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レギュラー放送終了後も中毒者続出 20周年を迎える『水曜どうでしょう』が愛され続ける理由【前編】

田中久勝音楽&エンタメアナリスト

放送開始から20年。DVDの売上げは引き続き好調

北海道といえば「さっぽろ雪まつり」にラベンダー、豪華な海鮮料理に『水曜どうでしょう』、というのはやや大げさだろうか? 1996年10月に北海道テレビ放送でスタートした同番組は、レギュラー放送終了後も支持され続けて20年。オリコンの週間総合DVDランキング(4/11付)では、同番組のシリーズ第24弾『ユーコン川160キロ 地獄の6日間』が、バラエティ部門のみならず総合首位を獲得し、シリーズ通算10作目という大記録を打ち立てるなど、全国放送の並みいる人気番組の新作を抑え、ダントツの売れ行きをマークしている。

“バラエティ”というジャンルは、ドラマや映画と違って、大きくブレイクしても、すぐに笑いの形が時代遅れとなることはよくあること。そんな定石に逆らい続ける同番組の魅力は一体どこにあるのだろうか?

(1)大泉のポジションは“永遠の若手”。芸人並みの雑な扱いにボヤキ続けて20年

簡単に番組を説明すると、タレントは鈴井貴之大泉洋の2名のみ。そしてディレクター藤村忠寿氏と、カメラを回す嬉野雅道氏の計4名で構成されている。何をするにも4人が一緒で、内容は主に「旅」。タレント2人が、深夜バスや原付カブにまたがって日本中を巡るほか、ローカル番組にしては異例の海外にも足を伸ばした。毎週水曜深夜のレギュラー放送を6年間続け、その後は数年に一度という不定期で「新作」が放送されている。番組内でのスター選手といえば大泉だ。今や名だたる映画賞を総なめにする人気俳優の一人だが、『どうでしょう』に登場する大泉の立ち位置は“永遠の若手”のまま。現役大学生だったデビュー当時から続く、雑な扱われっぷりは、何一つ変わらない。

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まず、放送開始以来、大泉は一切番組の詳細を知らされずに収録初日を迎える。「どこに旅をするのか?」、いや「今回は旅なのか?」さえ告げられず、時にはドッキリを仕掛けられ、有無を言わさず番組の企画の渦へと押し流されてきた。例えば、名作「原付(カブ)シリーズ」の第1回目となった1999年7月放送『72時間!原付東日本縦断ラリー』。これは、東京・銀座から目的地は札幌の北海道テレビ駐車場までおよそ1,100km(!)という、とんでもない距離を原付でツーリングするという企画だ。この全容を大泉が知るのは、早朝の銀座で『東京でお買い物をしましょう』という企画を吹き込まれ、すっかりその気になって店に到着した直後だ。「カブを買って、北海道まで乗って帰る」という、無謀極まりない真の企画発表に「バッカヤロー!!」と散々ごねる大泉だが、結局は鈴井と2人でツナギを着せられ、フルフェイスヘルメットを渡され、出発直前に5分程度のギアチェンジのレクチャーを受け、「さぁ行きましょう」と背中を押されたのだ。

想像してほしい。北海道のローカルタレントが、人生初のカブ乗車経験で、土地勘のない東京都内を、乗用車やバイク、トラック野郎に囲まれて走る、その胸のうちを……。1日12時間の激走ロケは全部で3日間におよび、空が曇れば“雨天決行”とカッパを手渡され、タレント2人はずぶ濡れに。一方、カメラを持ったディレクター陣は快適な車移動で後ろから追走……タレントがあまりにも気の毒すぎる。

しかし、これでもかと強く頭を押さえつけられ、不遇の境地に至るほど、大泉は“ボヤキの天才”として開眼する。「目標、死なない」を掲げて、ひたすら北海道を目指すと同時に、事前準備やシミュレーションが甘すぎるディレクター陣に対して、パンパンに膨らんだありったけの不満を、名調子で吐き出し続けた。芸人顔負けの反射神経で話の流れをつかみ、笑いのツボを見つけた途端に、すかさず押し倒す。ディレクター陣のみならず、所属事務所の社長でもある鈴井のお尻をもバシバシと叩きながら、とにかく災難が降れば降るほど、視聴者を笑わせて、笑わせて、笑わせてやるんだ!とばかりに、しゃべり倒してきた。不満を口にしながらも、同時に全力で笑いへの落としどころを掴むトーク術こそが、同番組の真骨頂となった。

