蓮舫氏の二重国籍騒動と「日本人に帰化したことが悔しくて泣いた」デマの真相を探る
民進党代表戦に立候補している蓮舫氏に対して、「台湾と日本の二重国籍ではないか?」との指摘がなされ、連日メディアを賑わしています。
詳しい経緯や蓮舫氏の説明についてはYahoo!ニュース編集部の特集記事にお任せするとして、この記事では「実際に日本国籍を取得したときにどんな心境だったのか?」を紹介していきます。
国籍放棄問題の渦中にある蓮舫氏、単独インタビュー - Yahoo!ニュース
「蓮舫氏泣いた」デマに騙された自民党議員
今年6月、自民党の菅原一秀衆院議員がインターネット上のデマに騙され「蓮舫氏は『日本人に帰化したことについてあまりにも悔しくて悲しくて三日三晩泣いた』とブログに書いている」と会合で語ったことがありました。
「帰化悔しくて泣いた」 自民議員発言に蓮舫氏否定 :日本経済新聞
蓮舫氏のブログを検索してみれば分かりますが、そのような記述は見当たりません。検索エンジンで調べても一次ソースらしきものの履歴すら見当たらないため、悪質なデマだと判断できます。
このニュースを見たときは「調べればすぐに分かることを調べもせずに語るなんて……」と、いち編集者として思いました。そして、疑問も湧きました。
じゃあ、実際はどういう心境だったのか?
調べることにしました。
蓮舫氏が日本国籍取得について語った資料は4件
と言っても、ITを専門にしている筆者のような編集者が「蓮舫氏にインタビューをして聞く」なんてことはできません。そこで、過去の資料をあたりました。
蓮舫氏が国籍や帰化について語った新聞や雑誌は、筆者が確認できただけで4件あります。
まずは、1992年6月25日の朝日新聞の夕刊からです。
このインタビューでは「(台湾の緑色のパスポートから日本の)赤いパスポートになるのがいやだった」と語っています。
次は1994年2月8日の同じく朝日新聞の朝刊からです。
この記事からは「親に名付けられた蓮舫という名前にアイデンティティを持っており、それを窓口の人に『日本人じゃないと分かる』と否定されたことに不満を持った」ことが分かります。
話をデマに戻しますが、仮に「悔しくて泣いた」のだとしたらこの窓口の人の言葉が原因のように感じます。
最後は雑誌『婦人公論』の2010年4月22日号からです。
この記事からは、前述の「日本人じゃないと名前でわかりますよ」に対して憤りを覚えた理由を読み取れます。
また、騒ぎになっている二重国籍疑惑については「二重国籍を解消しなければならない義務があったため日本国籍を選んだ」とあります。このことから、蓮舫氏が台湾籍を保持する考えがあったとは考えられません。
国籍について書かれている資料はもう1件、雑誌『コスモポリタン』の1995年4月に発行された号にもあるようなのですが、資料を入手することができませんでした。当該の雑誌をお持ちの方は調べてみると良いと思います。
「蓮舫氏泣いた」デマの真相まとめ
資料から分かった事実をまとめるとこうなります。
- 二重国籍を解消する義務を果たすために日本国籍を選んだ
- 当時、日本のパスポートになるのがいやで寂しかった
- 窓口の人に「蓮舫」という名前を否定されて憤りを覚えた
絶対にデマに騙されない方法はありませんが、少なくともある程度の立場にある人は「調べてから周りに発言する」くらいのことはして欲しいものです――という話をするために当初、今回の件を調べていたのですが、二重国籍の話が出てきて重たくなってしまいました……。
一部文面を修正(2016年9月11日10時16分)
蓮舫氏に対して「帰化」という言葉を使用するのは不適切なため、以下の文面を修正しました。
- 「実際に帰化したときにどんな心境だったのか?」→「実際に日本国籍を取得したときにどんな心境だったのか?」
- 「蓮舫氏が帰化当時について語った資料は4件」→「蓮舫氏が日本国籍取得について語った資料は4件」