Yahoo!ニュース

公明党、600万票の山が動いた~自公連立の地殻変動【コロナ対策一律10万円の急展開】

古谷経衡作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長
2018年、公明党全国大会に出席する安倍首相(写真:アフロ)

 新型コロナ禍による経済対策として、収入減世帯への条件付き30万円給付という自民党の方針が一転、「一律10万円支給」へと大きく舵を切った。この背景には、連立与党である公明党による総理や官邸への強烈なプレッシャーがあったことが縷々報道されている。

 2020年4月17日の時事通信報によれば、

新型コロナウイルス感染拡大を受けた経済対策で、焦点の現金給付は国民1人当たり10万円とすることが決まった。連立解消まで持ち出した公明党の強硬な要求に安倍晋三首相が折れた形で、2020年度補正予算案を組み替える異例の展開となった。(中略)「今、やらないと私も首相もおしまいですよ」。(4月)14日午前の首相官邸。公明党の山口那津男代表は首相に語気を強めて一律10万円給付の実現を迫った。複数の与党関係者によると、山口氏はこの際、「連立離脱」の可能性に踏み込んだとされ、あまりのけんまくに首相も動揺を隠せなかった。

 公明党は当初から10万円の給付を主張したものの、減収世帯に対象を絞った30万円給付で決着。公明支持層からは「受け取れない人が多い」との怒りが渦巻いた。公明党幹部によると、支持母体の創価学会から「このままでは公明の選挙に協力できない」と通告を受け、山口氏は危機感を募らせていた。

出典:公明、「連立離脱」論で押し切る 官邸主導の政治手法に影―現金給付1人10万円(時事)*太字、一部括弧筆者=以下同

 この記事が正しいとすると、「平和と福祉の党」を標榜してきた公明党が、安倍自民と連立を組んできた過去8年間のなかで、「特定秘密保護法」(2013年)「集団的自衛権に関する憲法解釈の見直し」(2014年)「安保関連法」(同)など、同党の党是とは必ずしも相いれない自民党の方針ですら嫌々妥協してきた同党が、いよいよ安倍自民に対しての最終カードである「連立離脱」を持ち出した事実であり、安倍内閣下で初めてのケースと言える。

 公明党は2017年衆議院選挙における各比例代表区合計で約700万票、2019年参議院選挙の全国比例では約650万票を獲得し、自公連立の重要なキーパーソンを担ってきた。このような票田の背景には同党最大の支持母体、創価学会の存在が大である。今回の公明党の動きは、まさに「山が動いた」と形容するに相応しく、自公連立体制に地殻変動の鼓動が聞こえ始めてきた。

 本稿では、公明党結成の歴史的変遷を踏まえ、1999年から20年近く続く「自公連立」の軋みに焦点を当てる。

1】そもそも公明党とは何か

選挙のイメージ(フォトAC)
選挙のイメージ(フォトAC)

 公明党の最大の支持母体である創価学会は、1930年(昭和5)に教育者であった牧口常三郎(まきぐち つねさぶろう)が設立した「創価教育学会」を始祖とする。『公明党 創価学会と50年の軌跡』(中央公論社、薬師寺克行著)によると、「(日蓮宗の開祖である)日蓮上人の説いた法華経を仰ぎ、”南無妙法蓮華経”を唱える勤行(ごんぎょう)に励めば、様々な困難に打ち勝つ強い自分が作られると主張」(薬師寺,24)していたという。

 しかし終戦直後の1946年に創価学会と改称することになるこの「創価教育学会」は、時の国家権力から猛烈な弾圧を受ける。大本教弾圧(1921年、1935年)を筆頭に、全国民に国家神道的考えを普及させ、国民の精神統一を図ろうとする時の政府は、戦時統制期において新宗教や仏教勢力への介入を強めた。

 ここに多くの仏教勢力は国家神道的強権に下ることになるが、牧口をはじめとする「創価教育学会」の幹部らは頑なに信仰を守ったため、1943年、牧口と戦後二代目創価学会会長となる戸田城聖(とだ じょうせい)は、治安維持法違反と不敬罪容疑で逮捕・投獄され、あろうことか牧口は戦時中の1944年、そのまま東京拘置所で獄中死するに至る。

 このような経緯を踏まえて戦後再出発した創価学会は、本格的な政界進出を図り、1964年にはそれまで存在していた「公明政治連盟」(1961年結成)を解消して「公明党」が結党する。公明党の誕生であった。結党時には「大衆とともに」を大々的に掲げた。

 戦後の公明党―創価学会は、日本が高度成長で躍進する中、農村部から都市に移動してきた郡部出身者をその支持基盤としていた。前掲薬師寺によれば、

「(公明党が)大衆性を強調した背景には(中略)創価学会の会員が東京や大阪など大都市部の低所得者層に多いことを反映している。こうした人たちの多くは、自民党の支持基盤である財界や大企業はもちろん、地方の保守層とも縁が薄い階層である。同時に社会党の支持基盤である組織労働者でもない。つまり、自民、社会両党の支持基盤からこぼれた階層を救い上げていくという政治的狙いが込められていた」(薬師寺,38)

