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STAP細胞をめぐるNHKスペシャル BPO判断に問題はないのか?(1)

詫摩雅子科学ライター&科学編集者

すでに報じられているように、放送倫理・番組向上機構(BPO)番組人権委員会は2014年7月27日に放送されたNHKスペシャル「調査報告 STAP細胞 不正の深層」において、小保方晴子氏に対する人権侵害(名誉毀損)があったとして、NHKに対して再発防止を求める勧告を行った。人権侵害に基づく勧告はBPOの放送人権委員会の判断としては最も重い。一方で、多数あった小保方氏からの抗議項目の多くは「問題があるとは言えない」となった。

BPOの記者会見に出席して、釈然としなかったのは、個々の項目の判断そのものよりも、むしろ判断の方法だ。名誉毀損による人権侵害を考えるときの判断基準となるのは、番組制作者の意図ではなく「それを見た一般視聴者がどう受け止めたか」である。

それは、委員の主観による推測にならないか? その推測を裏づける放送当時のデータがあればよいが、それはあったのか? 

争点となった項目の真実性・相当性を判断するには、研究内容をめぐるある程度の知識は必要だ。それは十分だったのか? 誤解している点はないか? 

今回は「主観による推測」を取り上げたい。

7項目のうち問題ありは2点

小保方氏からの申立を受けて、委員会が整理した論点は7つ。そのうち2つが「問題あり」となった。1つは取材方法で、放送日の3日前にNHK取材班が小保方氏からコメントを得ようと追い回した件だ。具体的な状況は双方の主張に多少のズレがあるが「仮に取材時の状況がNHKの主張の通りであったとしても(略)NHKも認める通り行き過ぎがあったことは明らかである」として、「放送倫理上の問題があった」と断じた。

この件に関してはNHKは発生当時にすぐに謝罪をしており、BPOのヒアリング時にも「反省している」と述べ、今回も「再発防止を徹底する」と非を認めている。ここに争点はない。

もう1つは、名誉毀損による人権侵害ありとした点で、ここに関してはNHKは「人権を侵害したものではないと考えます」と反論をしている。翌日の報道やこの箇所に焦点をあてた記事がすでにいくつか出ているので、ここで問題箇所の要点だけを書くにとどめよう。勧告書の全文はPDFとして公開されているので、興味のある方はご覧いただきたい。

争点となったのは、突き詰めれば以下のようになる。

「小保方氏には元留学生のES細胞を何らかの不正行為により入手、混入してSTAP細胞を作製した疑惑がある」と

1)視聴者が受け止めたか

2)その内容に真実性・相当性があるか

BPOの委員会は1)番組の流れから上に書いたように視聴者が受け止め、2)その内容に真実性・相当性はないと判断して、「人権侵害あり」となった。一方、少数派意見を述べた2人の委員は「名誉毀損による人権侵害があったとまでは言えない」(勧告書28ページ)「委員会があえて名誉基礎とするべきものではないと考える」(同33ページ)としている。9人の委員会のなかで、意見が分かれたわけだ。

メールは問題なしの判断

実を言えば、筆者自身がBPOの判断で「え、そうなの?」と一番強く感じたのは「人権侵害あり」となった部分ではない。

番組では、小保方氏のメンター役で、STAP論文の執筆を主導したシニア研究者とのメールのやり取りが放送された。パソコン画面上でのメールを映しただけでなく、男女の声で読み上げられていた。小保方氏はこれに対し「あえて男女の音声を利用して二人の関係を視聴者に邪推させる悪質な演出が行われた」(第233回委員会の議事概要)と抗議していた。

BPOはこの件に関しては「一般視聴者がこの場面から、両者の間に実際にそのような関係があったという印象を受けるとまでは言えない」として、「放送倫理上問題があったとまでは言えない」と判断した(勧告書17ページ)。しかし、放送前に一部の週刊誌で2人の男女関係をほのめかすような記事があった(この点は勧告書でも触れている)。そうした記事を読んでいなくても、電車の中吊り広告にある記事タイトルを目にした人は多いだろう。

筆者自身はリアルタイムで放送を見ながら、あの男女の声を「この演出はマズいだろう」と感じた。NHKにその意図はなかったようだが、男女の仲を疑わせる演出と受け止めたからだ。そして、それは研究不正と直接の関係はないので扱うべきではないと考えた。もちろん、これは筆者の主観からの判断だ。今回のBPOの判断を知って「あのメールの件は、問題ではないのか」と疑問視した人もいれば、妥当な判断とした人もいた。これもその方々の主観による。だが、委員の判断もまた主観に基づくものではないだろうか?

主観による推測を裏づけるものはあるか?

BPOの会見を通しての私の違和感の1つは「委員が想定する視聴者がどう受け止めたか」という二重に主観的な内容が判断材料になる点だ。そうならざるを得ないことは理解できるが、放送当時や放送直後のSNSでの反応や個人ブログでの記事、NHKに寄せられた声など、何らかの委員の主観だけに頼らない根拠が出てくると思っていたのだ(もちろん、この方法にも限界はあるし、調べ方によっては偏ったデータになる可能性は否定しない)。もっと突っ込んだ表現をすれば「委員の主観を裏づける客観的なデータが何も添えられていない」ことに疑問を感じる。

「視聴者がどう受け止めたか」で判断すること自体は妥当であると私も思う。その法的な妥当性は、最高裁2003年10月16日判決「テレビ朝日ダイオキシン報道事件」にある(勧告書6〜7ページ)。だが、ダイオキシン報道事件では、報道された地域を産地とする野菜の価格暴落といった「視聴者がどう受け止めたか」を裏づける客観的なデータがあった。

今回はどうだろう? 少なくとも勧告書には見当たらない。

BPOの委員会は会見で「調査報道が萎縮することはあってはならない」と何度も述べている。だが、勧告の根拠となったのが、主観による推測となれば、「これは大丈夫」「これはダメ」の線引きは限りなくあいまいになる。これで調査報道は萎縮しないのだろうか?

科学ライター&科学編集者

日本経済新聞の科学技術部記者を経て、日経サイエンス編集部へ。編集者& 記者として20年近く同誌に。2011年春より東京お台場にある科学館へ。2014年に古巣の日経サイエンスに寄稿した一連のSTAP細胞に関する記事で、共著の古田彩氏とともに日本医学ジャーナリスト協会の2015年の大賞(新聞・雑誌部門)を受賞。「のんびり過ごしたい」と思いつつも、ワーカーホリックを自認。アマミノクロウサギが好きです。

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