Yahoo!ニュース

ジョブズのバイブル「ホールアース・カタログ」編集長が伝え続けたメッセージとは

平和博桜美林大学教授 ジャーナリスト
85歳を迎えた「ホールアースの革命家」=2004年7月5日、筆者撮影

スティーブ・ジョブズが「バイブル」と呼んだ伝説的な雑誌「ホールアース・カタログ」の創刊編集長、スチュアート・ブランド氏は、コンピューターカルチャーの半世紀を体現する人物でもある。

12月14日に85歳を迎えたブランド氏の人生とカウンターカルチャー、コンピューターカルチャーの交錯を描いた伝記『ホールアースの革命家 スチュアート・ブランドの数奇な人生』(草思社)も、刊行された。

今なおインパクトを持ち続ける「ホールアース・カタログ」の編集長が伝え続けるメッセージとは?

●「ホールアースはインターネット」

(「ホールアース・カタログ」は)インターネットだ。インターネットがなかったから、本にした。グーグルとアマゾンとイーベイを組み合わせたようなものだ。そして、新たなパワーを与えてくれるツールに関心を持つ人々の、ある種のコミュニティーにもなった。そんな本だ。

「『ホールアース・カタログ』を、今の若い世代に説明するとしたら?」という筆者の質問に対して、創刊編集長であるスチュアート・ブランド氏は、そう答えた

2004年7月5日午後、米サンフランシスコの北端、ゴールデンゲート・ブリッジのたもとにある旧陸軍駐屯地「プレシディオ」の白壁の古びた建物にあった「ロング・ナウ協会」のオフィスで行ったインタビューに、ブランド氏は湾の対岸、サウサリートの自宅からBMWを駆って現れた。

1968年から1971年まで刊行された「ホールアース・カタログ」は、カウンターカルチャーを体現する雑誌として知られた。

メールオーダーできる膨大な商品情報を、広告なしでレビューとともに掲載する「ツールへのアクセス」のための雑誌は、インターネットがない時代の「インターネット」だった。

同じ思いを、この雑誌を「バイブル」として読んでいたという、当時の若者の1人も持っていた。

●「Stay Hungry. Stay Foolish」

「ホールアース・カタログ」は私の世代のバイブルの1つだった。(中略)グーグルが登場する35年前の、ペーパーバックのグーグルのようなものだ。

筆者のインタビューから1年後の2005年6月12日、プレシディオからサンフランシスコ湾を南に50キロほど下ったスタンフォード大学の卒業式の講演の終盤、アップルとピクサーのCEOだったスティーブ・ジョブズは、そう語った

そして、100万部以上を売って全米図書賞を受賞した1971年の最終号「ラスト・ホールアース・カタログ」の後、1974年に“最終章”として刊行された増刊「ホールアース・エピローグ」の裏表紙の扉書きのメッセージ「ハングリーなままで、バカなままでいろ(Stay Hungry. Stay Foolish)」を、3度口にして講演を締めくくった。

このメッセージこそ、「ホールアース・カタログ」編集長、ブランド氏のものだった。

シリコンバレーを中心とするカルチャーやテクノロジーの潮流は、1960年代のカウンターカルチャー、コンピューターカルチャーから現在の生成AIにいたるまで、凄まじいスピードで変化を繰り返す。

その変化の根本を捉えるには、目まぐるしく動く日々のニュースやイベントとともに、背後にいる人物、その思想を理解する必要がある。

半世紀以上にわたってその潮流の中心、あるいは潮流の中心人物たちの中心にいつづけた人物が、ブランド氏だ。

その伝記『ホールアースの革命家』は、元ニューヨーク・タイムズ記者でピュリツァー賞ジャーナリストのジョン・マルコフ氏が、4年がかりで76回、200時間以上のブランド氏へのインタビューを重ねた480ページに上る労作だ。

『ホールアースの革命家』と「ホールアース・カタログ」、ブランド氏の著作の数々=筆者撮影
『ホールアースの革命家』と「ホールアース・カタログ」、ブランド氏の著作の数々=筆者撮影

テクノロジーと社会の半世紀を理解するための、大きな手がかりになる。

翻訳・解説は、マルコフ氏やブランド氏をはじめ、本書の重要な登場人物たちと深い親交がある元朝日新聞記者の服部桂氏が担当している。

●カウンターカルチャーのアイコン

「数奇な人生(Many Lives)」というタイトルが示すように、ブランド氏は多様な顔を持ち、その一つひとつがカルチャーやテクノロジーの潮流の一時代を示す。

カウンターカルチャーのアイコンのブランド氏は、ニュージャーナリズムの旗手、トム・ウルフが1967年にまとめた『クール・クールLSD交感テスト』(飯田隆昭・訳、太陽選書)の冒頭に、『カッコーの巣の上で』で知られる小説家、ケン・キージーの出所を迎えに行くサンフランシスコのヒッピーの1人として登場する。

