「起業家のように企業で働く」とは【小杉俊哉倉重公太朗】第2回
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2006年、慶應義塾大学で発足した「小杉俊哉ゼミ」は、テストも単位もない完全自主ゼミとして、13年半活動してきました。カリキュラムもなく、講師の指導義務や報酬もなく、全てが「自主性」によって成されていた奇跡のゼミです。希望者全員が入れず、選考試験があるほど人気のゼミでしたが、19年3月に惜しまれつつも閉講となりました。単位にならないのに、熱意ある優秀な生徒が集まったのはなぜでしょうか。また、小杉さんはどのように若者の心に火をつけていったのでしょうか?
<ポイント>
・どうして29歳がキャリアの転機なのか?
・自律している人は大企業でも約2%しかいない
・会社で、自分で「コントロールする側」に回るには?
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■単位にならないのに超人気のゼミ
倉重:慶應でゼミを教えるようになったのは、いつぐらいからですか。
小杉:慶應で教えるようになったのは、たまたまApple時代に人から頼まれて1回だけ講演したことがきっかけです。その講演のファシリテーションをしていた先生にAppleを辞めるという挨拶をしたら、慶應の湘南藤沢(SFC)で一緒に研究をしないかと誘われまして、お世話になることにしました。
ですから教員採用試験などを受けたわけではありません。研究員で入ったのですが、その後頼まれるままに授業を持つようになりました。
倉重:単位にならないゼミに人が来るというのはすごいです。
小杉:授業を受けていた学部生が大学院に何人か押しかけて来まして、単位にならないのに授業を聴講していました。彼らから、「ゼミをやってほしい」と言われたのです。わたしは非常勤なのでできないと言ったら、「サブゼミ(自主ゼミ)でいいのでやってください」と言われて、「じゃあやってみるか」と始めたのです。
倉重:ゼミではどのようなことをするのですか?
小杉:最初は一般のゼミのようにわたしが教えていたのですが、そのうちに自分が授業でも教え,ゼミでもまた教えるのは面白くないと思うようになりました。それで、ゼミ生たちと一緒に半期ごとに最初のゼミで何をやるかという毎回のテーマを決めるようになりました。テーマが決まったら,その中で複数人希望者を募り、進め方も含めてファシリテイターたちに任せることにしたのです。
倉重:学生の主体性に任せる感じですか。
小杉:そうです。いろいろと面白かったです。
倉重:『リーダーシップ3.0』のような感じでサーバントしていたのですか。
小杉:わたしも一ゼミ生のような感じで楽しませてもらいました。学生時代をまたあらためて堪能させてもらったような感じです。授業やキャンパスでも、会うとお互いにハイタッチしたりハグしたりしますので、「あれは何なんだ?いいなあ!」と評判になりました。毎年募集は10人なのですが年によっては30人以上応募してきた年もありました。
倉重:それで選考するようになったのですね。
小杉:はい。直接その人を知らない学生が3人で面接し、その結果を持ち寄ってカラオケボックスに2日ぐらいこもって、「ゼミの風土に合うか」「ゼミの精神を体現できるか」など納得が行くまで真剣に議論を重ねて選抜していました。残念ながら不合格になった学生にも、あなたの能力の問題では全くなく、あくまでも今のあなたはこういう点でゼミには合わないだけということを、誠意をもって理由とともに伝えてもらいました。だから、中には2年続けて落ちて3回目にようやく合格、という学生もいました。
倉重:サブゼミなのに選抜があるというのはすごいです。やはり中身は学生さんに任せるけれども、その雰囲気や土壌、空気感は作っていたという感じですか。
小杉:そうですね。最初の創設メンバーは熱いですが、代替わりすると、だんだん薄れてきます。そこで発破を掛けたりしました。例えば、ある年に7月末にゼミ合宿をした後、授業が始まる9月末の間際までその合宿に対しての何のやりとりもなかったのです。あるゼミ生から、「そろそろ授業が始まるし、みんなでビール飲もうぜ」みたいなメールが送られてきたので、わたしはキレました。「合宿に対してのフィードバックが2カ月間も誰からもないのはなぜか?」「ボランティアで合宿係をしてくれた人や、わたしに対して労いやサンクスはないのか」「いつまでもあると思うな小杉ゼミ!いつまでもいると思うな小杉俊哉!」みたいなことを突き付けました。すると、みんなは慌てて集まって、いったい何のためにやらなくてもいいサブゼミをしているのかという話し合いをしました。そしてクレドー(信条)や行動規範をまとめ、カードにラミネートして携帯し、絶えず行動を見直すようになりました。それも学生主体で、わたしはまとめ方のコメントをしただけです。