(2)必要悪か恩人か? “タレント大泉洋”の最大のファンであり続ける藤村忠寿D

この大泉の才能に惚れ込み、いまでも役者ではなくタレントとして向き合うのが、ディレクターである藤村忠寿氏だ。同番組の前身番組『モザイクな夜』で大泉と出会い「面白いやつがいる!使いたい」と、当時は認知度ゼロだった素人大学生を起用した。この豪胆さもまた、今となっては同番組には不可欠だ。おそらく、藤村Dは会社の組織の一人として機能することと同時に、「自分たちと視聴者が楽しむコト」を仕事の根幹にできる、現代のテレビマンの中では、本当に稀有な存在かもしれない。

そんな藤村Dの才能は、番組を企画するよりも、「面白いと思うものを嗅ぎ分けるコト」ではないだろうか。前述の「原付シリーズ」も、発端は鈴井の「原チャって燃費いいよね。1リッターでどこまで走るのかを試したい」だった。この鈴井の言葉に「タレント2人が走る画」が浮かび、面白いと直感したという。

しかし、実際に2人が出発してみて、やっと気づく。このままでは、札幌に着くまで2人のバックショットしか流れない…。どういう企画会議を経て、ここまでの準備不足の事態を招くのかは理解しがたいが、目の前のカブ2台はもう走り出している。結果、大泉VS藤村D、二人が丁々発止のやり取りを延々と続け、笑えると感じた企画はなんでも盛り込み、ロケは無事に終了。原付シリーズは、2人のバックショットを撮り続けるスタイルを変えないまま、東日本以降も「西日本制覇(2000)」、「日本列島制覇(2011)」、そしてレギュラー放送最後の旅「ベトナム縦断(2002)」にも起用される、大人気企画となった。

「あの番組の何が面白いの?ディレクターの笑い声ばかりバカでかくて、つまらない」。そんな声を耳にすることがある。けだし、その通りだろう。うるさくてしつこい藤村Dの存在……そう感じた人にこそ、提案したい。番組はひとつの旅を数話に区切って放送するので、原付シリーズでも海外編でも、何か1シリーズ、第1夜から最終夜まで観終えてみてはどうだろう?大泉の語りによって、タレント陣の不遇な扱いにすっかり肩入れし、ディレクター陣の失敗を糾弾する姿を心底応援し、いつしか男4人のどうしようもなさに、大爆笑してしまうこと請合いだ。

笑うにつけ怒るにつけ、とかく熱心に楽しいことを手繰り寄せようと、全身全霊を注ぐ姿は、いつの間にか視聴者を“5人目のどうでしょう班”として取り込んでしまう。旅の思い出をすっかり共有し、番組のファンになってしまう。その後は、きっと何度でも同番組を観返して、笑えてしまう。

それは、悪友と語る学生時代の思い出が、何度同じシーンを語っても笑えることに、どこか似ているのかもしれない。ここに、おそらく番組のヒットの要因があるのではないだろうか。が、こんなバラエティのロジックは、やはり奇跡的としかいいようがない……。(後編に続く)

『水曜どうでしょう』オフィシャルサイト

音楽&エンタメアナリスト

オリコン入社後、音楽業界誌編集、雑誌『ORICON STYLE』(オリスタ)、WEBサイト『ORICON STYLE』編集長を歴任し、音楽&エンタテインメントシーンの最前線に立つこと20余年。音楽業界、エンタメ業界の豊富な人脈を駆使して情報収集し、アーティスト、タレントの魅力や、シーンのヒット分析記事も多数執筆。現在は音楽&エンタメエディター/ライターとして多方面で執筆中。

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