【平成Jリーグななめ読み】全58チームに拡大。”縦長さ”を知るギラヴァンツ北九州からの”下から目線”
Jリーグが10チームで開幕した平成5年(1993年)に、「26年後には58チームあって、3部までを戦っていますよ」という話なんて、とても信じられなかっただろう。
その全クラブの最下位からスタートを切ったのが、今季のギラヴァンツ北九州だ。2018年シーズン、J3リーグで6勝9分17敗の最下位に終わった。得失点差で1つ上の順位の17位に5点差をつけられた惨敗だった。今季は一転、好調をキープし、4勝2分1敗の3位につける。
3部リーグの首位でもない、まだ開幕7節しか終わっていない立場から、いったい何が言える?
平成が終わるときだからこそ、言う。このクラブは平成の日本サッカー史のなかでも「乱高下」という点ではかなりのものを味わっている。1部でのタイトルから3部までを経験した大分トリニータに次ぐものだ。
大分の場合は栄華があるから目立つが、折れ線グラフが縦軸の下の方で動く点では北九州が1番だ。2001年にJリーグを目指すクラブとして体制を整え、2010年にJ2に昇格した。2014年にはJ2で5位(Jリーグ全体で23位)まで上昇したが、2016年に最下位となり、J3 に降格。2018年にはJ3最下位(57位)となった。平成の時代に拡大されたリーグの縦長さを、ある意味で最も知ると言えるのだ。
昨季はレギュレーションに救われ(J3とJFL=4部の入れ替え制が存在しない)、降格を免れた。クラブを応援する立場の感覚を表現するなら、2014年の「J1を目指す」という話から5年で「J3にいられることに感謝」というところまで変化している。下の方にいるから、大分のようには目立たないが、このクラブを取材していてこそ、見えるものがある。決して自虐ネタではない。朝日新聞北九州版の連載を通じ、東京と郷里を月1回ペースで往来してきた立場から切り取る「J3最下位から眺めるJリーグ」を。
平成最後の日に。
ようやく上向いてきたチーム 2017、18年の苦境
4月27日、ギラヴァンツ北九州の直近のゲームブラウブリッツ秋田戦(アウェー/J3リーグ第7節)を現地で取材した。
試合後、相手の間瀬秀一監督が開口一番、真顔でこんな話をしていた。
「正直なところ、今のギラヴァンツ北九州は走力、攻守の切り替え、インテシティの面でリーグ最高峰だと思います」
相手監督が褒めてくれた瞬間に”全国版”たるこの「Yahoo!ニュース個人」の場で何かを言ってもいいかなという思いを抱いた。
そこまではっきり言って隠れていたい思いが強かった。穴があったら入りたい。あるいは好調のチームをあれこれ言わずそっとしておきたいという思い。
2017年と18年、J3リーグにあって本当に苦しい時を過ごしてきた。17年開幕当初はこちらから「上から目線」で見てきたリーグで、9位。2018年に至っては17回も負け最下位になった。やがて「週末にスマホで他会場の結果を見る」ということすらしなくなった。2年間、一度も昇格レースに絡まないから、他会場の結果がまったく関係ないのだ。Jリーグの最下層にあって、ただ自分たちが負けるだけ。そんな日々だった。
この立場からこそいえる「降格論」。”悪い降格”とは?
