豪州遠征で最強牝馬を相手に大善戦したクルーガーの知られざるエピソード
1年越しのオーストラリア挑戦
ホテルから競馬場までの往路はウーバーをリクエストした。1台目が途中でキャンセルになり、2台目が表示された時、男は「おや?!」と感じ、思った。
「今日は良いことがあるかもしれない……」
男の名は高野友和。栗東で開業する現在43歳の調教師だ。
高野がオーストラリアに飛ぶのはこの3週間と少しの間で実に4回目。管理するクルーガー(牡7歳)を赤道のはるか向こうへ送り込んでいた。
「実は1年前にも遠征を予定していました。でも検疫に入る直前に骨折が判明し、断念する事になったんです」
もし1年前に予定通り遠征していたら当時の体調を考えると好走は難しかったかも知れず、そうなれば今年の渡豪もなかっただろうと続けた。
1年越しの想いを乗せてクルーガーが現地入りしたのは3月18日。狙うは4月6日、ロイヤルランドウィック競馬場で行われるドンカスターマイル(G1、芝1600メートル)だった。
高野はこの遠征にオーストラリアでの競馬経験がある小川洋平(持ち乗り調教助手、35歳)を指名した。
「何故、自分なのだろう?」と思った小川だが、すぐに快諾。クルーガーより1日前にはダウンアンダーへ渡り、戦友を出迎えた。
「飛行機による長距離輸送でさすがに初日は飼い葉食いが落ちました。でも、2日目からはペロリと食べてくれました。基本的にいつも落ち着いてドッシリと構えている馬で、変な事をするわけではないからその後はすべて順調にいきました」
首肯するのは高野だ。
「海外遠征と言えばアクシデントは付き物だと思っていました。でも現地から入る連絡は順調そのものというものばかり。1週前追い切りを見に行くと、本当に良い感じでいる事が分かりました」
ただ一度だけ、小川からこんな話を聞かされたと言う。
「当初、検疫厩舎には1頭で入っていたのですが、他の外国馬が入厩してくると、クルーガーが嬉しそうな表情を見せたそうです。あの子なりに我慢していたのでしょう」
クルーガー自身のためにも成果を残してあげたいと高野は感じた。
ドンカスターマイルの最終追い切りにはトミー・ベリーが跨った。レースでもコンビを組むジョッキーだ。
「映像ではチェックしておきました。外から見て感じた以上に切れる脚があり、良い意味で驚きました。これなら好勝負しておかしくないんじゃないでしょうか……」
オーストラリアのトップジョッキーの感覚に誤りが無いことは実戦へ行って証明される。しかし、そこへ向かう道は必ずしも平坦ではなかった。
海外の洗礼に初めてイレ込む
4月6日のドンカスターマイル当日。日本馬陣営の頭に最初に疑問符が浮かんだのは馬運車に乗せる時だった。
「久しぶりのせいか、珍しくうるさい素振りを見せました」と小川。しかし、これは序章に過ぎなかった。
競馬場へ到着したクルーガーは、日本とはまるで違う装鞍所の造りに目を剥いた。目の前を一般ファンを含めた無数の人達が普通に往来する。他のレースの出走馬達もハナ前を右から左、そして左から右へと歩き回る。
「普段大人しいクルーガーをしても落ち着きを欠いていきました」
そう感じた小川はすぐに愛馬を歩かせた。1時間歩かせてもまだイライラしている様を見て、更に歩かせた。
「結局2時間くらいは曳いていました」
なんとかリラックスさせようと尽力する陣営の胸の内をあざ笑うように次なる問題が起きた。
規定により指定された現地の鞍を着けなければいけないのだが、これがクルーガーにとってはささくれを刺激されるような感じになったのか、またイレ込んだ。
「慣れない鞍なので一つ一つ丁寧に確認しながら置いたのですが、それが良くなかったのかも知れません」
海の向こうの競馬の洗礼に高野はそう思ったと言う。
オーストラリア競馬の波状攻撃はまだ続いた。クルーガーを待っていたのは他の19頭の出走馬とその関係者でごった返すパドックだった。スムーズに歩けるわけなどなく、牛歩のごとくゆっくりと歩いては止まり、止まっては歩くを繰り返した。強制的に止まらせられる事に癇癪を起こしたのは、またしても日本からの挑戦者だった。曳いている小川を引きずるように後退し、後肢を植え込みに踏み入れた。
「海外は調教師になる前の研修で行った事があったけど開業後は韓国だけ。経験は皆無に等しいです」
そう語る高野だが、この時の行動は迅速で、危機管理能力の高さを窺わせた。主催者に談判し、馬場への先出し許可をもらうと、ベリーを乗せたクルーガーはすぐにコースへと消えて行ったのだ。