メリー・プランクスターズ、グレイトフル・デッド、アシッドテスト、トリップ・フェスティバル、などのキーワードが、ブランド氏を彩る。

そして、カウンターカルチャーとコンピューターカルチャーが交錯する、スタンフォード大学にほど近いメンロパーク駅前を拠点に展開した、カタログ雑誌とショップを重ね合わせた「ホールアース・カタログ」を巡るエピソードが、本書『ホールアースの革命家』の山場の1つだ。

その全容は、やはりブランド氏の人脈につながるブルースター・ケイル氏が運営するアーカイブサイト「インターネット・アーカイブ」に全号が収録されたライブラリで確認できる。

ノーバート・ウィーナー、バックミンスター・フラーから、バックスキンのネイティブ・アメリカン風の衣装、ヒューレット・パッカードが1968年に発売した携帯型コンピューターの原型、HP9100Aまでが、「ツールへのアクセス」という視点で並ぶ。

それこそが、「ペーパーバックのグーグル」だ。

●パーソナル・コンピューター、ハッカー会議、WELL、メディアラボ

ブランド氏のもう1つの重要な顔が、テクノロジーの伝道師としての側面だ。「ホールアース・カタログ」でもHP9100Aのような機器、ノーバート・ウィーナーの『サイバネティクス』のような書籍が並ぶ。

それだけでなくブランド氏は、1968年12月9日、サンフランシスコの米計算機学会・電気電子工学会(ACM/IEEE)で行われた「すべてのデモの母」と呼ばれるダグラス・エンゲルバートの「オンライン・システム(NSL)」の歴史的プレゼンテーションには、カメラマンとして参加していた。

1971年6月、ブランド氏は「ホールアース・カタログ」の終了に際して、サンフランシスコの科学博物館「エクスプロラトリウム」を会場に、1,500人を集めた「解散パーティ」を開催。2万ドルの札束を、未来創造のための「最も驚くべきアイディア」を持つ人物に渡す、という企画を立てる。

結局、このうち1万5,000ドルを手にしたのは、手元に2ドルしか持たず、うち1ドルを燃やして見せた平和活動家、フレッド・ムーアだった。

ムーアは4年後の1975年3月、メンロパークで「ホームブルー・コンピューター・クラブ」というコンピューターホビイストのグループを創設。シリコンバレーのパソコン産業の発火点となる。

そのメンバーだったジョブズとスティーブ・ウォズニアック氏らは翌1976年4月、アップル・コンピュータを創業している。

ブランド氏は、1974年2月にまとめた『IIサイバネティック・フロンティアズ』で、「スペースウォー」などのコンピューターゲームの登場、アラン・ケイ氏の「ダイナブック」構想などを紹介し、書籍としては初めて「パーソナル・コンピューター」という言葉を世に出した。

さらに、ハッカーカルチャーにも注目し、1984年11月に「ハッカー会議」を開催。出席していたスティーブ・ウォズニアック氏とのディスカッションの中で、「情報は高価になりたがる。(中略)一方で情報はフリー(無料・自由)になりたがる」と発言

その発言の後半部分が、シリコンバレーのテクノロジーカルチャーのミームとして広がっていく。

翌1985年には天然痘撲滅に貢献した医師、ラリー・ブリリアント氏とともにBBS(電子掲示板)「ホールアース・エレクトリック・リンク(WELL)」を立ち上げる。

1987年には、ニコラス・ネグロポンテ氏が中心となってマサチューセッツ工科大学(MIT)に立ち上げたメディアラボの取り組みをまとめた『メディアラボ―「メディアの未来」を創造する超・頭脳集団の挑戦』(室謙二・麻生九美訳、福武書店)を出版し、来日もした。

1990年4月には、ジョン・ギルモア氏(アクティビスト)、ジョン・ペリー・バーロウ(グレイトフル・デッドの作詞家)、ミッチェル・ケイパー氏(ロータス・ディベロップメント創設者)が設立したデジタル人権団体「電子フロンティア財団(EFF)」の理事にも就任した(1994年に退任)。

●ブランド氏の飽きっぽさと俗っぽさ

ブランド氏にまつわるエピソードは、それぞれがこれまでもメディアなどでしばしば取り上げられ、テクノロジーとカルチャーの歴史の中では、よく知られたものだ。

マルコフ氏が、本書以前に、シリコンバレーのカウンターカルチャーとコンピューターカルチャーのつながりを、ダグラス・エンゲルバートを中心に描いた2006年の著作『パソコン創世「第3の神話」―カウンターカルチャーが育んだ夢』(服部桂・訳、NTT出版)でも、この2つのカルチャーをつなぐ人物として、ブランド氏が随所に登場する。