倉重:細かく口は出さないけれども、大きく道を踏み外しそうなときだけはガッと言うということですね。
小杉:そうです。学生もわたしもやる必要のないことをしているのだから、自律ではなく他律だったり、ギブではなくてテイクしようとしたりしていると我慢ならないのです。そういう場合はストレートに指摘しました。
倉重:大人になってからそういうことを言われる機会はなかなかないからとても貴重ですね。
小杉:そうですね、最初は反発する学生もいますが、みな好き好んで入ってきている訳なので、そこで振り返って行動を変えるわけです。
倉重:そのような全人格的な教育というのは実はあまりないです。
小杉:そうですね。しくじり先生や、毎年の春合宿の名物で、「自分が被っている仮面を作って取る」ということもしています。ちなみに、仮面がなかなか取れない学生はほぼ100%親の影響でそうなっています。
倉重:理想の自分を演じているということですか。
小杉:親からそういうふうにさせられていて、それに気付いてもなかなか取れないのです。自分を吐露して仮面を取ると痛みを伴うし不安定になるので、その後もフォローします。知り合いの心理学の専門家から「そんな危ないことをよくやっているね」と言われるのですが、引き受けた以上面倒を見るつもりで、最大限彼らのサポートをしてきたつもりです。それは彼らが卒業して社会人になっても変わりません。
倉重:家族のような感じですね。
小杉:そうですね。もともとSFCは、自分の卒論を書くゼミに入らなければいけないのですが、そちらに全く顔を出さなくても小杉ゼミには卒業後も大勢遊びに来てくれます。有給を取って授業を聞きに来たり、ゼミや合宿に参加したりしてくれるので大変ありがたいです。
倉重:それはやる側としても楽しいしやりがいがありますね。
小杉:そうですね。報酬ゼロの完全なボランティアでしたが、13年半も続いたのは、学生たちが信頼してくれて、彼らの成長に付き合えて自分も楽しかったからだと思います。
倉重:きょうお聞きしたいことのエッセンスがいろいろ入っていると思いました。『29歳はキャリアの転機』という本を出されていますが、小杉さんの場合はそのころにちょうど留学されたのですよね。
小杉:それを考えたのが29歳のときです。
倉重:なぜ29歳なのでしょうか。
小杉:会社に入って3年ぐらいすると仕事に慣れてきますが、わたしの場合はたまたま4年目に海外営業というライン部門から部署異動してスタッフ部門の法務部になりました。そこでも3年くらいたつと慣れてくるわけです。周りの先輩を見ていると30代が楽しそうではありませんでした。40代で部長ともなると昔は権限も大きくリスペクトもされて楽しそうでしたが、30代は20代の延長のように思えました。
倉重:自分が将来ここで30代を過ごす絵が浮かばなかったのですね。
小杉:はい。その当時に「自分は埋もれたくない、オンリーワンよりももっと強い、ワンアンドオンリーの存在になりたい」と思っていました。同期が1500人もいましたから。これはわたしも忘れていたのですが、仲のよい同期に「テレビに出たり本を書いたり講演したりするような、代替不可能な人間になる」と言っていたそうです。
倉重:イケイケな時代ですね。
小杉:ええ。ですから「その他大勢は嫌だ」と思ったのが最大の理由です。ただ「成り上がりたい」という想いでした。手段としては経営コンサルタントになるのが第一歩だと当時は思っていました。今は新卒にも大人気になりましたが、当時は一般企業、省庁では疎んじられているような変わり者が行くような所でした。でも、そこは特別な場所で、世界が開けそうだと思ったのです。
もう一つは、大学時代に行きそびれた留学です。憧れはありましたが、学生時代に遊んでしまい、そのまま就職してしまったので、「今行かないと一生行けない」という危機感がありました。
倉重:ずっと心の中でくすぶっていたのですね。
小杉:ええ。このままでは一生後悔すると思っていたので、そのタイミングで行くことにしました。
倉重:29歳というのは、それ以降になってしまうと家庭や社内の立場などいろいろなしがらみも大きくなって、思い切ったキャリアチェンジができません。だから29歳が転機だということですか。
小杉:そうですね。別に29歳に限らないのですが、そのくらいの年齢になると社内が見えるようになり、プライベートも結婚などさまざまな変化を背負って動けなくなってしまう時期であることは間違いないと思います。
