異国の地で奴隷となった、孫太郎の軌跡
江戸時代は厳しい鎖国体制が敷かれていたこともあり、自由に海外に行くことはできませんでした。
しかし中には遭難したことによって思わぬ形で海外に行ってしまう人もおり、今回紹介する孫太郎はその一人です。
この記事では孫太郎の漂流先での生活について紹介していきます。
華僑の家で下人として働いた孫太郎
バンジャルマシンの街にたどり着いた孫太郎、その心中はいかばかりの混乱に満ちていたことでしょう。
海の旅に疲れ果て、あの異様な島を後にして、とうとうこの地に辿り着いたのです。
だが、それはまた新たな波乱の始まりでもありました。
市場に連れ込まれると、孫太郎は奴隷として売り出される身の上となり、首を切られ別の体にくっつけられる、恐ろしい「継ぎ首」などという話を聞かされ、冷や汗をかかないわけがなかったのです。
そこで孫太郎が取った行動というのがまた奇妙であります。
なんと口をゆがめ、眉をひそめるという一種の滑稽な表情をして、華僑の夫婦にアピールしたのです。
奇策ともいえるこのパフォーマンスが、意外にも功を奏し、夫婦に30文で買い取られることとなりました。運命とは実に不可思議なものです。
華僑の夫婦の家は、瀬戸物や呉服、雑貨を扱う大商人の屋敷で、彼らは新婚ホヤホヤの夫婦でした。
夫はタイコン官、妻は18歳のキントンと呼ばれていたのです。
なんとも優雅な響きであります。孫太郎は、家の下人たちとも徐々に親しくなり、特にバンジャル人の下女たちと親しい仲になりました。
この下女たちは、異国の地で孤独に過ごす孫太郎にとって、ささやかな慰めとなったことでしょう。
そんな日々の中、孫太郎はタイコン官の家で誠実に働き、やがてその信頼を勝ち得ていきます。
孫太郎はバンジャル語や潮州語も身に付け、異国の文化にも順応していったのです。
『漂夫譚』に記されている数詞の記録からも、彼がどれほど現地に溶け込んでいたかが伺えます。
また、『南海紀聞』には孫太郎の目撃した不思議な事件や出来事が記されています。
例えば、バンジャルマシンに現れた人食いワニの話や、海賊に襲われた船の話など、まるで冒険譚のようなエピソードが満載です。
それだけでなく、ダヤク族の村を訪ねた日本人初の記録も孫太郎によって残されています。
ある日、タイコン官の家で盂蘭盆の祭りが執り行われました。
門口に燈籠が灯され、仏間には豚や羊、鶏の肉が備えられ、読経が終わると若者や子供たちが霊具を奪い合い、やがて大筏が川に流されたのです。
蜜蠟の灯火が幾千万も川面に映り、遥か下流まで光が届く、その光景は日本の精霊流しを思い出させたといいます。
こうして異国での生活は続き、孫太郎はその中でさまざまな人々と出会い、波乱万丈の毎日を送りました。
参考文献
岩尾龍太郎(2006)「江戸時代のロビンソン―七つの漂流譚」弦書房