、その後国葬は避けられ、内閣・自民党・国民有志の三者が主催する準国葬となる「国民葬」が誕生。ノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作元首相でさえ国民葬。当時の中曽根康弘幹事長が国民葬になった5つの理由を報道機関に説明しています。法的根拠、国民の賛意、決定方法、時の社会情勢といった様々な観点から決定され、今回の問題を考える視点として参考になります。
1.法的根拠が存在しないとする内閣法制局の見解が最大の理由。吉田国葬が批判されることで故人と国家の威信を傷つけた
2.国葬の場合、衆参両院議長、最高裁判所長官といった三権の長との協議が必要。閣議決定の場合「内閣葬」にしかならない
3.吉田国葬の際に、これを先例としないとする社会党の申し入れがあった
4.佐藤栄作元首相が政界を引退して3年、まだ彼の歴史的評価が定着していないとする野党の反対姿勢があり、以後の議会運営が困難になると予測
5.国葬とした場合に台湾要人の参列問題が発生することへの配慮。日中平和友好条約が行き詰っていた。
大平正芳首相が在任時に死去した時は、さらに一段低い「内閣・自由民主党合同葬儀(以下、合同葬)」。現職首相の死去であっても国葬になりませんでした。これらの歴史的経緯からのバランスを岸田首相はどう考えて判断したのでしょうか。あるいは、首相が判断できる十分な情報がなかったのかもしれません。
岸田首相は、国会閉会中審査に出席して国葬について説明するとしています。世論を二分する事態となった安倍元首相の国葬問題。拙速な判断と決定が自らの危機を招いてしまったともいえますが、説明次第では世論を逆転させる可能性もあります。どのような説明になるのか、クライシスコミュニケーションの観点からも興味が掻き立てられます。
<参考論文>
「戦後日本の公葬~国葬の変容を中心として~」(前田修輔 2021)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/shigaku/130/7/130_61/_article/-char/ja