シリアで米国が支援するシリア民主軍とダイル・ザウル軍事評議会が衝突:問い直される占領国のガヴァナンス
米軍がアフガニスタンから撤退して8月30日で2年が経った。
20年におよぶ米軍の軍事作戦と駐留、あるいは「占領」がアフガニスタンにもたらした弊害については、最近になってようやっと、ターリバーン政権下での人権侵害などと合わせて報じられるようになった。だが、米軍の「占領」が、アフガニスタン以外の国でもその真価を問われようとしていることには、ほとんど関心は向けられていない。
アフガニスタン以外の国とは、シリアだ。
シリアを「占領」する米国
米軍は2014年8月にイスラーム国に対する「テロとの戦い」を行うとして、有志連合(正式名は「生来の決意」作戦合同任務部隊、CJTF-OIR(Combined Joint Task Force – Operation Inherent Resolve))を主導して、シリアへの軍事介入を開始した。介入は当初は爆撃に限定されていたが、2015年に入ると地上部隊を派遣、各所に基地を設置し、駐留するようになった。
米国(有志連合)の軍事介入や部隊駐留は、国連安保理での承認も、シリアのいかなる当事者の了承も得ておらず、国際法上も、そしてシリアの国内法上も違法である。米国は現在も「テロとの戦い」の論理のもと、イスラーム国の再生を阻止するとして、部隊を残留させている。だが、その真の目的が、シリア政府による全土解放を阻止し、ロシアやイランの中東における勢力拡大に対抗することにあるのは誰の目からも明らかである。
米軍が基地を設置しているのは、シリア北部および東部、そして南東部のタンフ国境通行所(ヒムス県)一帯地域(55キロ地帯)である。2021年の段階で、基地は27カ所(ハサカ県15カ所、ダイル・ザウル県9カ所、ラッカ県1カ所、ヒムス県2カ所)、900人から1,500人が駐留しているとされる(詳細は「シリアにおける米国の軍事介入と部隊駐留の変遷(2011~2021年)」を参照されたい)。
自律性を欠くクルド民族主義勢力
このうち北・東部は、シリア民主軍がイスラーム国から奪取、北・東シリア自治局が実効支配し、南東部は米軍が事実上の占領支配を行っている。
シリア民主軍は、トルコが「分離主義テロリスト」、米国も外国テロ組織(FTO)に指定するクルド民族主義組織のクルディスタン労働者党(PKK)の系譜を汲む民主統一党(PYD)が発足させた民兵組織の人民防衛隊(YPG)を主体とする武装連合体で、米国(有志連合)がイスラーム国に対する「テロとの戦い」の「協力部隊」(partner forces)として全面支援を行ってきた。一方、北・東シリア自治局は、シリア民主軍の制圧地を統治するために、PYDの主導のもとに結成された自治政体である。
シリア民主軍と北・東シリア自治局は、シリア政府、シリアのアル=カーイダとして知られるシャーム解放機構を主体とする反体制派とともに、シリアを分断支配する有力な政治主体(あるいは軍事主体)ではある。だが、両組織が米国の軍事的な後ろ盾なくして自律し得ないことは、ドナルド・トランプ米大統領が2018年と2019年にシリアからの撤退を示唆した際に、トルコの攻勢を回避するためにシリア政府およびシリア軍の軍門に下る意思を示したことからも明らかである。クルド民族主義勢力と言えば聞こえはいいが、その実は米国の傀儡部隊、傀儡政権としての性格が強い。
一枚岩ではないシリア民主軍、北・東シリア自治局
しかも、シリア民主軍も北・東シリア自治局も一枚岩ではない。
