iTunes誕生の裏でSonyに起きていたこと〜スティーブ・ジョブズが音楽産業にもたらしたもの(5)
[前回までのあらすじ]初代iPodの発表に記者たちはあっけにとられた。Macの会社が突然、音楽ガジェットを出したのだから当然かも知れない。「世界中の言葉に対応しているんだ」とジョブズは言い、宇多田ヒカルの曲を表示し、サザンオールスターズの「忘れられたBig Wave」を会場に流したのは、Walkmanを産んだ日本市場への彼なりのラブコールだった。初代iPodは初年度12万5千台の小ヒットにとどまったが、ジョブズはさらなる飛躍を目指し、iPod専用の音楽配信の立ち上げを決意。音楽業界とタフな交渉を重ねるのだった。
■アーティストを口説けるCEO
パーソナルコンピュータの誕生から20余年。ハード、ソフトの両方で革新的な作品を残してきたジョブズは、オンラインサービスの世界でも生涯の代表作を生み出そうとしていた。
ダウンロード販売サイトは前世紀からあった。LiquidやEmusicなどがそうだ。だが、チャートインした最新ヒット曲が揃ってないばかりか、みんなの好きな大物アーティストの音楽も欠けていた。ジョブズからすれば、そんな「クソ」みたいなミュージックストアはありえなかった。
じぶんが創る以上は、完璧な作品を目指す。
HMV、タワーレコード、Amazonを超える最高のオンライン・メガストアだ。そのためには、ビッグアーティストからひとりひとり配信許諾をもらう必要があった。大物ほど楽曲の権利をじぶん側に保有しているからだ。
ジョブズだけができて、マイクロソフトのゲイツやグーグルのペイジたちにはできなかったことがある。アーティストに会いに行き、説得することだ。
「アーティストが話をしたいと思うようなCEOはコンピュータ業界にはいませんでしたが、彼は例外でした」
米レコード協会のローゼン会長はそう振り返る。
かつて、日本にもそういう企業家がいた。オペラ歌手からSony本社の社長となり、CD革命を率いた大賀典雄その人だ。Sonyにインダストリアルデザインを導入し、若き日のジョブズも目標にした「デザインのSony」を創った人でもある。
大賀が世界にCDを提案した際、レコードにこだわる音楽業界は猛反対し、「石もて追われる」有様となった。だが累計売上2億枚の記録を持つクラシックの帝王カラヤンが「今後レコードにこだわりCDを出さない会社からはアルバムを出さない」と宣言したことで、形勢は一気に逆転。大賀に深い友情を感じていたこの大指揮者は、日本の友人の説得に心を動かしたのである。
ジョブズは、大賀のようなプロの音楽家出身ではなかったが、「経営界のロックスター」の異名を持つカリスマであった。のみならず生涯を通じて大の音楽ファンでもあった。そういうのは伝わるものだ。
iTunes Music Storeへの参加は、契約金でものをいわす話ではなかった。アーティストに心を開いてもらう必要があったのだ。創作上の問題があったからだ。
■アルバムから一曲バラ売りの時代へ
テクノロジーのもたらす節目には、決定的な働きをするミュージシャンが登場してきた。CD時代の幕開けを宣言したカラヤン。MTVの立ち上げを助けたミック・ジャガー。Napsterと闘ったメタリカなどがそうだ。
iTunes Music Storeは音楽流通の歴史的な転換となったが、これを助けた象徴的なミュージシャンを挙げるとするなら、ドクター・ドレーとU2でそんなに異論はないように思う。
「アルバムのバラ売りはやらない」
はじめU2はジョブズに対し、そう断ってきた(※1)。
iPodといえばU2というくらい、その後、両者のイメージは重なり合っていくが、U2も最初はiTunes Music Storeには反対していた。
幸いだったのは、U2のメンバーにテクノロジーおたくのギタリスト、ジ・エッジがいたことだ。彼はAppleに強い親近感を持っていた。かつてミュージシャンなら誰もがMacを使っていた過去が、功を奏したのだった。
「それでスティーブはボノやエッジとじっくり話し合い、じぶんのアイデアを試させてくれと頼んだんです」
このようにローゼンは、ディスカバリーチャンネルで解説した。この米レコード協会の会長は人気コメンテーターの顔も持っていた。Macのシェアはたった5%だ。何かあれば引っ込めてくれたらいい。そういってジョブズはジ・エッジを説得したという。
