街の名店セゾン投信を回転寿司にするクレディセゾンの愚かしさ
クレディセゾンは、金融庁監督下にない企業とはいえ、セゾン投信の株主である限りは、フィデューシャリー・デューティーを負うことを理解し、即座に行動を正すべきです。
セゾン投信中野会長の更迭
6月16日の日本経済新聞の記事によれば、クレディセゾンの代表取締役社長COOの水野氏は、セゾン投信中野会長更迭に関連して、「スマートフォン上での手続きを簡単にするなど利便性を向上させ「規模を10倍にしたい」と語った」とのことです。そのため、「今後はフィンテック企業のシステムを活用し、サービスの利便性を高める」そうです。要は、投資信託の販売政策を理由として、中野氏を更迭したというわけです。
しかし、金融庁は、顧客本位の業務運営を最重要施策として強力に推進するなかで、投資信託の質を高めるためには、投資運用業者の経営は投資信託の販売政策から完全に独立していなければならないとの認識を示しています。この指摘を受けて、投資運用業界は、改革への強い意志をもって、道を掃き清めつつあったところ、金融行政に無知蒙昧なクレディセゾンは、傍若無人にも、泥靴で踏み荒らす狼藉を働いたわけです。
投資信託協会長の発言
投資信託協会の松谷前会長は、6月13日の定例記者会見において、中野氏更迭に関する質問に対して、「同社の経営陣、株主がともにフィデューシャリー・デューティーを果たし、適切に情報を開示することが大切であろう」と答えていて、株主の責任を指摘しています。
フィデューシャリー・デューティーとは、専らに顧客の最善の利益のために職務を遂行すべきとする高度な忠実義務のことで、金融庁が推進する顧客本位の業務運営の根幹をなす理念です。フィデューシャリー・デューティーについて、金融庁の監督下にある金融界においては、知らないものは一人もいないのに対し、逆に、クレディセゾンにおいては、知るものは一人もいないのであって、この極端な見識の差が問題の本質であるわけです。
また、中野氏は、協会副会長の要職にあって、業界の改革を主導し、大きな功績を残しました。松谷氏は、中野氏が副会長に留任する人事案を決めていたのですが、クレディセゾンは、中野氏を突然に更迭することによって、それを覆したわけです。松谷氏の発言には、この社会的に許容し得ない非礼に対し、不快感を表明する意味もあったでしょう。
盲点をつかれた金融庁
金融庁は、金融グループ内における投資運用業者の独立性を問題にするとき、暗黙の前提として、投資運用業者の親会社も兄弟会社も、金融庁の監督下にあると想定していたはずですし、投資運用業者が金融庁の監督下にある以上は、その所有者が誰であれ、金融行政の理念に対して、十分な敬意を表すると自然に期待していたでしょう。
ましてや、中野氏は、直販と積立という利益化までに長い時間のかかる事業展開方法を敢えて選択し、顧客本位を徹底して、若い勤労層の強い支持を集め、黒字化に成功することで、金融庁のいうベストプラクティス、即ち、顧客の最善の利益に適う事業運営の模範を示してきたのですから、株主によって、その事業方針が完全に否定されたことに対しては、金融庁も不快感をもったに違いありません。
投資運用業者の株主のフィデューシャリー・デューティー
金融庁は、施策の実行において、規制による強制を避け、金融機関の自主自律を尊重していて、フィデューシャリー・デューティーについても、「顧客本位の業務運営に関する原則」に具現化し、各金融機関は、この原則を自主的に採択し、自己規律として、内部規範化する仕組みになっています。金融庁の監督下にある金融グループでは、傘下の投資運用業者だけでなく、その親会社も原則を採択していますから、クレディセゾンのような事態は決して起き得ないわけです。
法令等による規制の場合には、制度改正をしなければなりませんが、フィデューシャリー・デューティーについては、採択すべき事業者の範囲を拡大すればいいだけです。故に、投資運用業者の株主について、金融庁としては、監督下になくても、原則の自主的な採択を促し、採択していることを株主としての適格性の要件とすべきです。
クレディセゾンの不見識
寿司屋の三つの類型、即ち、多店舗展開する回転寿司の店、街の名店、銀座の高級店においては、供せられるものは、小さく握られたご飯の上に魚介類の一切れが乗っているものであって、確かに、その外貌に類似性があるにしても、それ以外に、何らの事業構造上の共通性はありません。
中野氏が創業した寿司屋は、街で熱く愛されて顧客の絶対的な支持を獲得している名店で、しかも、街の名店の常識を覆して、非常に多数の若い常連客が通い続け、その数が毎日増加しています。このことは、回転寿司にも、銀座の著名な高級店にも、他の街の名店にも、真似のできないことであって、セゾン投信のもつ圧倒的な競争力の証明です。
故に、セゾン投信は、生き残り得るどころか、力強く成長し続けていく企業なのであって、むしろ、生き残れなくなる危険に直面しているのは、一定の規模に到達し、それ以上に規模を拡大し得なくなっている回転寿司です。故に、回転寿司ばかりの投資運用業界では、中野氏を見習って、優良な街の名店を目指す機運が生じてきているわけです。
セゾン投信を回転寿司にする愚劣さ
セゾン投信を回転寿司に業態転換することに、合理性は全くありません。クレディセゾンの場合、経営判断が不適切だというよりも、そもそも投資運用業に関する知見が全くなく、無知蒙昧だからこそ、非常識で不見識なことができるのです。例えば、クレディセゾンは、セゾン投信の投資方針に変更はないといっていますが、品質を変えずに、街の名人が握っていたものを回転寿司の皿の上に乗せることは不可能だということすら知らないわけです。
規模を10倍という妄言
クレディセゾンのいうフィンテックとは、投資信託の販売におけるITによる顧客利便性の高度化のことでしょうが、確かに、実際に、業界には、ITの高度な能力を武器にして、投資信託の販売に革新をもたらして、成功している先行者がいます。しかし、クレディセゾンは、「フィンテック企業のシステムを活用」するというように、自分自身には専門的知見はないのですから、先行するITの高度な専門家と競争できるはずもありません。
ITを駆使した投資信託の販売が成功するのは、顧客が適切に投資信託を選択できるようにして、顧客本位の業務運営を貫徹するからです。こうした優れた販売会社は、特定の投資運用業者にとらわれることなく、真に顧客の利益に適う多様な投資信託を提供することで、顧客の預かり資産を10倍にできるでしょうが、セゾン投信が直販で販売するのは自社の投資信託だけですから、事情は全く異なります。クレディセゾンには、こうした基礎的な知識すら、欠如しているのです。
投資運用業者と販売会社の正しい関係
中野氏が直販で事業を開始したのは、中野氏の事業哲学を理解し、真に顧客本位な業務運営に徹底してくれる販売会社が存在しなかったからです。その後、金融庁の指導が浸透し、また、中野氏の成功が注目されるなかで、セゾン投信の直販と同じ理念に基づいて、その商品を扱おうとする販売会社がでてきていて、中野氏は、相手を厳選したうえで、販売会社との契約を着実に拡大させてきたのです。
このようにして、販売会社は、顧客本位を徹底するなかで、顧客本位が徹底されている投資運用業者を選び、投資運用業者は、顧客本位を徹底するなかで、顧客本位が徹底されている販売会社を選ぶ、この緊張関係が投資信託の質を高める点にこそ、金融行政の要諦があるのです。
クレディセゾンは、きちんと勉強して、誤った経営判断を即座に正すべきです。