前人未踏の大記録を打ち立てたオジュウチョウサンの鞍上が当日と今後を語る
前日のスクーリング後、自身の体調に異変
「気の乗り方も丁度良い感じだな……」
史上初の大偉業に臨む古豪の背で、パートナーはそう思った。4月17日、金曜日、中山競馬場での話である。パートナーの名は石神深一。1982年6月、騎手・石神富士雄の下に生まれ、2001年にデビューした騎手だ。コンビを組む古豪とは9歳になったオジュウチョウサン(美浦・和田正一郎厩舎)。みょうにちに迫った大一番へ向けての下見。いわゆるスクーリングをしていた。
装鞍所からパドック、そしてスタート地点まで行くと、障害を一つ一つ丁寧に見せていった。この日、スクーリングを行ったのは翌日の中山グランドジャンプに出走する5頭の関西馬を含む計9頭。対抗人気となりそうなシングンマイケルこそいなかったが、更に人気で続きそうなメイショウダッサイやブライトクォーツの姿は見えた。
「とくにブライトクォーツが良く見えました。騎乗する誠さん(西谷騎手)も『道悪も大丈夫そうだよ』と言っていたので軽視は禁物だと思いました」
襷コースも走らせた。スクーリング用に配置してくれたあった最終の置き障害だけは実際に飛ばせた。そして最後は「15-15にならないくらいのスピード」(石神)でまとめた。
「前走から間隔が開いていたり、余裕があったりするようなら、障害を2つ3つ飛ばして、最後もしっかり追います。でも、長沼さんに『体重的にはぴったりだからそれほどやらないで良い』と言われたのでサッと伸ばす程度にしました」
“長沼さん”とはオジュウチョウサンの厩務員である長沼昭利。1963年9月生まれで現在56歳。石神が全幅の信頼を寄せる大ベテランだ。
スクーリングを終え、空を見上げると翌日の雨予報が信じられないくらい好天だった。
「こんな空の下で走らせてあげたいな……」
そう思い、調整ルームに向かった。新型コロナウイルスの感染対策として、調整ルームと認定された家やホテルに泊まる事も可能だったが、そのまま中山競馬場に泊まったのだ。
「胃が少しモタれる感じでお腹の具合が良くなかったのですが、夜は充分に眠れました」
予報通り大雨となったレース当日
レース当日の18日は予報通りの大雨になった。普通の雨なら大丈夫だと思ったが、ここまで強いのは初めて。さすがに唇を噛んだ。
「芝のレースに騎乗して上がって来た江田照男さんにどんな感じか聞いたら『田んぼみたい』って答えが返ってきました。勝ち負けもだけど、馬に負担がかかるのも気になったんです」
装鞍所で馬体重を聞くと、510キロ。前走と全く同じである事を知り、思った。
「長沼さんの言う通りでした。さすがだと思いました」
パドックで跨ると大人しいと感じた。
「お客さんがいないからだとは思ったけど、少し落ち着き過ぎかと心配になりました」
しかし、刹那的なモノだった。返し馬に行くと、グッと気持ちが乗って来たのを感じた。
「返し馬へ行ったらやる気を出してくれたので大丈夫だと思いました」
ただ、相変わらず雨が降り続いていたので、コーナーは滑らないよう、いつも以上に気をつけなければいけないと心に誓い、ゲートへ向かった。
「ゲート裏に着くと少し緊張感が増していきました。それに気付いたのか長沼さんが笑えるような事を言っていました」
具体的に何を言っていたかは緊張のせいで覚えていないと言う。そして、ゲートに入るといつものオジュウチョウサンが待っていたと続けた。
「いつもゲートの中は大人しくて、前扉が開いたら出る準備をするんです」
大記録の懸かったこの日も同じだった。そして、前扉が開くと実際にどの馬よりも早いダッシュ。ハナへも行ける勢いで飛び出した相棒の上で、石神は逃げても良いと思った。
「ブライトクォーツが行く構えを見せなかったので、なら逃げても良いと思いました」
しかし、そう思っていた石神の目に、外から上がって来たメドウラークが映った。
「北沢さん(メドウラーク騎乗の北沢伸也騎手)が行く格好を見せたので、行かせて2番手に控える事にしました」