ボノもジョブズと意気投合し、いつしか家族ぐるみで付き合うようになった。芸術を愛し、求道的で、使命感が強いという点でふたりの人格には響き合うものがあったのだろう。
ジ・エッジと違って、もはやテクノロジーに悲観的な業界人は少なくなかった。彼らは、テクノロジーの結晶であるCDに文化保全を求めるようにして音楽配信に反対していた。
「そういう連中を信じるな。CDじゃ違法ダウンロードと対等に戦えない」
ボノは、ジョブズのようにばっさりと切り捨てた(※2)。
「僕らは音楽産業みたいに未来から逃げるつもりはない。歩み寄ってでっかいキスをしたいんだ」
音楽産業の頂点に立つユニバーサル・ミュージック。ボノたちU2やドレーの属するインタースコープ・レーベルは、その中核といって良かった。
ジョブズの説得にボノたちが賛同したことで、ジョブズがiTunes Music Storeをお披露目する際、インタースコープに属する錚々たるアーティストの応援をられるようになった。
そうすれば様子見している他のアーティストたちも音楽を提供しだすだろう。世界が変わるはずだった。
■Sony Musicの苦悩
日本人には意外かもしれない。Sony Musicのトップは端からiTunes Music Storeに賛成だった。
「スティーブが話しはじめてから、私が心を決めるまで、15秒もかからなかったと思います」
当時、ジョブズと交渉したSony Musicのアンディ・ラックCEO(当時)は振り返る。
社内には当然、デジタル売上がCDを喰うのではないかと懸念する声があった。だがジャーナリスト出身のラックには音楽レーベルはジョブズの言う方向に進むべきことがすぐに理解できた。ラックが慮ったのは、本社のWalkman部隊のことだった。
ソフトとハードの両輪を実現しなければ次の時代は生き残れない。
「CDの父」となった大賀典雄(Sony元社長)は、創業者の盛田昭夫をそう説得してコロムビア・レコードを買収した。それがSony Musicだ。CD革命の際、世界中の音楽会社から猛反対を受けた経験から、SonyがCDの次の革命を起こす日が来た時、音楽会社に味方が絶対に必要だと痛感したのだ。
いままさに、大賀の予見した時節が到来していた。ジョブズのやろうとしている一体型ビジネスは本来、Sonyがやるべきことではないのか。Sonyの少なからぬ人間がそう煩悶していたという。
ラックはレコード産業の将来像についても懸念した。一曲100円のiTunes Music Storeが成功したとしても、一枚2000円のCDのように稼いでくれる可能性はなかった。
ソフトで稼げない未来が待っているなら、音楽会社はハードで稼ぐ手立てを立てておく必要がある。
「スティーブ、機器の販売に対して、“ある程度”の支払いを約束してくれるなら、私も協力を約束しよう」
楽曲使用料に加え、iPodが1台売れる毎に販売手数料をもらいたい。この提案で、ラックはジョブズに嫌われてしまった。
「自分らで21世紀のWalkmanを開発すればいいじゃないか」
ジョブズはそう思っていた。SonyならiPodやiTunes Music Storeと同じものを創って、ハードで稼げばいいはずだった。
それから15年あまり。
経過を見ると、ラックの未来予測は当たっている。音楽ソフトの市場が縮小した一方、音楽関連のハードは成長した。
iPodからバトンを受け取ったiPhoneは未曾有の市場を創出(図1)。ユニバーサル・ミュージック傘下のインタースコープが出資したbeats社のヘッドフォンはブームとなり、ヘッドフォン市場はかつてのiPodに匹敵する市場となっている。
■Sonyを襲ったイノベーションのジレンマ
「これがWalkmanキラーです」
2003年4月初旬。Sony Musicを率いるアンドリュー・ラックはポケットからiPodを取り出し、本社の経営陣に突きつけた。
「こういうものを創るために、音楽会社を買収したのではありませんか?」
ジョブズと交渉を続けて来たラックの鞄には、iTunes Music Storeの資料も入っていた。 Walkman、ヘッドフォン文化、そしてCD。Sonyは人類の音楽生活に次々と革命を起こしてきた。