「下から目線」でまず言いたいことは、降格のなかには「悪い降格」があるということだ。もちろん降格は全てが悪い。いい降格などない。しかしそのなかでも悪い降格はある。
それは「準備をしていない降格」だ。平成の時代、26年の歴史を経てJリーグのファンも「クラブの格に見合った期待をかける」という点は十分に理解できているだろう。全チームが優勝を狙えるわけではない。プロ野球のように選手がドラフトで配分されるわけではない。だから己の目標順位を目指す。
ギラヴァンツ北九州はこの点で最も残酷な歴史を味わった。
2015年のリーグ7位から最下位に転落したのだ。任期4年めだった柱谷幸一監督は「長期政権のマンネリ」を危惧し、そこまで成功していたカウンター攻撃に加え、ポゼッションを付け加えることを目指した。成績が振るわず、元の形に戻したりもしたが、すでに「最後で跳ね返せる守備陣」はもうチームにいなかった。
何より、長い期間トラウマだったのがこの2016年シーズンに試合終了間際の失点が4試合ほどあったことだ。合計で勝ち点7くらいが最後の最後で飛んでいった。この年、降格を免れた一つ上の順位のツエーゲン金沢との勝ち点は1だったから、本当に辛かった。ひとつでも外にボールを蹴り出していれば、歴史は違ったのに。そういったレベルだ。
「準備をしていない降格」の地獄は、降格後にやってくる。「すぐに戻れる」という意識が、気の緩みを生み、うまくいかないとすぐにプレッシャーへと転じる。ギラヴァンツ北九州の場合、諸問題はあるが、2017年と18年の2年に渡り、フィジカルコーチを置かなかったという失態を犯した。選手の素材、格は「リーグ最強」と言われながら、走れない。攻めても、ゴール前に人がいない。2018年途中に就任した柱谷哲二監督は「とにかく前に行け」という指示を出すよりほかなかった。
また、落ちた年も悪かった。J3リーグ開始から4年目にあって、北九州史上は6番目の昇格クラブだったが、落ちた年にはJ2経験クラブが3つしかなかった。「なんで俺たちだけ」という曲がった被害意識があった。当時の意識を反省するよりほかないが、致し方なかったかなと思うところもある。なにせ、3部リーグは未知の場所。傾向も何もない。後になって、この2017年からようやく傾向のようなものが出てきていたことを知るのだが。
町田ゼルビア、絶賛すべし。その理由とは。
そんなクラブでも救われたことがある。実際にJ2からJ3に降格した2016年のほか、2010年と2018年、それぞれJ2とJ3リーグで最下位を経験した。しかし降格しなかった。リーグのシステムが整っておらず、レギュレーションに救われたのだ。「JからJ以下」に落ちることはなかった。
その立場から言うと、昨年のJ2 町田ゼルビアの躍進は大絶賛というところだった。J1昇格プレーオフ圏内の4位に入った。町田の何がすごいかというと、2013年にJリーグで唯一「JからJFLへの降格」を味わったという点においてだ。
翌年にJ3リーグが発足し、そこに自動的に加盟したが、「Jからの降格」を経験したクラブは他にない。読者諸兄におかれては、昇格のことはよく考えるだろう。「下から目線」でいうと、そういった歴史にまず目が行くようになる。
3部リーグにも「傾向」が芽生えつつある
2019年の今、ギラヴァンツ北九州は少しずつ良くなっている。そこにも「平成Jリーグ史」のなかでの新しい傾向に沿った部分がある。
「J3リーグの誕生により、選手の受け皿が出来た。現にタイなど東南アジアへの移籍は減っている」と、ある選手仲介人が言っていたが、これは本当だ。
J2経験者が増えてきて、リーグのレベルも少しずつ上昇している。他の降格クラブも出てきた点も影響しているだろう。楽しく観戦できるゲームもある。
特に感じるのは国内の監督の人材の受け皿となっている点だ。
今季、ここまで首位に立つ藤枝MYFCは石崎信弘監督が率いるチームだ。コンサドーレ札幌、川崎フロンターレ、モンテディオ山形、大分トリニータなど、上のカテゴリーで実績・認知度を誇る存在だ。昨年途中からチームを率い、結果が残せなかったが、スタートから指揮を執る今季は7戦で5勝1分1敗の好成績を残している。
これを勝ち点2差で追うギラヴァンツ北九州の小林伸二監督も山形、大分、徳島ヴォルティス、清水エスパルスなどで「昇格請負人」として知られた存在だ。今季は「コレクティブ」という戦術の向上の他に、週初めの練習でのハードなランニング、週中の筋トレを続け、多くの選手が体脂肪10%を切る状態を作っている。要は「走れるチームになれたから、変わろうとしている」のだ。
