3.11原発事故避難といじめ
■原発事故避難いじめ
東日本大震災、福島第一原発事故から6年。避難した子ども達のいじめが、報道されている。いじめは、残念ながら日本中で起きている。転校生へのいじめもあるだろう。もちろん、どのいじめも悪い。
しかし、福島県からの避難児童生徒へのいじめは、特に悪い。
なぜなら、私たちは国を挙げて福島県を支えると誓ったはずだからだ。私達日本中が、一つのチームだったはずだからだ。「福島の復興なくして日本の再生なし」だったはずだからだ。各地の教育委員会も、学校の教職員も、福島からの子ども達を支えてきたはずだからだ。子ども達も、その教育を受けてきたはずだからだ。
■いじめの心理
いじめは、いじめたい衝動を持った子が、「いじめ許容環境」に置かれた時に起こる。
いじめへの衝動のもとは、ストレスだったり、自己愛の傷つきだったり、肥大した自我だったりする。
いじめ許容環境とは、たとえば高圧的な大人による力の支配が行われている環境、あるいは力のない大人しかいないために弱肉強食の無法地帯になった環境などだ。力づくの乱暴な担任や、ただの友達のような弱い担任のクラスで、いじめは起きやすい。
いじめようとしている人間にとって、いじめの理由は何でも良い。方言だからといっていじめ、標準語だからといっていじめられることもある。またその社会で、その環境の中で、大人まで偏見を持ってそれを攻撃しても良いとなれば、いじめ許容環境の度合いは増す。
大人たちのヘイトスピーチが子どものいじめを生み、大人たちの放射線や避難者への偏見が、子どものいじめを生む。
社会は今、原発避難いじめを激しく責めている。しかし私達大人が、偏見にもとづく心無い言動で、福島県の人々を苦しめてこなかっただろうか。その反省は、十分になされているのだろうか。今のままの私達大人で、いじめている子どもを叱ることができるのだろうか。
■福島県内でも
原発避難いじめは、福島県内でも起きているという。それは、よくある転校生いじめなのかもしれない。しかし、原発近辺からの避難者が多く集まった福島県内の町で、「避難者帰れ」といういたずら書きが見つかった話もある。書いたのは、大人だ。
町への急激な人口流入は、様々なトラブルを生む。同じ福島県民として苦しみを共有し助け合う気持ちは十分にあっても、弱者がさらに弱者を苦しめることもある。
■いじめへの対応
いじめは、人権問題としてはいじめっ子が100パーセント悪い。いじめ被害者を守らなければならない。しかし教育問題としては、いじめている子もまた、何らかの支援を必要としている子だ。
仮に見た目は強くて乱暴そうに見えても、人生がとてもうまくいっている子は、わざわざいじめなどしない。心やお金に余裕がある大人なら「避難者帰れ」などと言わなくても済むように。
いじめはもちろん悪いに決まっている。しかし、いじめている子を頭ごなしに叱るだけで問題は解決しない。原発事故に伴って何が起きたのか、人々の苦しみは何なのか、私たちに偏見はないのか、子どもと大人が共に学ぶことで、避難者いじめが解決した事例もある。
大人がいじめを生むなら、大人がいじめを止められる。
■その他の問題
原発避難者へのいじめは、大問題だ。だが、それだけが報道されてもいけない。いじめが起きるのが標準ではない。多くの場所で支援がなされ、豊かな友情も育まれている。
避難者が多い地域では、各学校は福島県からの避難生徒を把握している。スクールカウンセラー会議では、毎年福島県からの避難生徒への支援が議題になる。福島県からの派遣教員が各学校を巡回している地域もある。
6年前、避難してきた子ども達を必死に支えた教職員達がいる。
最近話題になったいじめの中には、後に福島県からの転居は直接影響していないとされた事例もあった。福島県出身者へのいじめを全て原発避難いじめと見てしまうのも正しくはないだろう。
ただ、いじめられた時に、子どもや保護者が原発避難が原因だと受け止めてしまうことはあるだろう。そのように感じた時の心の痛みは、他のいじめ以上に大きなものにもなるだろう。
私たちは想像力を持ちたい。日本中でこれまで誰も経験したことがなかった原発事故避難者の心を考えてみたい。6年がたった。しかし油断してはいけない。震災はまだ続いている。