両組織が活動する北・東部は、トルコ国境地帯にPYDの支持母体であるクルド系住民(より厳密に言えばクルド民族主義者)が多く暮らしてはいるが、それ以外の地域においては、アラブ系住民が多数派を占めている。
そのため、シリア民主軍には、有力アラブ系部族の一つであるシャンマル部族を主体とするサナーディード軍団、同じくアラブ系のバッカーラ部族、アカイダード部族などからなるダイル・ザウル軍事評議会、さらには自由シリア軍諸派として知られた武装集団(あるいはその連合体)が多く参加している。
また、北・東シリア自治局も、アラブ系住民が多いアレッポ県のマンビジュ市一帯、ラッカ県のラッカ市およびタブカ市一帯、そしてダイル・ザウル県は、マンビジュ民政評議会、ラッカ民政評議会、タブカ民政評議会、そしてダイル・ザウル民政評議会が自治を担っている。
シリア民主軍も、北・東シリア自治局も、イスラーム国という共通の敵を前に一致団結して戦ってはいた。だが、イスラーム国が弱体化すると、組織内で徐々にほころびが生じるようになっていた。
イスラーム国の弱体化がもたらしたほころび
北・東シリア自治局とダイル・ザウル民政評議会は2021年1月から2月にかけて、シリア民主軍、ダイル・ザウル軍事評議会、そしてダイル・ザウル県内の有力部族の部族長や名士と協議を重ね、ダイル・ザウル県ユーフラテス川東岸地域を、西部地区、東部地区、北部地区、中部地区という四つの地区に分割し、地元住民によって選ばれた執政官や立法評議会がダイル・ザウル民政評議会の傘下でそれぞれを統治することで合意した。この合意は、クルド民族主義者が主導権を握る北・東シリア自治局の権限を弱め、アラブ人(アラブ系部族)主体のダイル・ザウル民政評議会の自治を強めるものだった。
また、シリア民主軍内では、2018年5月から6月にかけて、自由シリア軍諸派の一つであるラッカ革命家旅団がクルド民族主義者(YPG)の影響力拡大に反発して、反旗を翻し、戦闘の末、同旅団が解体に追い込まれた。アラブ人(アラブ系部族)の疎外感は、革命家軍、北の太陽大隊、ウワイス・カルニー旅団といったそれ以外の自由シリア軍諸派においても少なからず募っていたとされたが、これらの組織もまた解体され、シリア民主軍に吸収されていった。
シリア民主軍による覇権強化への反発
こうした軋轢は今年7月になると、激しさを増した。
シリア民主軍が、ユーフラテス川西岸で勢力を増す「イランの民兵」の掃討を口実にダイル・ザウル県に特殊部隊を派遣すると、ダイル・ザウル軍事評議会が覇権強化の試みとみなし、反発するようになった。
7月24日、ダイル・ザウル軍事評議会のアフマド・ハビール司令官(通称アブー・ハウラ)が幹部らとの議論のなかで、「評議会が内と外の二つの敵に対峙し、内なる敵はシリア民主軍とダーイシュ(イスラーム国)の一部司令官、外の敵はトルコとシリアの体制だ」と発言するなど、不満を露わにした。
その翌日の7月25日、シリア民主軍の憲兵隊がダイル・ザウル県のハーブール川西岸に位置するスワル町の検問所でダイル・ザウル軍事評議会のエリート部隊であるフィダーイーイーン中隊の戦闘員らに身分証明書の提示を求めたことをきっかけとする口論が撃ち合いに発展し、フィダーイーイーン中隊の戦闘員2人が死亡するという事件が発生した。
この事件を受けて、ダイル・ザウル軍事評議会の戦闘員や武装した地元住民らが、フィダーイーイーン中隊の戦闘員2人を殺害した憲兵隊員の身柄引き渡しを要求し、シリア民主軍の陣地を襲撃、スワル町、アズバ村、アブー・ハマーム市などを掌握していった。対するシリア民主軍もテロ撲滅部隊(HAT)などからなる増援部隊を派遣し、戦闘はスワル町からブサイラ市一帯にいたるハーブール川沿岸一帯に拡大した。