こういった人材が、戦術やフィジカルを整備して短期間にチームが好転する、という傾向がある。「年々順位が大きく変わる」と言われるのはそのためだ。昨シーズンは万年最下位だったY.S.C.C横浜が横浜F・マリノスなどで指揮を執った樋口靖洋監督の指導が実り、一時上位をも倒す勢いをつけたことがある。逆に言うと、「必要なことを知らなかった選手が知り、成長している」という段階でもある。もちろん、どの監督も成功できるわけはないが、あと数年はこの傾向が続くのではないか。
そういったなかでも、大いなるリスペクトに値するのはアスルクラロ沼津だ。吉田謙監督は選手時代、わずかに読売クラブの2軍、ジュニオールに在籍したことがある程度。選手も無名。しかし優れたフィジカルと規律を保つ集団を作り上げている。2018年には昇格直後に3位に入った。過去2年間、ギラヴァンツ北九州は対戦して一度も勝てない。はっきり言って一番強い。守備時のコンパクトさたるや、チャンスも作れないのではと思うほどだ。
J3リーグ、しばらくは新たな人材の流入により、毎年のように大きく順位が入れ替わるリーグになっていくのではいか。「どこが強い」なんてない。J1、J2よりもはるかに混戦。3部リーグはこんな現状だ。ギラヴァンツ北九州に関して言えば、今季ははっきり言って「過去にJ2にいたことはほとんど関係ないチーム」だ。大卒6人が入団し、多くが試合出場の機会を得るなど、奮闘している。
Jリーグと都市論。大都会に行きたければ、上のカテゴリーに行くしかない
その他にも、J1、J2の世界に対して伝えてみたい視点はある。
まずは、在籍した選手の多くは「北九州大好き」という状態になる点だ。”修羅の国”なんて話もよく出るが、そんなことはない。世話好きおばちゃんの多い、良い場所だ……という、わが町自慢ではない。J2下位からJ3を巡る選手にとって、北九州はそのレベルのクラブのうち、数少ない大都市なのだ。
逆に言えば、「大都市でプレーしよう(暮らそう)と思えば、J1に行くしかない」という傾向が出始めている。
北九州は日本国内の人口規模で全国14位だが、その上の規模の街のクラブはほぼJ1にいる。
1.東京都
2.横浜市
3.大阪市
4.名古屋市
5.札幌市
6.福岡市
7.神戸市
8.川崎市
9.京都市
10.さいたま市
11.広島市
12.仙台市
13.千葉市
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14. 北九州市
東京と横浜には複数クラブがあり、下のカテゴリーでもプレーは可能。いっぽう、J2にいるのは京都と福岡と千葉のみだ。
これもまた、平成の最後に示したい「下から目線」だ。個人的には悪くないことだと思う。長渕剛の「死にたいくらいに憧れた 花の都大東京」じゃないが、都会に行きたければ、這い上がれ。ここで成長して、たくさん移籍金を残してビッグクラブに行ってくれ。そう思う。そうやりながら、こちらも力をつけていくしかない。
逆にいえば、自分のクラブが3部に落ちて、浦和レッズや鹿島アントラーズ、ガンバ大阪に取材に行く際に気持ちが引き締まるようになった。「ああ、ここが日本の由緒正しきビッグクラブなのだな」と。25年の歴史を感じる時だ。追いつきたいが、簡単には埋まらないだろうなという。だからこそ、こういったクラブにはレアルやバルサのように圧倒的強さを発揮して欲しい。リーグ戦でもたつかないでほしい。そう願う。
最後に、ひとつ言いたいことがある。よく東京などで聞かれることへの答えだ。
「北九州、スタジアムが立派なのにJ3なのは残念」
「今年昇格できなければ本当にヤバいのでは」
そうよく聞かれる。
「昨年のJ3最下位で逆にスッキリして、やり直しています」
「気持ちは落ち着いています」
今年のチームは、過去にJ2にチームがいたことはほぼ関係ない。選手が入れ替わった。新しいチームを、小林伸二監督の下で鍛え、やり直しているというところだ。クラブも「3年計画で昇格」と打ち出している。ようやく腰を据えて物事を見られるようになった。もちろん2度とJ2に上がれないかもという危機感は常にいだきつつ。
いずれにせよ、平成の時代に北九州は日本でもっとも「Jリーグを縦長く」見てきた。他のクラブからは、他の観点があるだろう。これまたJリーグの成長。そんなことを思う。
平成31年4月30日の午後に。
(本稿写真 メインカット以外は筆者撮影)