こうして道中は2番手で走った。「オジュウのリズムさえ崩さなければ他の馬はどこにいようが関係ない」と他馬の位置取りは気にする事も確かめる事もしなかった。では、肝心の絶対王者のリズムはどうだったのか。見た目には着地でバランスを崩したのかドキリとさせられるシーンもあったが、鞍上はかぶりを振る。
「低い飛越をする馬なので脚をとられる事は毎レースあります。とくに今回が酷かったというわけはありません。正直、悪い馬場にノメッてはいたけど、そのあたりはオジュウ自身も気を使って走ってくれたので、乗っていて“怖い”とは感じませんでした」
ラスト半周となったところでメドウラークが失速。オジュウチョウサンは押し出されるように先頭に立った。半馬身ほど遅れた左後ろにブライトクォーツを引き連れて3コーナーへ向かった。「やはりこの馬が相手になるのか?!」と思ったが、ラスト600メートルのハロン棒を通過したあたりで気配がなくなり、差が開いた事が分かった。
「こちらはまだ手応えがありました。馬場を考えてもどの馬も相当、疲れていると思えたので、この後、オジュウをかわせる馬はいないだろうなって思いました」
つまり、その瞬間「勝った」と思えた。
生涯無敵、障害無敵
最終障害を飛び、最後の直線ではターフヴィジョンで後続との差を確かめた。
「思ったより近くで食らいついている馬がいると感じました。天候が悪くて画面がよく見えなかった事もあり、てっきりシングンマイケルがいるのだと思いました」
昨年の最優秀障害馬であり、石神自身、コンビを組んだ事があったのでその実力は分かっていた。だからそう思ったのだが、それでもこの差がつまる事はないだろうと考えながら最後の坂を駆け上がった。そして、5分2秒9というタフな馬場もものともせず5年連続先頭でゴールを駆け抜けた。
「嬉しかったです!!」
5年目にして初めての歓声無きフィニッシュではあったが、これで障害レースに限れば13連勝。生涯無敵とも障害無敵ともいえる前人未踏の快挙達成。平地へ転戦し、1度は自らの手を離れたと思われた相棒との偉業を素直に喜んだ。
しかし、2つの事象が頭を過ぎり、派手なパフォーマンスは控えた。
1つは新型コロナウイルスで揺れる現状だった。思えば阪神スプリングジャンプを制した時の勝利インタビューで「次はファンの皆さんの前で勝ちたいです」と語っていた。あれから約1ケ月。入鉄砲に出女ではないが、関所が必要ではないか?!と思えるくらい事態は悪化していた。
そして、もう1つは……。
「シングンマイケルの元の調教師である高市(圭二)先生が亡くなって何か月も経っていませんでした。残されたスタッフの皆さんの亡き先生へ良い報告をしたいという気持ちも分かっていたので派手なガッツポーズは出来ませんでした」
そう思っていただけに、レース後に知った事実に愕然となった。ターフヴィジョンでシングンマイケルと思っていた2着馬はメイショウダッサイだった。シングンマイケルは最終障害で落馬して競走を中止していたのだ。
「金子先輩(シングンマイケル騎乗の金子光希騎手)には『大丈夫ですか?』としか声をかけられませんでした。同じ騎手として気持ちが痛いほど分かるので、そう伝えるのが精一杯でした」
最後に改めて5連覇を達成した絶対王者への想いを聞くと、石神はまず、次のように言った。
「レース後はお腹の不具合がすっかりなくなっていました。自分なりにプレッシャーを感じていた事に気付きました」
そして、続けた。
「こんな事も含めてオジュウには数え切れないくらい色々な事を教えてもらいました。それらの経験を活かして、今後また彼のような馬を作っていかなければいけないと思っています」
さらにオジュウはまだまだ現役であり、引退するわけではないですけど、と前置きした上で、なおも続けた。
「いずれはオジュウの子供に乗ってまた大きなレースを勝ちたいです。せん馬だったシングンマイケルの分まで頑張って欲しいという想いは前からありましたから……」
シングンマイケルの想いも背負い、オジュウチョウサンと石神深一はまだ飛び続ける。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)