「戦後の日本は敗戦後の混迷期を過ぎると高度成長を迎え、農村部から多くの人が労働者として都市部に移動した(中略)。その多くは学歴が低く大企業に就職できるわけでもなく、労働組合組織に入ることのない末端労働者、あるいは零細企業経営者として孤立し、劣悪な環境の中で働いていた。同時に彼らは人間関係の強い農村の地域共同体を離れ、一人ひとりが切り離された都市社会に放り込まれ、孤独な生活を強いられていた。創価学会が折伏(しゃくぶく)のターゲットにしたのは、生活の不安定さと将来に対する不安を抱えた都市部の孤独な低所得者層だった」(薬師寺,30)

 という。だから公明党の根底には、戦前・戦中に受けた国家からの弾圧の爪痕と、農村から都市部に移動してきたは良いが、人脈や地縁のない中で精神的にも経済的にも孤立しつつある都市部の下層労働者への福祉政策が強烈にある。よって公明党は、結党時から日本国憲法の護持をうたい、日米安保条約に対しては一時期まで「段階的解消」を唱えるなど概して批判的であった。国家神道体制に弾圧された経験から、総理や閣僚の靖国神社参拝にことさら反発するのはそのためである。

 と同時に、都市下層の人々への手厚い福祉、生活者目線での政策を最重要視する。消費税率10%増税の際、酒類やたばこ等をのぞく生活必需品目への軽減税率(8%据え置き)に頑なにこだわったのも、このような公明党の歴史的背景がある。

 しかし、なぜこのような公明党が、その性質も支持基盤も180度違う自民党(まして安倍自民)と連立を組んでいるのだろうか?

2】自民党の変質と公明党~経世会から清和会へ

 公明党が新進党(1994年-1997年)を経て、自民党と連立政権を組んだのは1999年の小渕恵三内閣時代であった。当時、自自(自由党=小沢一郎党首)連立が先行していたが、そこに公明党が入って「自自公」体制が確立。その後、小沢氏率いる自由党が連立を離脱したため、「自公保(保守党=扇千景党首)」になるが、結局保守党が事実上消滅したので「自公連立」が確立した。この自公連立による連立政権は、民主党政権時代(2009年-2012年)を除いて、現在に至るまで続いている。

 さて、公明党が自民党との連立を形成した1999年、当時の小渕恵三政権は公明党と政策的に概ね近似していた。小渕は竹下派→経世会(平成研究会)の領袖で、その政策姿勢は概してハト派・大きな政府路線である。公明党の政策もそれにおおむね同調的であった。戦争という悲惨な経験と国家による弾圧という辛酸をわが身を以て舐めた公明党は、護憲姿勢と平和主義の路線を採用し、また前述のように都市下層の人々を支持基盤として成長してきたがゆえに、積極的な財政政策を採って、政府が強力な再分配を行う「福祉国家」路線こそがその核心的性質だったのである。

 こうして考えると、公明党の性格は自民党の保守本流・ハト派の宏池会や旧田中・竹下派の「福祉国家」路線(―もちろんそれは、バラマキと揶揄されたが)に概して近い。政策面において完全な重複は無く、妥協点も多かったが、公明党が1999年に時の小渕恵三政権と連立を組んだのは、公明党と自民党経世会(―旧田中・竹下派等)と根底ではとりわけ内政面で相性が良かったからである。

 ところが公明党にとっても、また日本国民によっても全く予想だにしなかったことが起きた。1999年5年、小渕恵三が突然の脳梗塞で急逝したのである。これにより急遽、首班が森喜朗に交代した。森喜朗内閣は、発足当初から小渕の急逝により誕生したことで「密室内閣」と揶揄されたが、その後森自身のいわゆる「神の国」発言、「無党派層は寝ていてくれればいい」発言、またハワイ沖での実習船えひめ丸と米原潜の衝突事故における危機対応が批判され、支持率が1割未満となり、約1年の短命内閣で終わった。

 森は派閥的には旧福田派の流れを汲む「清和会」の所属で、典型的な文教族であり、タカ派的で復古主義的な価値観の持ち主であった。森内閣の誕生経緯はともかく、小渕内閣相手に連立を組んだ公明党は、その小渕の突然の急逝によって、本来自党の政策と全く異なる「自民党清和会」との連立に移行せざるを得なくなった。

3】清和会と公明党

 森の不人気を受けて登場したのは、またも「清和会」内閣であった。橋本龍太郎との劇的な総裁選を制して自民党総裁になった小泉純一郎は、構造改革路線を推し進め、約5年半の長期政権を維持した。その特徴は、靖国神社参拝を筆頭としたタカ派的性格と、内政的には民営化・新自由主義的路線を前面に押し出す「小さな政府」姿勢で、公明党とは政策的に真反対の性質である。