今回の伝記としての『ホールアースの革命家』では、ビジョナリーとしてのブランド氏の、別の多面性も丁寧に描いている。

ブランド氏の飽きっぽさと、俗っぽさだ。

ブランド氏は、様々なアイディアを打ち上げ、人と社会を巻き込み、熱中するが、すぐに飽きて放り出してしまう。

創刊後すぐに終了を表明し、結局は3年で放り出した「ホールアース・カタログ」はその典型だ。

BBSの「WELL」でも、ブランド氏は同じようにユーザーとの揉め事から嫌気がさしてフェイドアウトしていった、とマルコフ氏は指摘する。

さらに、ブランド氏が上流階級意識を持ち続け、富に対する「能天気」さがあるとも述べている。

女性をめぐるエピソードや、あまり表には出ていなかった160万ドル以上という巨額のネズミ講詐欺被害についても、取り上げている。

●「1万年時計」と「地球の論点」

並列コンピューターの先駆者、ダニエル・ヒリス氏が設計し、ブランド氏らが設立した上述の「ロング・ナウ協会」を中心に1995年から取り組むのが、「1万年時計」のプロジェクトだ。「時計」の鐘の音は、ミュージシャンのブライアン・イーノ氏が作曲した。

人の手を介さず、気温の寒暖差を利用して1万年動き続ける時計を地中に設置し、「はるかな未来に対する責任」を考える、という「ロング・ターム」のコンセプトを掲げる。

当初はミッチェル・ケイパー氏、ジェイ・ウォーカー氏(プライスライン・ドット・コム創業者)、ビル・ジョイ氏(サン・マイクロシステムズ共同創業者)の寄付により米グレートベースン国立公園に隣接するネバダ州のワシントン山に土地を確保した。

現在は、ジェフ・ベゾス氏(アマゾン創設者)からの4,200万ドルの資金提供により、テキサス州西部のシエラ・ディアブロ山脈で建設中だ。一般公開は行われていない。

1966年、NASAが撮影した地球全体の画像の公開を求めるキャンペーンを展開し、「ホールアース(全地球)」というコンセプトを掲げたブランド氏は、「ロング・ターム」のコンセプトと「1万年時計」で、さらに大きな時間軸の視点を提示する。

ただ、この「ロング・ターム」のコンセプトの先に、ブランド氏は批判と論争も引き起こしている。

「ホールアース・カタログ」では環境運動のさきがけとなるメッセージを広めたブランド氏だが、2009年の『地球の論点 ―― 現実的な環境主義者のマニフェスト』(仙名紀・訳、英知出版、原題は「ホールアース・ディシプリン」)では、気候変動対策としての原子力利用を打ち出す。これが、特に2011年の東日本大震災における福島第一原発事故以降、批判の的となる。

●「神」の視点

「ホールアース・カタログ」では、その1ページ目に「目的(パーパス)」として、「われわれは神のようになったのだから、それを上手くこなした方がいい(We are as gods and might as well get good at it)」という言葉を掲げた。

40年後にまとめた『地球の論点(ホールアース・ディシプリン)』では、1ページ目にはるかに強い調子の、こんな言葉を掲げている。「われわれは神のようになったのだから、それを上手くこなさ〈なければならない〉(We are as gods and HAVE to get good at it)」。

この「神」の視点について、著者のマルコフ氏は、1970年の最初の環境保護イベント「アースデイ」でのブランド氏のスピーチの言葉に集約されるとし、伝記を締めている。「われわれが自らを神のようなものだと気づいた時、神のようにその責任があると考え、何ができるか考えるべきだ」

約20年前に行った冒頭のインタビューで、筆者は最後にこう聞いた。「もっともぴったりする今の肩書きは何ですか?」

ブランド氏は、こう答えた

編集者。あるいは興行主(impresario)。つまりはイベントの編集者というところだ。

ブランド氏の、時代の価値観をひっくり返すビジョンや視点の提示は、その時々で奇想天外、荒唐無稽にも見え、「時代のトリックスター」(服部氏)の印象を振りまく。

ただ、その時代への挑発と攪拌は、ブランド氏という人物の人生を通してみることで、1つの大きな流れを示す。

『ホールアースの革命家』には、そんな強い読後感が残る。

(※2023年12月26日付「新聞紙学的」より加筆・修正のうえ転載)

桜美林大学教授 ジャーナリスト

桜美林大学リベラルアーツ学群教授、ジャーナリスト。早稲田大卒業後、朝日新聞。シリコンバレー駐在、デジタルウオッチャー。2019年4月から現職。2022年から日本ファクトチェックセンター運営委員。2023年5月からJST-RISTEXプログラムアドバイザー。最新刊『チャットGPTvs.人類』(6/20、文春新書)、既刊『悪のAI論 あなたはここまで支配されている』(朝日新書、以下同)『信じてはいけない 民主主義を壊すフェイクニュースの正体』『朝日新聞記者のネット情報活用術』、訳書『あなたがメディア! ソーシャル新時代の情報術』『ブログ 世界を変える個人メディア』(ダン・ギルモア著、朝日新聞出版)

平和博の最近の記事