これが奏功した。スタートこそ少しやす目を売ったもののすぐに中団につけると、序盤は馬群の中で上手にレースを進めた。3〜4コーナーでこそ鞍上の手の動く場面があったもののベリーに言わせると「100メートルほどオーストラリアの流れに戸惑っただけ」。直線ではジリジリと伸び、結果は4着でゴール。フィニッシュライン前後の脚色は最も目立つそれであった。
「テンションが上がってしまった時は驚いたけど、よく我慢して最後まで頑張ってくれました」
指揮官はそう言って愛馬を労った。
好走からの急展開
こうして日本馬のオーストラリア挑戦は幕を閉じる……はずだった。しかし、事態は急展開を見せる。レース直後に「もう1、2回使えば勝ち負け出来ますね?」と言った当方の言葉に対し、高野は「個人馬主ではないのでそうも行かないのです」と答えた。実際、小川は翌朝、帰り支度をしていた。しかし、どこでどう話がついたのかは分からないが、昼前には小川から「もう1週、残る事になりそうです」との連絡が入った。そして、実際に連闘でクイーンエリザベスS(G1、ランドウィック競馬場、芝2000メートル)に出走。最強牝馬ウィンクスに挑戦する事になったのだ。
「さすがにレース直後は飼い葉食いが落ちたようです」
レース後に帰国した高野はその報告を耳にした時、今回の遠征で初めて大丈夫かな?と思ったと言う。
しかし、ここは小川が見事な差配を見せる。毎日、鞍と手綱を通してパートナーの状態を把握。息遣いには耳をひそめ、目を皿のようにして毛艶をチェックした。
その頃、高野は伊丹空港へ向かうハンドルを握っていた。伊丹から羽田を経由して今回だけで4度目のシドニーへ飛ぶ。その伊丹へ向かう高速で、運転していた車がまさかのパンクに遭遇した。しかし、一般道に下りると目の前にディーラーがあった。「ついている」と思った。
「そもそもいつもはギリギリに出るのにこの日に限って時間に余裕を持って出ていました。そのおかげもあってパンクしたにもかかわらず飛行機には乗り遅れずに済みました」
こうしてオーストラリアに着いた高野を待っていたのは「前走時と全く同じ546キロ」のクルーガーだった。
「飼い食いが落ちたと聞いていたけど、体はすっかり戻っていました。1週前より落ち着きもあるし、良いぞ!と感じました」
レース当日、ホテルから競馬場へ向かうウーバーを呼ぶと、1台目はキャンセルとなり、改めて2台目が表示された。
「その車種がトヨタのクルーガーでした」
何か目に見えない力が後押ししてくれている。そんな運を感じた。しかし、運だけで勝てるほど競馬の世界は甘くない。そんな事は百も承知している高野。競馬場に着いた後は、その運を逃さぬ様、手を打ち続けた。
鞍置きは迅速に行った。パドックへは最後に入れて、馬場へは最初に出した。かの地ではパドックだけの使用を意味する赤いメンコ(耳覆い)を装着したのは前週同様だ。7日前に打ち込んだハーネスが命綱となり、陣営はクルーガーを頂へといざなった。
「お陰で今週は落ち着いてレースへ向かえました」
2週連続で騎乗したベリーはそう言うと「だから道中の手応えも1週前よりずっと良かった」と続けた。
クルーガーは9頭立ての5番手。最内を進んだ。すぐ後ろの外にはウィンクス。これが引退の一戦となる女傑が続いた。
4コーナーで2頭は対照的な進路をとる。大外をまくって先行勢を呑み込みにいったのがウィンクスなら、最内をすくって前の馬をパスしたのがクルーガーだ。ラスト300メートルでは外からウィンクス、内からクルーガーが抜け出したが、先頭に立ったのはウィンクス。鞍上の手応えの差も明らかで、女王は33連勝目の栄冠へ向け、翼を広げていた。
女傑相手に大善戦!!
クルーガーは3着以下には差をつけ、直線半ばで2着を確定させていた。その時の自らの様子を高野は述懐する。
「コース取りや手応えを見れば力の差は歴然でした。ウィンクスはやっぱり強いなって思いました」
ここでひと呼吸置いた後、再び口を開く。
「クルーガーはどう頑張っても2着だと分かったけど、それでも声が出ました。声の限り応援しました」
1頭で海を越え、約1カ月間、我慢してきた愛馬に対し、恩返しの意味も込めて声を張り続けた。
ウィンクスに続く2番目でゴールを駆け抜けてクルーガーのオーストラリア遠征は幕を下ろした。
「沢山の良い経験をさせていただきました」と小川が言えば、高野は次のように語った。
「負けた悔しさはあるけど、クルーガーはよく頑張ってくれました。そういう意味での満足感はあります」
高野の、小川の、そしてクルーガーの、帰国後の続編に期待して、今回の遠征記のキーボードを叩くのは終わりにしよう。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)