倉重:確かに新卒で入って部署を複数回り、ある程度見えてきた段階で、「この会社で働きたい」と思えばそれでいいけれども、小杉さんのように「未来が見えないし、先輩かっこ良くない」と思うのであれば、考えるのはこのころだということですね。それを越えると多分大きなキャリアチェンジは難しいはずです。
小杉:当時あと2年ぐらい勤めていたら、主任になって基本給が上がり、残業代も含めて年収は1.5倍ぐらいに上がっていたと思います。そしたらもっと辞めにくいだろうと考えたのです。会社を辞めたことによる逸失利益が増えるわけですから。
倉重:どうしても人間は弱いですから、楽な環境にいると成長を感じなくなりますよね。
わたしも同じ組織に長くいて仕事がルーティンになってしまった時期がありました。しかもだんだん偉くなってくると、部下が頑張ってくれたり、経験でカバーできたり、力を使わなくても仕事ができるようになってしまうのです。自分の成長実感がなくて、このままではヤバいと思い、独立しました。
小杉:ビジネスパースンとして一番成長するのは30代だと思います。そこをどう過ごすかがとても重要です。それは今でも変わらないと思います。
■起業家のように企業で働く
倉重:先生のメイン本には「起業家のように企業で働く」という選択肢も書かれています。ここのお話をぜひお願いします。
小杉:長らくベンチャー支援もしてきましたし、大企業ともお付き合いをしてきました。起業することと、企業で働くことはもともと別物だったのですが、だんだんそれが近づいてきています。例えば、今東大の院卒から一番人気があるのは、IT系のスタートアップです。長らくエレクトロニクス系の大企業だったのですが、変わってきています。そこに行くと何が違うかと言いますと、出世の順番待ちしなくていいし、自分の成長スピードが速いということです。だから優秀な学生ほどスタートアップを目指します。一方、大企業の良さは企業のブランドがあることです。これが個人事業主でしたら自分の名刺を見せても「誰だ?」という話になります。
一方、著名な企業、省庁など、誰でも知っているような組織のブランドを使って、自分のやりたいことをする人も必ずいるのです。スタートアップだけではなく、大きな組織で起業家のように働く人たちを見ていると、とても楽しそうですし、そういう人たちがリーダーとして会社をけん引しているわけです。大企業に入ったからといって言われたことをただやらなければいけないと誰が決めたのか? という話です。
倉重:大きい組織にいると「指示されたことを間違いなくやるのだ」という意識を持っている方が多いように思います。
小杉:圧倒的に多いです。でも、それでは面白くありません。わたしはそうではない道を選んだのですが、今は企業の環境も相当変わってきています。会社を利用して楽しく働いている人も数多くいるのです。
倉重:会社内である意味起業するように働くにはどうしたらいいのでしょうか。
小杉:わたしの話の根幹は、「自律」です。自立は自分で立つという自立と、自分で律する自律と、全然違う次元なのです。専門家もなぜか混同して使っていますが。自分で立つというのは一人前になるということで、会社であれば給料分働くということです。自律のほうは自分で仕事を作って、結果まで含めて自らの責任において行うことです。きっかけは上司からの指示でも、アサイメントでもいいのですが、それを受け取った以上、自分ごとにすることです。そうすると人のせいにはできません。
倉重:言われたことであってもできるということですね。
小杉:上司から言われたことを、「こんなことはやりたくないけれども上司が言ったからやってるんだ」と思ってやっている人と、「受け取った以上自分ごとにして責任をもってやる」と捉えて働く人では、全然動き方が違います。
倉重:義務でイヤイヤしている人と「このプロジェクトはおれが育てるのだ」と思っている人では当然、成果も違いますね。
小杉:はい。ですから受け取った以上、それを自分ごとにすれば、もう起業しているのと一緒なのです。
倉重:なるほど。具体例はありますか。
小杉:たくさんあります。例えば上記の本に書いた野村證券の塩見哲志さんや、デロイドトーマツベンチャーサポートの斎藤祐馬さんなど、モーニングピッチを作った人たちです。やらなければいけないことはしっかりしながら、会社や上司から言われてもいないことを勝手にイベントとして行っていました。毎週木曜日の7時~9時の始業前に野村證券新宿駅西口支店の大会議室を使って、ベンチャーと大企業のお見合いの場を設けたのです。最初は会社公認ではなく、自分たち独自にしていたことですが、だんだん世の中の注目が集まって、そこから上場企業も生まれるようになっていきました。ベンチャーブームのけん引役になったのです。
