京アニ放火事件の容疑者を治療するということ 葛藤と苦悩
「京都アニメーション」のスタジオが放火された事件から1週間あまりが経った。
容疑者は治療を受けるため病院を転々としていたが、意識を取り戻したと報道された。そんな中、ネット上では「治療をするな」「痛み止めをせず苦しませろ」などの声が上がっている。かつて容疑者の治療にあたった経験がある医師の立場から所感を述べたい。
いま治療にあたっている医師、看護師、病院スタッフは複雑な思いをすることもあるだろう。まだ容疑の段階だが、30人以上を殺めた容疑者の治療に医療資源をそそぎ、おそらく最高の医療を提供していることと思う。容疑者はおそらく全身の重度のやけどや気道熱傷などの治療を受けていると思われるが、一般に、超重症のやけどの治療には大変な数の人手や大量の輸血など極めて高度な集中治療が必要になることが多い。筆者は外科医として熱傷治療に携わっていたことがあり、その大変さはよく知っている。
今回の事件に限らず、例えば大量殺人犯がいたとして、その犯人が病気や怪我になったときになぜ全力で治療をせねばならないのか。感情的には、医者としても強いためらいがある。そして我々医療者は、感情的にためらったまま行う治療が最善のものとはならないことは知っている。
現代の医療において、医者は、そして医療者は、大変な思いをしてなんとかやっと一人の命を助ける。死の淵に立った人をこちら側へ引っ張り戻すのは、並大抵のことではできない。21世紀になりこれほど医学が進歩したように見えても、今でも助けられない人は助けられないのだ。そういう現状のなか、いとも簡単そうに何人も殺めた人を全力で救うことのジレンマは、医療者のこころにあるだろう。
あまり語られていないことだが、病院にはある種の「懲罰的な感情」があることを記しておく。例えば酒の飲みすぎで急性アルコール中毒になり救急車で夜中に運ばれてきた若者に、「自業自得」「迷惑」としてあえて太い針で点滴を刺して痛みを与える、といったことはしばしば耳にする。それ以外にも、医療費が事実上無料である生活保護受給者で、まるで病院をホテル代わりに利用するような患者へは高額な治療を受けさせないと公言する医師もいる。まるで神のような振る舞いで私は好きではないが、病院にはそれくらいの裁量権があり、感情的になった治療というものも存在するのだ。
綺麗事を言うつもりはない。現場の医師、看護師、スタッフの皆さんは苦しみつつも全力で容疑者の治療をしているだろう。犯罪者の治療にあたった経験がある私としても、その苦悩は痛いほどよくわかる。しかし医療者は神ではない。裁判官でもない。医療者にできることは、ただ目の前の病める人を全力で良くする、その一点のみなのだ。そこに感情を介入させてはならない。
どうしても感情を殺せないという人には、このコメントを引用させていただきたい。
容疑者を生存させ、真実を明らかにする。これを目標として、治療にあたって頂きたく切に願う。医師として、治療に当たる医療スタッフの皆さんに心からの敬意を表したい。
最後になったが、亡くなられた被害者の皆様の冥福を心よりお祈りするとともに、今なお被害に苦しむ方々の回復を願ってやまない。