脆弱な顧客を健康診断で強くする金融機関の義務
高度情報化社会において、技術や情報を使いこなせる人にとっては、利便性が劇的に向上するなかで、使いこなせない人にとっては、危険性が著しく増大したのではないか。
消費と浪費の境目
趣味への消費は、多くの場合、客観的には浪費のようですが、浪費する本人の主観からすれば、真っ当な消費であるどころか、人生の最重要事項であり、自己実現のための投資ですらあるでしょう。しかし、過剰な浪費、あるいは習慣性のある浪費には、人を経済的に破滅させる可能性もあって、社会政策的に、法律の介入により、規制されることがあります。
例えば、古来、賭博を趣味にする人は少なくありませんが、賭博への浪費で経済的に破綻する人が後を絶たないなかで、賭博は刑法によって犯罪化されています。実際には、競馬等の賭博がなされていますが、これらの合法化されている賭博は、地方自治体の資金調達等の公益的な目的を理由として、特別法によって例外的に許容されたものに限られているわけです。
賭博以外にも、趣味や嗜好の種類や形態によっては、法政策上の問題として、即ち、政治の領域の問題として、様々な分野が規制の対象になり得ますし、規制というほどではないにしても、消費者行政の責任として、客観的に過剰な浪費と判断されるような事態に対しては、広報活動等を通じた教育啓蒙的な警鐘が鳴らされることもあるでしょう。
消費者法のパラダイムシフト
現在、内閣府の消費者委員会では、「消費者法制度のパラダイムシフトに関する専門調査会」が開催されていて、パラダイムシフトというからには、消費者法の理念と目的の再定義を含めて、消費者行政の抜本的転換が提言されるはずです。
実は、既に検討の概要は明らかになっていて、第一に、消費者像について、情報の対称性のもとで合理的な判断をなし得る強い消費者から、本質的に脆弱で非合理な方向に誘導されやすい消費者への転換がなされ、その結果として、第二に、消費者の幸福の定義について、強い消費者が自由に自律的に選択するという主観的価値から、脆弱な消費者が公正で合理的な状態にあるという客観的価値への転換がなされるのです。
つまり、趣味や嗜好への消費、あるいは浪費についていえば、従来の強い消費者の幸福は、自律的で合理的な抑制のもとで、自由な消費を楽しむことで実現されるのに対して、新しい脆弱な消費者の幸福は、著しく不合理な浪費、あるいは、意図しない消費へ誘導されないように、社会的に公正で合理的な状態が確保されることで実現されるというわけです。
顧客の最善の利益を勘案する義務
消費者行政が直面する問題は、消費者が主観的に幸福を感じているとしても、公正な立場から客観的に評価するとき、あるいは家計を同一にする人の立場からするとき、その幸福感の背後に、錯誤、錯覚、不合理な独断、過剰に感情的な偏向などがあり得て、冷静で合理的な状態に立ち返るとき、幸福が転じて不幸になり得ることです。故に、行政課題は消費者の主観の歪みを是正することになるのです。
これに対して、例えば、医療においては、患者の主観的幸福と客観的幸福は原理的に一致します。医療機能を提供する側の義務のもとで、公正で客観的な立場からみて、最適で最善の医療が提供されるとき、患者の主観的な幸福が実現するからです。そこで、金融庁は、金融についても医療と同様なことが成立するとの前提のもとで、金融機能を提供する側に、顧客の最善の利益を勘案する義務を課したのです。
つまり、消費者行政においては、消費者の客観的で公正な幸福の実現について、消費者の情動的側面の歪みを是正しようとし、金融行政においては、顧客の客観的で公正な利益の実現について、金融機関の行動を是正しようとしていますが、実現されるべきものは同一なのです。要は、消費者行政では、膨大な数の大小様々、多種多様、玉石混淆の業者が存在し、それらを規制するのに限界があるのに対して、金融行政では、数の限られた業者を強力に規制できることから、手法の違いが生じるわけです。
顧客本位な営業としての健康診断
金融機能に限りませんが、人は、客観的に評価したときには必要であるはずのものについて、その必要性を自然に正しく認識するとは限りません。病気が進行していて、治療を受ける必要があっても、自覚症状が全くなければ、誰も病院には行かないわけです。そこで、定期的な健康診断が必要となるのですが、図式化していえば、消費者行政では、消費者の健康診断について、社会的な仕組みを構築しようとし、金融行政においては、金融機関に顧客の健康診断を義務付けたわけです。
実際、表現は必ずしも適切ではないかもしれませんが、見方によっては、健康診断には、患者本位な病院の営業活動という側面があるのであって、顧客本位な金融機関の営業活動とは、金融機能の利用状況について、顧客の最善の利益の見地から、健康診断することだといっていいでしょう。
金融行政と消費者行政の協働
もともと、消費者金融の過剰な利用については、顧客の利益に反する場合が多く、社会的な問題となってきた経緯があります。そこで、現在では、業界の自主規制で量的制限がなされるなどの様々な対策が講じられていますが、法律上、顧客の最善の利益を勘案する義務が貸金業者に適用されることは、消費者金融のあり方を更に大きく変える可能性があります。
即ち、資金使途を公正に評価したとき、消費者行政において消費者の客観的幸福に反するものは、金融行政においても、理屈上は、必然的に、顧客の最善の利益に反しますから、少なくとも、借金をしてまでも、消費者が客観的幸福に反する浪費を行うことは、金融行政の効果によって、大幅に抑制されるはずだということです。
貸さぬも親切
資金使途を問わないことは、消費者金融の利便性であり、利便性の提供は、表面的には、顧客の利益に適うことですが、結果的に資金使途が顧客の利益に反してしまえば、顧客の最善の利益に反したことになります。故に、貸金業者は、新しい規制環境のもとで、顧客の最善の利益を勘案するとき、資金使途を問題にせざるを得ず、状況によっては、融資を断ることになります。これは、実は、貸さぬも親切という格言で古くから知られてきたことです。
もちろん、資金使途を問わずに融資することは、場合によっては、顧客の最善の利益に適うこともあるわけですが、そのような状況は限られているはずで、貸金業者としては、どのような条件のもとで、それが可能となるのかについて、即ち、真の利便性とは何かについて、徹底的に検討しなければならないのです。
利便性の再検討
消費者行政が根本的な転換を目指す背景には、IT技術の高度な進展があります。取引の方法が激変し、商品情報が激増し、情報源泉が多様化するなかで、新しい技術や道具を使いこなし、正しい情報を選別でき、情報を解析できる強い消費者にとっては、利便性が大幅に向上したとしても、本質的に脆弱な消費者にとっては、業者に誘導される危険性が増大したとも考えられるわけです。故に、消費者行政の課題は、脆弱な消費者の視点において、安全な利便性を確保することになるのです。
高度なIT技術は、金融機能の提供方法も激変させています。その結果、自分の最善の利益について、主観の歪みに左右されることなく、合理的に判断でき、それを実現するための最適な金融機能の利用方法を選択できる人にとっては、確実に、利便性が向上しています。
しかし、同時に、消費者行政において指摘されている脆弱性は、確実に、金融機能の利用者にもあります。常識的に考えて、金融機関に課されている顧客の最善の利益を勘案する義務は、主として、脆弱性をもった顧客を保護するためのものであって、金融においても、脆弱な顧客に対して、安全な利便性を提供することが求められているわけです。