倉重:しかも大企業に勤務しながらですから。
小杉:そうです。上司から指示されたわけではなく、「ベンチャーが次々に興っていかないと日本経済の将来は危うい」という危機感,志を持って、自主的に始めたのです。起業家のように企業で働くということは、正直言って全員がやれるとは思っていませんし、やる必要もないと思っています。『2%のエース思考』という本にも書いてありますが、自律している人は大企業では2%ぐらいしかいません。そして、そのくらいの出現率の会社は例外なく停滞感,あきらめムードが漂っています。
倉重:そんなに少ないのですか。
小杉:少ないです。50人に1人ぐらいしか、自分が今していることを「自分ごと」にして、結果まで負おうとしている人はいません。それが私の実感値です。
倉重:どうしたら「自分事」になれますか。
小杉:その第一歩が自分ごと、なのです。ただ何も考えずに働いていたらそうはなりません。上司や制度のせいにしないで、まず自分が動いてみることです。なぜなら、あなたが不満を持つ会社の環境は、あなた自身も間違いなくその一部を形成している要素だからです。そのためには、自分がやらなくてもいい領域、マストの領域から一歩踏み出すことです。
倉重:言われたことや決められたジョブディスクリプションの範囲ではなくて、一歩踏み出して何か始めるということですね。
小杉:そうです。CanやWillの領域に足を踏み出します。「こうしたらもっと会社が良くなるだろう」「会社がお客さんや世の中の役に立つだろう」と,自分が気付いたことを始めたり、いままでとやり方を変える勇気や時間を持つのです。
倉重:みんなが「変えたほうがいい」と思いながら、誰もやらないことを「それ、やっときましょうか」という意識でやる人は強いですよね。
小杉:正に。そういうことは、普段している仕事をちょっと俯瞰してみれば絶対にあるはずなのです。そこに気づいていればやることはできるし、やり始めれば必要なスキルは後からついてきます。助けてくれる人も出てきます。なぜ助けてくれるのかというと、「自分の業績を上げたい」「自分の望む働き方をしたい」ということをサポートしてくれる人はあまりいないのです。でも、会社にとって重要なこと、部門全体の利益につながること、「こうしたらもっとお客さんが喜ぶ」ということならみんなにとっての目的になるからです。そのような誰にとっても目的となるようなものを「志」と言うわけです。
先ほどのモーニングピッチも、「世界に羽ばたくベンチャーを増やしていきたい」という日本経済全体を良くするための志があります。ですからあれだけ多くの賛同者がいて、支援者が現れて、多くの人を巻き込み、ビジョンが実現したわけです。それは自分の周りの小さなことでもできます。それを実行している人がリーダーなのです。
倉重:今で言うところの「ONE JAPAN」さんもそういう感じですね。
小杉:間違いなくそうです。言い方を変えると、マネジメントではなくてリーダーシップの領域に踏み出すということです。
倉重:なるほど。わたしの知っている外資系の人事部長の方が言っていたのですが、出世する人はジョブディスクリプションの範囲の仕事だけして帰るのではなく、「これ、やっときましょか?」と自分から言える人だそうです。そういう人は必ず誰かが見ていると聞き、「外資の人でもそういうふうに見るのだ」と思いました。
小杉:それはまったく一緒です。プランド・ハップスタンス理論で有名なスタンフォード大学のジョン・クランボルツさんが言っているのは、「仕事で求められている以上のことをする」ということです。仕事で求められていることだけをしていたら、いつまでも人に使われるだけで終わってしまいます。求められていないことまでするから自分でコントロールするようになれるのです。
■ジョブ・クラフティングをする
倉重:なぜこういう話をするかと言いますと、今は労働法を取り巻く環境もいろいろ変わっています。過労死の事件もあり、残業の規制や有給休暇の取得についても厳しくする方向に法律が変わっていっています。もちろん過労死は良くないことなのですが、一方で働くことが悪いことだという風潮が一部であります。私は「自分のためになるなら、働くことを楽しんだほうがいいのではないか?」という視点から、いろいろな人の話を聞きたいと思っているのです。
小杉:まさにそういうことです。イエール大学のエイミー・レズネスキーやミシガン大学のジェーン・ダットン教授などが提唱している、「ジョブ・クラフティング」という考え方があります。そんなに難しいことではなく、「目の前の仕事が例え単純作業であっても、自分のために修正や見直しはできる」ということです。
