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【世界水泳】個人メドレーと平泳ぎの二刀流スイマー 16歳・渡部香生子の無限の可能性

萩原智子シドニー五輪競泳日本代表

伝説の地での世界選手権

バルセロナで行われている世界選手権。28日からは、競泳競技がスタートする。10年前、北島康介(アクエリアス)が平泳ぎ2種目2冠を達成し、世界新記録を樹立した伝説の地だ。昨年のロンドン五輪で、戦後最多のメダルを獲得した競泳日本。今年は、3年後のリオデジャネイロ五輪に向けてスタートの年となる。日本代表メンバーは、ロンドン五輪メダリストを筆頭に、新たなルーキーも加わった。ベテランと若手の融合で、また新たなチーム力を発揮してくれるだろう。

日本代表チーム最年少

16歳の渡部香生子(JSS立石)は、4月の日本選手権で初優勝を果たし、昨年のロンドン五輪に続き、チーム最年少での日本代表入りを果たした。驚くべきは、平泳ぎ選手としてロンドン五輪を戦った彼女が、個人メドレー代表として出場権を獲得したという事実だ。200m個人メドレー決勝。高校新記録となる2分12秒61という自己ベスト記録でレースを制した渡部だったが、いつもは控えめな彼女が、ゴール後、初めてと言っていい程の大きなガッツポーズを見せた。平泳ぎで五輪という大舞台を経験した渡部が、異なる種目で快泳。無限の可能性を感じた瞬間だった。

平泳ぎへの転向が個人メドレーにもプラスに

実は、彼女は中学1年生までは個人メドレー専門の選手だった。肩を故障したことで、肩に負担の少ない平泳ぎへの転向を余儀なくされる。ところが、この種目転向が、スイマーとしての渡部の可能性を広げることになった。

平泳ぎはそれまで一番苦手だったが、克服し、2011年、彼女が中学3年生(14歳)の時、大阪で行われた「ジャパンオープン」で、平泳ぎ3冠を達成。しかも3種目とも中学新記録樹立というおまけつき。周囲が「岩崎恭子の再来!」と息巻いた。

トップへの階段を一気に駆け上がった彼女は、周囲の期待にプレッシャーを感じながらも、高校1年生(15歳)にして、レベルの高い女子平泳ぎの接戦をものにし、2012年ロンドン五輪200m平泳ぎの代表権を掴み取る。

この平泳ぎでの才能開花が、現在の個人メドレー挑戦において非常に大きな意味を持つ。

4種目で泳ぐ個人メドレー(泳法順はバタフライ→背泳ぎ→平泳ぎ→自由形)は、選手ごとの持ち味が異なるため、レース中の順位の入れ替わりが激しく、見ごたえのある種目だ。バタフライ、背泳ぎが得意な選手は、先行逃げ切りで、前半から飛ばす。平泳ぎ、自由形が得意な選手は、後半の猛烈な追い上げを持ち味とする。

その中でも、200m個人メドレーは3種目め(100m~150m)である平泳ぎが、大きなポイントとなる。最終種目の自由形でラストスパートをかけるため、そこまでに少しでも余裕を残したいのが選手の本音。私も個人メドレー代表として五輪の出場経験があるが、平泳ぎが苦手だったため、前半の2種目でアドバンテージを作っても、平泳ぎで余計なエネルギーを使ってしまい、最後の自由形でラストスパートをかけることができず、次々と抜かれてしまった苦い経験を持つ。しかし、渡部の場合は、昔、個人メドレーを専門としていた際、背泳ぎ、自由形でも、全国大会に出場し、背泳ぎでは、表彰台へ登った実績もある。さらに怪我による種目転向で平泳ぎへの苦手意識もなくなり、個人メドレーではラストスパートでも、しっかりと力を発揮することができるようになった。

渡部を4月の日本選手権まで指導してきた麻績コーチは、「個人メドレーでも世界に通用する選手になれる。全種目に穴がないですよ。もともと個人メドレーの選手ですからね。」と話してくれた。彼女は、個人メドレーから平泳ぎへ種目を変え、再び、個人メドレーも並行して泳いでいくことに積極的な姿勢だ。もっと心身共にタフになりたいとの願いも込められている。

精神面での充実

渡部にとって、200m個人メドレーにチャレンジすることは、精神的な部分でも大きな支えにもなっている。

日本選手権の10日前、私は渡部の所属チームであるJSS立石ダイワスイミングで、彼女の弾ける笑顔を見ることができた。緊張感のある試合前は、なかなか見ることができない、無邪気な明るい笑顔。そうだ、彼女は、まだ高校2年生になったばかりなのだ、と再確認する。彼女のレースを見ていると、レース前後もレース中も、ベテラン選手のように冷静で、落ち着きがある。

早朝からの見学だったのにも関わらず、私を見つけると、笑顔で「おはようございます」と頭を下げてくれた。そんな彼女に個人メドレーのチャレンジについて聞いてみた。「個人メドレーは、チャレンジャー。ちょっと気楽に臨めるような気がします。メインは、平泳ぎなので。でも今年は、個人メドレーも・・・」と控えめながら、個人メドレーへの前向きな気持ちをのぞかせていた。