「みなさんなら、もっといいものが創れるはずだ」
iPodを片手にSony Musicを率いるラックは、本社の経営陣を挑発した。
Sonyが起こしたあの革命。「デジタル革命」と呼ばれたCDの誕生から21年。音楽企業を持たぬAppleが「デジタル流通革命」を起こそうとしていた。
ラックの言うとおり、Appleがやろうとしている一体型ビジネスの全てをSonyは持っているはずだった。
音楽配信、デジタルオーディオプレイヤーも先に出していたし、世界の音楽産業でリード役をつとめるSony Musicも持っていた。VAIOのヒットでパソコン事業も軌道に乗り、PCのノウハウも社内に蓄積されつつあった。あとは一体に統合するだけでよかったのだ。
だがSonyには、統合とは逆の力が働いていたのだった。
大まかに言って組織の経営には2つの方向がある。集中と拡散だ。トップが権限を様々な事業部やスタッフたちに委任する拡散路線は、成功を拡大させる局面に適している。Appleであればジョブズ追放後、スカリーがこの路線を取り、Appleの売上を10倍にした。
平時に強い拡散路線だが、破壊的イノベーションに向かない。
組織が一体となれないことでジレンマの拘泥に嵌ってしまう。ジョブズ復帰前のAppleはWindowsとインターネットの普及が起こした破壊的イノベーションに対し、迷走を続け倒産の危機に陥った。
一方で権力をリーダーに集約する集中路線は、破壊的イノベーションを起こしたり、イノベーションのジレンマを克服したりするのに適している。ジョブズはSonyのカンパニー制とは真逆に、事業部別の勘定を撤廃。たったひとつの勘定で動く会社にした。全社一丸となって「まったく新しい何か」を生み出す組織を創りたかったのだ。
対して21世紀初頭のSonyは、拡散の方向へ運動量を極大化させていた。
盛田時代に始まったSonyの事業部制は、大賀時代にはカンパニー制となり、出井時代にEVAが導入され先鋭化された。大賀時代に売上は4倍に、出井時代にさらにその倍に。21世紀初頭、Sonyはシリコンバレーの巨人と並ぶハイテク産業の旗手となっていた。
20世紀末までのSonyは創業者のチームが権力の手綱を持っていたため、集中と拡散のバランスが上手く取れていた。しかし出井CEOは、創業者世代だけが持つ権威を持たぬまま、25のカンパニーにそれぞれ利益の最大化を求めていた。
Sonyの名のもと、さまざまな部署が一丸となって革新的な製品を出し、次代を切り開く。井深、盛田、大賀時代に出来たことが、いまや各カンパニーから敬遠されていた。
盛田時代のSonyを手本としたジョブズは、利益の最大化ばかり求めるスカリー流の経営をばっさり捨てた。一方で、創業者亡き後のSonyが選んだのは、ジョブズの捨てた「アメリカ式」経営だったのだ。
その結果、Sony全体がイノベーションのジレンマに陥ってしまった。
Walkman、CD、MDと次々と世界を変える製品を発表し、黄金時代を築いたSonyの音楽事業もまた、ジレンマの重力に引き摺り込まれようとしていた。
「音楽のSony」を築いたあなた方なら、Apple以上の音楽ビジネスを組み立てられるはずだと言うラックの挑発に対し、御殿山に集ったSonyのエグゼクティブたちは顔色が優れなかった。
それはiPodの出来のせいではなかった。
当時、iPodは累計70万台余り。たとえ脅威と言っても当時、累計販売台数で3億4000万台を目指していたWalkmanをいますぐ脅かすものではなかった。
Sonyの経営陣はそのとき、iPodの将来的な脅威が霞むほどの現在的な危機に追い込まれていた。
屋台骨のテレビ事業が総崩れになっていたのだ。絶好調だった平面ブラウン管テレビが、プラズマや液晶テレビの登場で一気に持ち崩していた。既存製品の生む利益を追求するあまりイノベーションを怠ったツケだった。
同月25日。Sonyショックが始まった。
テレビ事業の大崩れで記録的な赤字がSonyから発表されると、東京の株式市場は大混乱に陥り、日経225は20年来の最安値を更新。バブル崩壊から始まった日本の
「失われた10年」は、Sonyが陥ったイノベーションのジレンマを機に「失われた20年」へ突入していった。
■Sonyショック直後だったiTunes Music Storeの開始
