光と影~31歳教授誕生と36歳任期付き助教の研究不正からみえるもの
31歳で教授
若い才能がまばゆい。横浜市立大学医学部で、31歳の教授が誕生した。
武部教授は、医学部在学中から研究をはじめ、卒業し医師免許取得後に臨床研修を経験せず、大学院にもいかず研究の道に入った。いまだ博士号も持っていないという規格外の人だ。iPS細胞から「ミニ肝臓」を作るという画期的な研究を行う一方、生活習慣病の改善のために「広告医学」にも関わるなど、マルチな才能をお持ちだ。
31歳での教授就任は、33歳で筑波大教授になった岡野栄之慶応大医学部教授を上回る速さだ。
こうした稀有な才能を持った研究者を抜擢し、その才能を十分に発揮してもらうことは、社会にとっても重要だ。
一方…
36歳任期付き助教の研究不正
この華々しい昇任が発表されたまさにその日。同じiPS細胞の研究で研究不正(捏造、改ざん)があったことが発表された。この件については既に記事を書いた。
研究不正の動機ははっきりしないが、研究不正を行った山水康平氏が、36歳の任期付きの助教だったことが明らかになり、その不安定な身分との関連が取りざたされている。
決して個人の素性をあげつらう意図はないが、この問題を考える上で重要なので書きたい。
専門誌等に書かれた公知の情報では、山水氏は某薬科大学薬学部卒。薬剤師免許を持つ。同大学で修士号を取得後、2010年に京都大学大学院医学研究科にて博士号を取得。同再生医科学研究所、iPS細胞研究所でポストドクター(博士研究員)を務めた後、アメリカの国立衛生研究所(NIH)老化研究所に留学。2014年よりiPS細胞研究所で任期付きの助教(特定拠点助教)となった。
山水氏は今年度まで、文部科学省から科研費若手研究(B)を助成されている。この若手研究(B)は、若い研究者対象の、いわば登竜門のような研究費で、ほかの研究費より取得しやすいと言われる。
この科研費若手研究だが、来年度より大きな変更がある。応募資格が39歳以下から博士号取得後8年未満となること、500万円以上3000万円以下の助成が行われる若手Aがなくなることが大きな変更点だ。
500万円以上の研究費を助成されるなら、年齢制限のない基盤Bか、新設される挑戦的研究に応募する必要がある。文科省は若手がとくに不利になるわけではないと説明するが、あらゆる年代の研究者が応募する研究費を獲得しなければならないため、研究費獲得が厳しくなるのではないかとの懸念が広がっている。
39歳すこし手前で博士号取得後8年以上の年代の研究者が、あてにしていた研究費がなくなるという、急にはしごを外されたような恰好になっているのだ。
山水氏は今年36歳で、4月時点で博士号取得後8年を超えている。若手研究はもう応募できない。その一方、おそらく研究不正が認定された論文がきっかけとなって、2017年度から日本医療研究開発機構(AMED)から3000万円の研究費を得ている。
研究不正の動機は本人にしか分からない。だから、何を言っても推測だ。ただ、任期の付いた職、若手向け研究費には応募できない。山水氏が研究者としてのターニングポイントにあったということはできるだろう。
頂点と底辺と
拙書(「博士漂流時代」「嘘と絶望の生命科学」)などでさんざん説明したが、若い研究者が置かれた状況は厳しい。博士号取得者が年間1万6千人程度輩出されるが、そのうちの10%程度がポストドクター(有期雇用の研究者)になる。現在ポストドクターが1万5千人程度いると推定されるが、大学教員などの数は増えておらず、研究者になるのは厳しい。一方、民間企業は年功序列などもあり、なかなか35歳博士号取得者などを採用しない。
- 若手研究者のキャリアを取り巻く現状と課題. 篠田(小知和)裕美. KEIO SFC JOURNAL, Vol.15 No.1, 320-338, 2015.
- 若手研究者の任期制雇用の現状. 小林 淑恵. 日本労働研究雑誌, No. 660, 27-40, 2015.