1つは仕事の意義を広げること。目の前の仕事をただこなすのは単純作業で面白くありません。会社のバリューチェーン全体を見て、サプライチェーンの中でどういう位置づけにあるのかという目的や意義を自分なりに理解できると、「このために仕事しているのだ」と思えるようになります。
倉重:確かに働く動機が違いますね。
小杉:はい。それから2つ目に、仕事のやり方や範囲を見直すということです。今まで定型作業で「こうしなければいけない」と思っていたものでも、何か新しい方法を取り込んだり、あるいは無駄なものを省いたり、得意なことを盛り込んだりするという工夫はできるはずです。そうすると面白くなります。
3つ目は、社会的な交流の質や量を見直すことです。これは主に人間関係です。上司が代わるだけでも、仕事が楽しくなったりしますよね。先のわたしの例で言えば、社長の懐に飛び込むことで、関係性を変えたということです。
倉重:確かに仕事は変わらなくても、人が変わると違いますよね。
小杉:部門を変わるということもあります。逃げるのではなくて、自分から向こうに歩み寄って行くと、相手も憎からず思うので、態度が変わってくるのです。
倉重:今まですれ違ったときに無視する関係でも、こちらから大きな声で挨拶するようになれば、全然違いますからね。
小杉:そうです。そうすると仕事は変わらなくても自分のしていることが楽しくなります。それをジョブ・クラフティングと言っています。そういう表現の仕方もできますし、「木を見るだけではなくて森を見る」という表現もあります。目の前の仕事というのは木を見ているだけです。森を見るというのは先ほどの全社的な位置づけのこと。業界のことやユーザーのこと、海外のことを調べたりして関連することにどんどん広げていくと、今の自分のしているビジネスや目の前の仕事を俯瞰できるのです。
倉重:流れが分かってきますね。
小杉:そういう人は周辺情報や知見がたまってくるので、そのうちに意見を求められるようになってきます。そういう視点からものを見られると、仕事が変わってもまた同じような見方ができるので、汎用性ができ、別の部署や職種に移っても活躍できます。そういうことをしていると社内でも有名になるので、重要なプロジェクトに呼んでもらえるようになって出世することが多いのです。
倉重:よく分かります。例えばネジを外して部品を交換し、ネジを締めるという仕事があったとします。「この仕事は何なのだ」と思ってやっている人と、これはこのお客さんのこういう仕事に役立っていて、社会的な意義もある。「できればこうしたほうがいい」と提案までできる人では全然違いますよね。
小杉:石切職人の有名な話があります。石切職人に何のためにしているかと聞くと、「生きるため、生活のためにやっている」と答える人と、「大聖堂を造るためにやっている」と答える人がいます。この2人は全然モチベーションが違うわけです。後者の人のように、早く造ってみんなの喜ぶ顔が見たいと思っていれば、やりがいもあり生産性も違います。それは今の時代にもまったくそのまま通用する話だと思います。
(つづく)
対談協力:小杉 俊哉(こすぎ としや)
合同会社THS経営組織研究所 代表社員
慶應義塾大学大学院理工学研究科 訪問教授
早稲田大学法学部卒業後、日本電気株式会社(NEC)入社。自費でマサチューセッツ工科大学(MIT)スローン経営大学大学院修士課程修了。マッキンゼー・アンド・カンパニー、ユニデン株式会社人事総務部長、アップルコンピュータ人事総務本部長兼米アップル社人事担当ディレクターを経て独立。
慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科准教授などを経て、合同会社THS経営組織研究所を設立。元立命館大学大学院テクノロジー・マネジメント研究科客員教授。元慶應義塾大学大学院理工学研究科特任教授
ふくおかフィナンシャルグループ・福岡銀行、エスペックなどの社外取締役を務める。長年、ベンチャー支援や、公立小中高校教諭教育、国家・地方公務員教育も行っている。専門は、人事、組織、キャリア、リーダーシップ開発。
組織が活性化し、個人が元気によりよく生きるために、組織と個人の両面から支援している。2006年から13年半の間、学生からの要請で単位にならない自主ゼミを開催し続け、奇跡のゼミと呼ばれる。2020年から社会人個人向けのオンラインサロン「大人の小杉ゼミ」も主催。
著書に『起業家のように企業で働く』(クロスメディア・パブリッシング)、『職業としてのプロ経営者』(同)、『リーダーシップ3.0』(祥伝社)など多数。