2003年4月28日、サンフランシスコ。奇しくもSonyショックが起きて3日後だ。「Appleが音楽サービスを発表するらしい」という噂が集まる中、ジョブズは壇上に立った。
「iPodはNo.1のmp3プレイヤーになった」
拍手が起こる。
「20年前、Sonyは革命を起こし、音楽を持ち運べるようにした。このデジタル時代、iPodがちょうど同じ革命を起こしている」
ジョブズはWalkmanを超え、そして今日、自らのiPodをも越えてみせると宣言した。
「Napsterが証明してくれたことがある。インターネットは音楽配信のために誕生したんだ」
ファイル共有の暗部をなじることに、世間が終始していた時期だ。ジョブズは壇上で大胆に、ファイル共有のユーザーメリットを並べてみせた。
店舗のCDは限られているが、Napsterのカタログは2000万曲超だ。お目当てを探すのも検索一発。フロアをうろつく必要も、そもそも店にでかける必要も無い。最後に、なんといっても無料だ。CDストアと比べた際、ファイル共有のユーザーメリットは際立っていた。
違法配信にかわる代替サービスは、ユーザー体験でNapsterに並ぶ必要がある。ジョブズの説得にメジャーレーベルは遂に応じた。
「この1年半、コンテンツ業界とテクノロジー業界は戦争状態にあった」
Napster裁判だけでない。合法配信のあり方を巡り、メジャーレーベル陣営は2陣営に分裂。内輪争いが起き、鳴り物入りで始まった定額制配信には最新チャート曲がほとんど揃ってないという惨状に陥っていた。交渉にふさわしい天候ではなかったというのを越して、まとめ上げるのはむしろ不可能に近かったのだ。
「だがこれは言っておこう。レコード産業には優秀な人たちもいた。一緒に世界を変えると決意してくれたんだ」
メジャーレーベルがこの日に用意したのは20万曲。現在の感覚からするとかなり少なく見えるが、先行する定額制配信と違い、iTunesにはビルボードチャートに入っている新譜がほぼすべて揃っていた。業界の盟主ユニバーサル・ミュージックのCEO、ダグ・モリスたちがミュージシャンたちを説得してくれたのだ。
さらにジョブズと友人となったインタースコープのアイオヴィンCEOの尽力で、トップページにはiTunes Music Storeに協力したくなった旬の大物アーティストがずらりと並んでいた。
CDストアを超える品揃えには、米メジャーレーベルの覚悟が込められていた。たとえCDが音楽配信に喰われても構わない。インターネットがもたらしたイノベーションのジレンマを超える。アメリカのレコード産業は、そう決意を固めたのだ。
プレイリストさえ違えば、無限にCDに焼ける。iPodをどんなに買い替えても、どのiPodも同期できる。3台までのMacを同時にオーサライズ出来る。Appleとメジャーレーベルの取り決めは、ユーザーを犯罪予備軍として扱うのではなく、音楽ファンとして扱っていた。
「このすべての権利が、1曲99セントで買える。スタバ1杯の値段で3曲だよ」
大きな拍手が長いあいだ会場を包んだ。ジョブズの読み通り、ファイル共有の「無料」に対抗するには、ワンコイン感覚のマイクロペイメント(小額決済)が正解だったのだ。
マイクロペイメントは歴史の節目節目で、音楽産業を助けて来た。
1930年代。無料のラジオに有料のレコードは太刀打ち出来無かったが、iTunesの先祖、ジュークボックスがワンコインの気軽さと友だちとのお気に入り音楽のシェアを武器に、レコードの売上を倍にした。
1950年代。安価なシングルがロックと共に普及しだすと、アルバムの買えなかった若年層を、レコード産業の主要顧客に変えてくれた。
メジャーレーベルから獲得したユーザーライツ(消費者の権利)を並べたジョブズは、最後にこう付け加えた。
「なによりも、よいカルマだ」
会場は爆笑した。違法ファイル共有を評して「カルマをもてあそぶのはよくない」と、東洋好きのジョブズが語ったニュースを会場のAppleファンは知っていたからだ。空気を軽くしてから、ジョブズはデモンストレーションに移った。
iTunesから一瞬でストアが立ち上がる。トップページの右側に並んだトップソングから、シェリル・クロウの「Soak Up The Sun」をクリック。ワンクリック購入のボタンを押して15秒でダウンロード終了。