 小泉内閣から事実上禅譲される形で誕生した第一次安倍晋三内閣(2006年-2007年)、続く福田康夫内閣(2007年-2008年)も「清和会」政権で、自民党内の派閥力学は、それまで本流とされてきた宏池会を抑え、タカ派で新自由主義的な性質を持つ、党内では非主流とされてきた旧福田派の流れをくむ「清和会」の天下が続いた。

 これにより事実上、1999年の森内閣から、小泉、一次安倍、福田までの約9年間、公明党は自党の性格とは真逆である「自民党清和会」内閣と連立政権を組むことになる。そして麻生太郎内閣(2008年-2009年)を経て自民党が下野し、2012年暮れにまたも「清和会」の第二次安倍政権が発足してから現在まで、都合約17年間、公明党は本来、自党と相性の良かった自民党経世会系の内閣とは一度も連立を組むことは無かった。

 考えてみれば、公明党が「自民党のブレーキ役」「自民党の右傾傾向を抑える重石(おもいし)」を自称するようになったのは、おおむね小泉政権以降のゼロ年代以降である。しかしなぜ、公明党が相性の悪い「清和会」内閣とそれでも連立を組み続けたのかと言えば、それは一言で政権与党に参画することで享受できる様々なメリットを天秤にかけたうえでの打算・野心であった。そうしていつしか公明党は、「自民党のブレーキ役」どころか、「自民党の補完勢力」と揶揄されるようになるのだが、根源的な自公連立の齟齬は、実は自公連立政権発足直後の小渕急逝に伴う清和会内閣(森)への交代からすでに始まっていた。

 こうして公明党は、森以降、教育方針(教育基本法改正)や安保方針などで対米追従、9条改憲姿勢を明確にする「清和会」の方針に、時として抵抗し、時として妥協しながら、自民党との盤石な選挙協力によって安定的な議席を衆参で獲得することに成功してきた。しかし、こうした公明党の自民党追従姿勢は党内から、そして最大の支持母体である創価学会の伝統的構成員にとっては、ずっとしこりとして残り続けることとなる。

 事実、2019年参院選挙では、公明党の自民党追従体制に反発する一部の創価学会員が公然と「れいわ新鮮組」などを支持し、東京選挙区から「れいわ新選組」公認で立候補する候補者(野原善正候補)が出、落選はしたものの21万票を獲得するなどの事実がその筆頭である。地下で高まる公明党の「清和会」への追従姿勢が、公明党と創価学会全体に不気味な不協和音となって響き続けているのは間違いなく、その不満が、今回の「連立離脱」を切り札に公明党・山口那津男代表の「直談判」的行動に走らせた遠因であるとはいい過ぎではない。

4】自公連立の未来

国会議事堂のイメージ(フォトAC)
国会議事堂のイメージ(フォトAC)

「特定秘密保護法」や「安保法制」でも自民党に賛成し、連立離脱を言い出さなかった公明党が、今次のコロナ・ショックでいよいよ、公明党の絶対線である「生活者大衆の視点」分野で一歩も譲らなかったことは、公明党の本来の性質が現出したものであり、特段驚くには値しない。そもそも繰り返すように、公明党と「清和会」は、水と油とはいかないまでも、その多くの政策価値観で対立する構造を内包したまま連立政権として突き進んできたからである。

 自民党としても、国政選挙で恒常的に600万票以上を獲得する公明党はもはや自民党政権維持の観点から「絶対必要」であり、無視するという選択肢はない。今回公明党が、「直談判」的形で「清和会」に連立離脱を匂わせたことは、すなわち自公連立の瓦解を意味しなくとも、現在の公明党と創価学会がそろそろ「清和会」的タカ派姿勢、新自由主義姿勢、大企業優遇姿勢についていけなくなったことを意味している。それはすなわち「清和会」天下の終わりとほとんど同義である、と筆者は考える。

 公明党による「反撃」は、自公連立の大枠を崩さなくとも、ポスト安倍の政権が、少なくとも「非清和会内閣」に戻ることを暗示しており、今次コロナ禍の進展でますます経済状況が恐慌的となれば、都市部における零細自営業者を支持基盤に持つ公明党の本来の姿勢、つまり「大きな政府」に近い、再分配型の政策を次期政権が採らざるを得ないことを示しているといえよう。(了)

 

参考文献:『公明党 創価学会と50年の軌跡』(中央公論社、薬師寺克行著)、『創価学会と平和主義』(朝日新聞出版、佐藤優著)

作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長

1982年北海道札幌市生まれ。作家/文筆家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長。一般社団法人 日本ペンクラブ正会員。立命館大学文学部史学科卒。テレビ・ラジオ出演など多数。主な著書に『シニア右翼―日本の中高年はなぜ右傾化するのか』(中央公論新社)、『愛国商売』(小学館)、『日本型リア充の研究』(自由国民社)、『女政治家の通信簿』(小学館)、『日本を蝕む極論の正体』(新潮社)、『意識高い系の研究』(文藝春秋)、『左翼も右翼もウソばかり』(新潮社)、『ネット右翼の終わり』(晶文社)、『欲望のすすめ』(ベスト新書)、『若者は本当に右傾化しているのか』(アスペクト)等多数。

古谷経衡の最近の記事