私にも同じような経験がある。私は、長年、背泳ぎを専門として世界を目指してきた。しかし背泳ぎでスランプの時期に、個人メドレーと出会い、大きな気持ちの変化があった。背泳ぎで記録が伸びず、記録更新の喜びをなかなか味わうことができなかったが、個人メドレーで記録更新ができたことで、モチベーション維持に繋がった。個人メドレーにチャレンジすることで気分転換ができたと同時に、4種目を万遍なく練習することで、体力の向上にも繋がった。

日本代表の選考がかかっている日本選手権で、私は背泳ぎ2種目と個人メドレーにエントリーしたことがあった。100m背泳ぎで代表権が獲得できず、不安定な精神部分を個人メドレーの存在に助けてもらったことがある。

実際、渡部選手も今年の日本選手権では、100m平泳ぎで2位に入るも派遣標準記録が突破できず、世界選手権代表の内定を勝ち取ることができなかった。大本命の200m平泳ぎでは、まさかの予選敗退。「筋力がアップしたことで、泳ぎが変わってきた。昔のような伸びのある泳ぎの感覚が取り戻せない。今回もリズムを崩してしまい、最後まで修正することができなかった。悔しい。」と大粒の涙を流した。しかしどん底の彼女を救ったのは、200m個人メドレーの存在だった。

「ロンドン五輪の翌年に、日本代表に入れるか入れないかは、今後、大きな差になる。平泳ぎがダメで落ち込みました。個人メドレーの存在に助けられました。個人メドレーにチャレンジして良かった。本当に良かったです」と笑顔を見せた。

立ち止まらず、前を向いて

今シーズン、個人メドレーを中心に泳いでいる渡部は、好調をキープしている。5月に行われた「ジャパンオープン」では、2分11秒96の日本高校新記録をマーク。個人メドレーの選手として、着実にステップアップしている。

28日から始まる世界選手権の舞台では、「昨年、行けなかった決勝の舞台に残って、戦いたい」と強い気持ちで挑む覚悟だ。

ロンドン五輪では、「緊張した」「あっという間に終わってしまって・・・」と振り返るように、200m平泳ぎ準決勝まで進むも14位。五輪独特の雰囲気に飲まれ、彼女の持ち味である、滑らかで伸びのある泳ぎができなかった。

私は失礼ながらも、若くして五輪に出場し、思うような結果が出せなかった彼女が、今後の競技人生でスランプに陥るのではないか、夢であった五輪に出場し、バーンアウトしてしまうのではないか、と心配していた。しかし私の心配をよそに、彼女は、ロンドンから帰国後も、ショックを引きずることなく、積極的にレースに出場。前向きにチャレンジする姿勢で自己ベストタイムを更新する姿を見て、ホッと胸をなで下ろしたのが、正直なところだ。15歳の彼女は、私が思っている以上に大人だった。「五輪の借りは五輪で返さないと」と話してくれた彼女の眼は、既に、リオデジャネイロ五輪へ向かっていた。

平泳ぎへのチャンスに

そんな渡部に嬉しいニュースが飛び込んできた。世界選手権では、個人メドレーに加え、100m平泳ぎでも出場する機会に恵まれた。これは、個人メドレーでの代表権獲得があったからこそ生まれたチャンスだ。

世間には、「渡部香生子=平泳ぎ」が、浸透しているが、今後、個人メドレーにも、積極的にチャレンジしてほしい。もちろん、リオデジャネイロ五輪を狙うに当たっては、種目を絞ることになるかもしれない。しかし現時点では、平泳ぎ一本に絞って練習や試合を泳ぐより、個人メドレーを並行していくことで、体力、持久力アップに繋がり、平泳ぎにも、いい影響が出てくる。「これからも平泳ぎと一緒に、個人メドレーでも世界で戦えるようになりたい。きっと平泳ぎも強くなれるから」と既に精神的な部分でも、個人メドレー効果が出ている。

彼女のスイマー人生を変えた原点でもある個人メドレー。3年後までに、心身共にタフになるためにも、個人メドレーと平泳ぎの二刀流スイマーとして、ステップアップしてほしい。この原点回帰が、もっともっと彼女を強くしてくれると信じている。そして彼女は、きっとまた私達を驚かせてくれるはずだ。最高の「香生子スマイル」と共に。

世界水泳バルセロナ代表選手:渡部香生子(JSS立石/武蔵野高校)

競泳の新星 渡部香生子 写真特集(時事通信)

シドニー五輪競泳日本代表

1980年山梨県生まれ。元競泳日本代表、2000年シドニー五輪に出場。200m背泳ぎ4位。04年に一度引退するが、09年に復帰を果たす。日本代表に返り咲き、順調な仕上がりを見せていたが、五輪前年の11年4月に子宮内膜症・卵巣のう腫と診断され手術。術後はリハビリに励みレース復帰。ロンドン五輪代表選考会では女子自由形で決勝に残り意地を見せた。現在はテレビ出演や水泳教室、講演活動などの活動を行っている。

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