「Soak Up The Sun」の陽気なイントロが会場に鳴り響き、歓声は最高潮に達した。拍手は止まなかった。iTunes Music Storeのユーザー体験は、Napsterよりもはるかにスマートだった。
無料に勝る利便性。Napsterを創業した20歳のショーン・パーカーが予言した、有料が無料に唯一、打ち勝つ道だった。ジョブズの狙い通り、ユーザーとレコード産業の取引がここに成立した。
「アーティストへの気配り、楽曲保護への気配り、革命への気配り、そしてユーザーがすぐに音楽を入手できる気配り。みんなのことが配慮されていて、取り残されている人は誰もいなかったわ」
壇上のスクリーンに写ったアラニス・モリセットは、ミュージシャンを代表してiTunes革命を肯定した。
「テクノロジーの進化と、スピリチュアルな配慮。ふたつが究極の融合を見せていると思う」
それはスティーブ・ジョブズの人生を讃えるのにもっとも本質的なことばだったかもしれない。復帰後のジョブズは、テクノロジーの進化で世界がよくなるとは純朴に信じなくなっていた。
かわりにできること。それは、最高の作品を提供することで、人類の精神によい影響をもたらすこと。それが天命とジョブズは心に期するようになった。
テクノロジーとアートの交差点は、技術と魂が融け合う場所だった。インターネットを機に戦争状態になったコンテンツ産業とIT産業の和平交渉が、ここに成立した。
■1週間で勝負を決める
発表はうまくいったが、iTunes Music Storeが商業的に成功するのか。懐疑的な声は少なくなかった。
「200曲の最高にクールなプレイリストを聴くとする。ラプソディなら月9.95ドル(千円強)だけど、iTunesなら198ドル(2万円弱)だ」
定額制配信(サブスク)を運営するReal Networksのロブ・グレイザーCEOは懐疑的だった。
「スティーブや僕ならそれくらい払えるけど、ふつうの人にそれを押し付けるのはどうなんだろうな」
先行するサブスク陣営の疑問に対し、ジョブズは自信満々だった。
「まあ見ていて。iTunes Music Storeのユーザー数は、(音楽サブスクの)プレスプレイ、ミュージックネットの会員数を1日で抜くと思うよ」
ジョブズの発表から1週間後。メディアやライバル陣営が疑問符を投げかける中、奇跡は起こった。
「驚異的な数字が耳に入ってきている」
アラニス・モリセットが所属するマーヴェリック・レコードの関係者が感想を漏らした。1週間で100万ダウンロードを達成したのだ。Apple 1社で、これまでの合法音楽配信すべての累計DL数を超えていた。シェア5%に過ぎぬMacユーザーのうち、iPodを所持している客層(当時70万台)だけで叩き出した数字だった。
Windows版もやっていたとしたら、単純計算で20倍いくはずだった。メジャーレーベルの楽曲使用ライセンスが、Windows版iTunesにも供給されることは決まったようなものだった。
「iPodとiTunes Music Storeは、ようやく見えた光明だ」
ファイル共有の対抗策として誕生した定額制配信の不調に苦しんでいた米レコード協会(RIAA)のケリー・シャーマン社長はiTunes Music Storeの立ち上がりを祝福した。
「Appleのやり方は正しかった」
業界の盟主ユニバーサル・ミュージックのダグ・モリスCEO(当時)は、この社会実験を成功と判断し、Sonyと運営していた定額制配信を整理・売却。iPhoneとSpotifyが登場するまで、定額制配信がふたたび脚光を浴びることはなくなった。
Sony MusicのラックCEOは、iTunes のWindows版登場を機に、iPodの本体価格に楽曲使用料を乗せる交渉を再び試みるつもりだった。しかしこのMac版のみの時点で、すでにデジタル流通革命の主導権はSonyの手から離れていた。
わずか1週間でiTunes Music Storeは、地球における音楽産業の将来を決めることとなったのである (続く)。
■本稿は「音楽が未来を連れてくる(DU BOOKS刊)」の一部をYahoo!ニュース 個人用に編集した記事となります。
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