これはどの分野にも言えるが、とくに生命科学は厳しい。このことは以下の資料をみれば一目瞭然だ。
上図で生命科学は右側に位置しているが、端的に言えば、輩出される人材にみあった職がない。産業がないのだ。
准教授や教授などの任期のない職に公募がかかると、100名以上の応募があると聞く。かといって、研究職以外の職に就くのも簡単ではない。ポストドクターを繰り返し、40代、50代になった研究者も出ている。
この状況と山水氏の研究不正に関連があるかは本人しか分からない。状況に追い詰められたのだろうから大目に見ろともいうつもりはない。研究不正は言い逃れできない。同じ状況でも研究不正を犯す人と犯さない人がいるからだ。
それは棚にあげたいが、ここで言いたいのは、医師免許を持ち、31歳で教授になるようなまばゆい才能の持ち主がいる一方、30代、40代を単年度から数年の時限付きの雇用を繰り返すことで時間を費やし、先が見えない、医師ではない生命科学研究者が数百人、数千人単位でいるということだ。
同じ日、同じ分野の2人の研究者に当たった光は、強いコントラストを生み出している。
犯罪学からみると
一報の研究不正で、所長の山中伸弥教授が辞める必要はない、という声を聞く。私もそうだと思う。ひとりの不届きな研究者のために、組織的な対応を強化するなど振り回されることはない、いい迷惑だ、という意見も聞かれる。厳しい環境に置かれても、研究不正を犯さない研究者が多数なのだから、管理強化などいかがなものかと憤る人もいる。
しかし、研究不正も含めた犯罪の発生には、複数の要素が関わる。
原著を読んでおらず、孫引きで恐縮だが、東北大学医学部大隅典子教授からご恵贈いただいた「責任ある研究のための発表倫理を考える (高等教育ライブラリ) 東北大学高度教養教育学生支援機構 (編集) 東北大学出版会 2017」に紹介されていた、犯罪が起こる要因(Cressy 1972)からこのことを考えてみたい。
人が犯罪を犯す理由には、3つの要素がある。動機、機会、正当化だ。
大隅教授は、これを研究不正にあてはめると、動機としては、過度な競争、インパクトファクター主義、論文誌の商業化、オーサーシップ(だれが論文の著者になるかなど)があげられ、機会としては、研究室のタコツボ化、デジタル化、教授が多忙といったことがあげられるという。そして正当化の部分に倫理意識、研究室の文化、査読プロセスが影響をあたえるという。
同じ環境に置かれても研究不正を犯す人と犯さない人がいるのは、正当化の部分が弱い(倫理意識が高い)などが影響を与える。だから、倫理教育は重要だし、一方、それは大人になってからすべきことではないというのも分かる。
そして、正当化の部分だけでなく、動機、機会の部分にも対応していかないと研究不正は減らない。
報道や発表資料の範囲内では、今回の研究不正に関しては、研究室のタコツボ化、教授(指導者)が多忙、そして、今まで述べてきたような過度な競争といったものも、なんらかの影響を与えているだろう。
京都大学の研究不正の対応は、機会(ノートやデータの管理の徹底)、正当化(研究公正(倫理)教育の徹底)に対処していると思われるが、やはり動機の部分にもメスをいれる必要があるのではないか。それは一大学でできることではない。
ではどうすればよいか。
競争と安定性、多様なキャリアパス
スポーツ、芸能、その他、どんな分野でも競争はあり、メダリスト、ヒットチャート1位、グランプリ1位と、まったく勝てない、売れない人がいる。何も研究だけが特別ではない。そういう人は多いだろう。競争がなければ社会の発展はない。
しかし、研究者だけでなく、上で挙げた人たちを含めて、才能が埋もれてしまうのはもったいない。
さまざまな才能を持った人が、さまざまな場で活躍する機会を与えるための仕掛けが必要だと思う。
研究者で言えば、研究職以外の様々な職の情報を提供したり、ちょっとおせっかいかもしれないが、そういう人たちの才能が欲しい企業などとの「出会い」の場を設けるなどすると、新たな活躍の場が得られるだろう。
実際これを実践している大学がある。たとえば北海道大学では、人材育成本部で「S-cubic(Superior Skill Station)」を運営している。ここでは、博士課程の学生や博士号を持った人たちと企業の出会い、マッチングのイベントの企画や、博士号取得者などの能力が書かれたデータを企業に提供するなどすることにより、博士号取得者を採用する企業を開拓した。今まで述べてきたように、生命科学の博士号取得者の企業への就職は厳しい状況にあるが、北大の事業により、生命科学の博士号取得者にも新たな道が開かれたという。
これは、決してお情けで職をあてがうという後ろ向きのものではない。企業が必要としている人材を提供できたし、博士号取得者も活躍の場を見つけることができた。まさにウィンーウィンの関係だ。
これと同時に、研究でも、競争は行いつつ、一方でじっくりと研究に取り組むことができる安定性を確保する仕組みがあるとよい。
宮川剛・藤田保健衛生大学教授を中心とする分子生物学や脳科学の研究者が「安定性と競争性を担保する 日本版テニュアトラック制度の提案」を公表している。また、以下の記事もご覧いただきたい。
こうした提案は、何も研究不正発生の動機を減らすという後ろ向きの意味だけでなく、日本の研究の生産性向上と、研究者の能力を社会により役立てるという意味もある、極めて前向きのものだ。
同じ日に、同じ分野の2人の若手研究者に当てられた光は、決して勝者と敗者を生み出すものではない。
あの日があったから、研究歴を持ったり博士号を持ったりした者が、研究も含め、社会の様々な問題の解決のためにより活躍できるようになったと言われるために、私たちはそれぞれの立場で行動していかなければならない。