Yahoo!ニュース

「表現の自由」はどのように守られるべきなのか? 再びキズナアイ騒動に寄せて

千田有紀武蔵大学社会学部教授(社会学)

NHKのノーベル賞解説サイトでの、キズナアイの使われ方についての記事を書いた(ノーベル賞のNHK解説に「キズナアイ」は適役なのか? ネットで炎上中【追記あり】)。

多くの感想を寄せられ、なるほどと思ったので、改めて考えた。「表現の自由」についてである。

1.キズナアイそのものに、問題があるわけではない。

私が問題にしているのは、まずキズナアイそのものではない。

「キズナアイを嫌いだからといってすべてのひとに押し付けないで欲しい」という意見を寄せられたが、キズナアイ、個人的には可愛らしいと思う。このようなキズナアイを好きな人もいるだろう。思う存分、ひとりでキズナアイを愛でて欲しい。

2.女子と理系

私が問題にしたいのは、そのキズナアイが置かれた場所である。

1)子どもを対象にした

2)教育的な教材で

3)女性は理系が苦手だというステレオタイプがあり

4)実際に女性の多くが理系に進まないという現実があるなかで

5)女性が性的に描かれていて(ここの評価は分かれるようだが、やはり胸が強調されているのは否めないと思う。思わないとしたら、脳内の女性の表象の「スタンダード」が違うのだと思う)

6)女性が相槌しか打たない補助的な役割に押し込められている

という6点において、次回サイトを作成するときには、配慮してくれると嬉しいと考えているのである。

「女性を励ますことも大事かもしれませんが、子どもに科学に興味を持ってもらうことの方がもっと大切じゃありませんか?」

という意見をいくつか貰った。

これは悲しい。

その「科学に興味をもつ子ども」から、女の子が排除されていることが問題なのである。ぜひ、「子ども」の半分を構成する女の子に興味をもってもらいたいがゆえの、お願いである。「子ども」は男の子だけではない。

NHKにキズナアイを削除しろとか、サイトを閉鎖しろとか言うことを求めてはいない。

子ども時代を振り返れば、「理系ができる女子」への風当たりは強く、

「女子は、空間図形ができないはず」

「女子は、物理が苦手」

といった教育現場での先生の発言が、どれだけ負担だったか。

「理系科目ができると、どうも生きにくそうだから、勉強するのをやめよう」と考える短絡的な女子学生もいるのだ(私のことだ)。

小学校では、繰り返し「絶対に理系に行くとよい」と太鼓判を押されていたのに。

3.問題は性そのものではなく、表現方法である

「性的な表現を嫌っている」という批判も、的外れである。

アメリカなどでは、性の表現にはある意味おおらかであるが、子どもの目には触れないように厳しく「ゾーニング」されている。

問題は、性を表現することではない。

どのように表現するかである。

この意味ではすべての表現が、さまざまな意味をもちうる。

バービー人形ひとつ、広告のモデルひとつが、「痩せ願望を煽る」「白人だけを美の基準としている」と批判されてきている。

私たちの表現が、既存の社会規範、構造を再生産するという意味で、問題にされることがある。

この意味では、キズナアイは、確かに「女性らしい」、現在の社会で求められる「魅力」的な体つきをしており、女性に求められる美の規範をなぞっているし、体現してはいる。

私たちの社会では、女性の身体は性的な対象としてみられ、描かれている。

1.とは矛盾するようだが、その意味で、キズナアイは一端を確かに担ってはいる。

卵が先か、鶏が先かという問題にも似ている。

問題とされるときは、その表現そのものの先に、その表現が体現する社会の構造やシステムがあるのだ。

(だから、男性を性的に魅力的に描くことは、また違う意味をもつのだと思う)。

4.「表現の自由」とはなにか?

私は「表現の自由」は重要であると思っている。

そして国家による検閲や介入は、できるだけないほうが望ましいとも考えている。

だからこそ、国家に介入されないように、私たち市民がオープンに表現について語ることが必要だと思っている。

「このような表現は、何をうみだすのか?」

「誰を傷つけるのか?」

「私は嫌だ、なぜなら…」

という議題は、むしろ大いに、議論としてやるべきなのだ。

(「表現の自由」を標榜する人が、聞くに堪えない差別語を投げかけるのを見るのは、やはり悲しい。いったい何を表現したいがための「自由」なのかと思ってしまう)。

「表現」とは、他者に配慮することによって枯渇するようなやわなものではないはずだ。

本当に表現したいなにかがあるのなら、さまざまな配慮があることによって、それをくぐることによって、その表現はいっそう磨かれ、光り輝くのではないだろうか。

武蔵大学社会学部教授(社会学)

1968年生まれ。東京大学文学部社会学科卒業。東京外国語大学外国語学部准教授、コロンビア大学の客員研究員などを経て、 武蔵大学社会学部教授。専門は現代社会学。家族、ジェンダー、セクシュアリティ、格差、サブカルチャーなど対象は多岐にわたる。著作は『日本型近代家族―どこから来てどこへ行くのか』、『女性学/男性学』、共著に『ジェンダー論をつかむ』など多数。

千田有紀の最近の記事