事態の悪化を懸念した米国が介入し、シリア民主軍のマズルーム・アブディー司令官が部隊撤退を約束することで、戦闘は収束した。だが、この幕引きは、シリア民主軍が事件を「反乱」と評したことからも明らかな通り、対立再燃の火種を残すものだった。
ハビール司令官拘束
8月末になると、両者の遺恨がついに爆発した。
8月27日、シリア民主軍のアブディー司令官は、緊急会合を開催するとして、ハサカ県タッル・タムル町近郊のワズィール休憩所にある本営にダイル・ザウル軍事評議会のハビール司令官を召喚した。だが、シリア民主軍はワズィール休憩所に到着したハビール司令官を拘束し、軟禁状態に置いたのだ。
ダイル・ザウル軍事評議会の司令官の1人ジャラール・ハビールは、事態打開に向けて米主導の有志連合に介入を要請する一方、アカイダート部族に対してダイル・ザウル県内のシリア民主軍の拠点を包囲するよう呼びかけた。また、ダイル・ザウル軍事評議会は8月28日に声明を出し、すべての司令官と兵士に対してダイル・ザウル県内のシリア民主軍の拠点を攻撃するよう命じるとともに、アラブ系部族に対してシリア民主軍に対峙するよう要請した。
これに対して、ダイル・ザウル民政評議会は8月28日に声明を出し、住民を保護し、道徳的義務を遂行しているシリア民主軍の周りに結集し、地域の安全と安定を確立しようとするその取り組みを支持、支援するよう呼びかけた。また、シリア民主軍は8月27日晩、イスラーム国のスリーパーセルの摘発に対する「治安強化」作戦を実施すると発表し、北・東シリア自治局内務治安部隊(アサーイシュ)も支配地域各所で外出禁止令を発出した。
ダイル・ザウル民政評議会とアラブ系部族が蜂起
だが、ダイル・ザウル民政評議会も、アラブ系住民(部族)もこれに応じることはなかった。
ダイル・ザウル県では、ハビール司令官の自宅があるハーブール川西岸のラビーダ村、同村の近郊にあるフィダーイーイーン中隊の陣地、スワル町、ブサイラ市、アズバ村、マイーズィーラ村、ムハイミーダ村、ヒサーン村、ザッル村、ズィーバーン町、ハワーイジュ村、タヤーナ村、シャンナーン村で、シリア民主軍と交戦、その一部を制圧していった。
ハサカ県のハサカ市でも、アカイダード部族の民兵が、イスラーム国のメンバーが収監されているグワイラーン刑務所に近い交差点などでシリア民主軍と交戦した。
なお、グワイラーン刑務所をめぐっては、8月27日に収監中のイスラーム国のメンバーが暴動を起こし、一部が脱獄したとの情報が流れた。だが、これは「治安強化」作戦を口実に、ダイル・ザウル軍事評議会やアラブ系部族の蜂起を抑えようとするシリア民主軍側のプロパガンダの可能性が高い。事実、一部反体制系メディアは、シリア民主軍がイスラーム国のスリーパーセルを摘発している事実は確認できていないと報じている。
ダイル・ザウル県以外のアラブ系部族は、ダイル・ザウル軍事評議会寄りの姿勢を示した。ハサカ県のジュブール部族は8月28日、北・東シリア自治局の拠点都市の一つであるハサカ市への進軍の是非について、部族長からの指示を待つとして、ダイル・ザウル軍事評議会に加勢する意思を暗に示した。同じアラブ系部族を主体としていながらも、ダイル・ザウル軍事評議会と主導権争いで対立しているとされるサナーディード軍団も8月28日、シリア民主軍からの部隊派遣要請に応じず、ダイル・ザウル軍事評議会の弾圧に参加することを事実上拒否した。
激しさを増す戦闘
戦闘は8月29日も続いた。
アカイダード部族の部族長や名士らは8月29日に声明を出し、シリア民主軍と米主導の有志連合に対して、ハビール司令官らを12時間以内に釈放するよう要求、釈放されない場合は、シリア民主軍全体を部族民兵の標的とし、総動員令を発出すると表明した。
