レバノン:ヒズブッラーは南レバノン解放を祝う
2023年5月21日、レバノンの反イスラエル抵抗運動にして同国の与党の一角をも占めるヒズブッラーが、内外の報道機関を招待した取材ツアーを開催した。ツアーは、ヒズブッラーの軍事基地の訪問、軍事演習(撮影・中継可)、戦闘員との食事会など、「その手の」人々にとってはまたとない機会の催事だ。この時期は、2000年にレバノン南部を占領していたイスラエル軍が占領地の大半から撤退した5月25日の記念日にまつわる各種催事がある。イスラエル軍は撤退後のレバノンの占領地を南レバノン軍という傀儡民兵に管理させようとしたが、南レバノン軍はイスラエル軍の撤退を目にして士気を喪失し、24時間持たずにまさに「消失」してしまったので、ヒズブッラーにとっては自派の抵抗運動に耐えかねたイスラエルがレバノンへの野心をあきらめて撤退し、その傀儡民兵も敗走・消滅した記念すべき勝利だ。
報道ツアーはこの記念日に合わせたヒズブッラーの情宣活動の一環だが、「マニア垂涎」の催事として、ヒズブッラーがレバノン・イスラエル間の境界の障壁を突破し、イスラエルの要員を捕獲する作戦を想定した演習が行われた。演習の模様は、ヒズブッラーが擁する人気の(?)テレビ局である「マナール」をはじめとする各種報道機関が多数の動画や画像を公開している。
ヒズブッラーが報道機関向け情宣の一環として軍事的な示威行動をすること自体は、珍しいことではないそうだ。特に、シリア紛争に介入してシリアのホムス県クサイル市を解放した後に、保有する戦車や装甲車を連ねて街道を行進した際は大きな反響を呼んだ。今般公開された動画や画像を見る限り、そこまでの「衝撃」はなさそうだが、催事の時宜に鑑みると、色々な意義がありそうだ。というのも、イランとサウジとの関係改善、シリアのアラブ連盟復帰、そして4月~5月にかけてのパレスチナでのイスラエルによる軍事行動のような、地域・国際的な重大事が重なる中での5月25日だからだ。特に、4月にイスラエルがパレスチナ・イスラーム・ジハード(またはPIJ)を攻撃した際は、南レバノン、そしてシリア領のゴラン高原からもイスラエルに対しロケット弾が発射されるという異例の展開を遂げた。
当然ヒズブッラーから催事に招待されたはずの『ナハール』(キリスト教徒資本のレバノン紙)は、2023年5月19日付でヒズブッラーが今般の催事で発信しようとしているメッセージについて要旨以下のとおり分析した。
*地域の情勢に関する諸合意や、レバノンの政情が混乱する中で、「ヒズブッラーの武装」はこれらの合意や問題に拘束されないと誇示する。
*イスラエルに対し、同国の領域内で作戦を実施する能力があることを誇示する。
*(4月~5月のパレスチナでの戦闘ではイスラエル軍がPIJの幹部を一方的に殺害したが)ヒズブッラーと相対する場合はそのような展開にならないとの能力を示す。
*レバノン国内の政情がどんなに変わろうが、どんなに(武装解除の)要求が出ようと、ヒズブッラーは武装を維持し、兵器や資源を開発し続けることを示す。
レバノン国内でのヒズブッラーの戦闘力は、レバノンの正規軍をしのぐものであり、イスラエルもこれを無視できない。実際、2022年のレバノンとイスラエルとの海上境界画定も、ヒズブッラーとイスラエルとの(武力行使の)威嚇合戦を経て、ヒズブッラーの同意の上で達成された。無論、このようなヒズブッラーのありかたにはレバノン内外で批判や不満が絶えない。現代的な国家では、国家の武力は正規軍・治安部隊が独占すべきと考えられることが多いが、ヒズブッラーを批判する者たちには、同党の武装はそうした「理想形」、ひいてはレバノン国家の権威や統治すらもないがしろにするものと映るからだ。しかし、2006年夏にヒズブッラーに壊滅的な打撃を与えることを企画したイスラエルによるレバノン攻撃が失敗に終わったことが示すように、現在ヒズブッラーの武装や同党が「国家内国家」のように振る舞うことを掣肘できる主体は、レバノン国内はもちろん中東域外にもない。ヒズブッラーや同党を支援するイランが、現下の地域情勢をちゃぶ台返しにするような軍事行動に出ることはちょっと考えにくいが、それでも状況をぶち壊しにできるほどの戦力を擁する諸当事者が、準備万端でにらみ合う情勢が続いていることには変わりがない。ヒズブッラーをレバノンの政情の混乱や、地域の緊張の元凶とみなして非難すること自体は簡単かもしれないのだが、それを解決する手立ては誰も持っていない、ということだ。