そして、シリア民主軍がこの要求を拒否すると、アカイダート部族とバッカーラ部族は総動員令を発出し、対決姿勢を強めた。
そして、ダイル・ザウル県のハリージーヤ村、ハスィーン村、アズバ村、アズバ油田一帯、ムワイリフ村、ジャースィミー村、ズガイル・ジャズィーラ村、ジュダイド・アカイダート村、シュハイル村、ガラーニージュ市、アブリーハ村、ブサイラ市、アブー・ハマーム市、ズィーバーン町、マイーズィーラ村、ハジュナ村、ラビーダ村で激しい戦闘が発生した。
ハサカ県でもタッル・タムル町に設置されているシリア民主軍の複数の検問所が武装したアラブ人部族の襲撃を受けた。
一連の戦闘による死者は、29日の時点で25人に達した。このうちの3人は民間人(子供2人、女性1人)、16人はダイル・ザウル軍事評議会戦闘員とアラブ人部族民兵、6人はシリア民主軍兵士だった。
シリア政府とも対立するアラブ系部族
実は、アラブ系部族の反発は、シリア政府の支配地でも発生していた。
8月13日、シリア政府の支配下にあるハサカ市中心部の治安厳戒地区で、親政権の民兵である国防隊のアブドゥルカーディル・ハンムー司令官がジュブール部族のアブドゥルアズィーズ・ムスラト部族長を罵倒し、暴行を加えるという事件が発生した。
これを受けて、同日、ジュブール部族が「戦争のテント」と銘打って座り込みデモを組織し、ハンムー司令官の身柄引き渡しと解任を求める一方、一部が国防隊の検問所を襲撃するなど暴徒化した。また8月14日には、ジュブール部族評議会の顧問を務めるアクラム・マフシューシュが、24時間以内にハンムー司令官を解任し、同司令官が率いている部隊を治安厳戒地区から追放することを要求、これに応じない場合は「厳しい対抗措置」を講じると表明した。
この最後通告を受けて、国防隊は8月14日にハンムー司令官を解任した。だが、国防隊の追放は行われなかったため、「戦争のテント」で抗議行動を続ける部族長や名士らは、最後通告の終了日時を16日午前10時までとすると発表した。デモ参加者も国防隊の検問所を襲撃するなどして怒りを露わにした。
ダイル・ザウル軍事評議会との衝突においては、アラブ系部族と対決姿勢をとっているシリア民主軍だが、ハサカ市での騒動においては、ジュブール部族を積極的に支援するような姿勢を示した。
最終的には8月18日、ロシア軍の使節団がハサカ市でジュブール部族の部族長、名士、シリア民主軍の司令官らと会談し、部族側の要求を聴取することで事態は収束した。
真価を問われる米国のガヴァナンス
ダイル・ザウル県でのダイル・ザウル軍事評議会とアラブ系部族の蜂起は今も続いている。シリア民主軍との武力衝突の結果、ダイル・ザウル県におけるシリア民主軍の覇権が強まるのか、ダイル・ザウル軍事評議会のプレゼンスが高まり、実効支配を強めるのか、現時点では定かではない。
前述の通り、シリア民主軍は、ダイル・ザウル軍事評議会とアラブ系部族の蜂起への対応について、あくまでもイスラーム国に対する治安対策だと偽り続けている。この姿勢は、シリア民主軍の軍事的な後ろ盾である米国のシリアへの干渉政策を彷彿とさせるものだ。事態収拾には、シリア民主軍であれ、ダイル・ザウル軍事評議会であれ、これらの組織を傀儡として庇護してきた米国の関与が不可欠であることは、7月の衝突からも明らかだ。だが、対立を、イスラーム国に対する「テロとの戦い」という有名無実化した根拠によってもみ消すことは現実的とは言えない。
米国が「テロとの戦い」を根拠に駐留を続けることそのものが現実味を欠くなか、占領者である米国のガヴァナンスが改めてその真価を問われているのである。