1943年10月10日にアウシュビッツでガス殺された26歳ユダヤ人画家シャルロッテ・サロモン
妊娠していたので収容所で強制労働できずガス室へ
78年前の1943年10月10日はドイツ系ユダヤ人の画家シャルロッテ・サロモンがアウシュビッツ絶滅収容所でガス室で殺害された日だった。
サロモンはベルリンに住んでいたが、ナチスのホロコーストが厳しくなるとフランスに避難し南フランスで隠れながら生活していた。だがナチスによって発見されてしまいフランスのドランシー収容所に移送されてしまった。そして1943年10月7日にアウシュビッツ絶滅収容所に移送され、10月10日に到着。到着と同時に「選別」されてガス室で殺害された。この時は26歳で妊娠していた。ナチスドイツのユダヤ人政策は「労働を通じた絶滅」だったので、ユダヤ人は死ぬまで働かされた。そして働けない老人や子供は、収容所に到着してすぐに「選別」されてガス室で殺害された。妊娠している女性も働くことができない。お腹の中の赤ちゃんと一緒にガス殺されてしまった。
画家だったサロモンはホロコースト時代の1941年から43年までの潜伏期間に、自身のホロコースト経験などを絵画で多数残していた。1938年11月にユダヤ人商店やシナゴーグなどを襲撃した「クリスタルナハト(水晶の夜)」などを題材にした絵画を残している。
そして隠れていた南フランスのヴィルフランシュ=シュル=メールの医者に自身の絵画を託していたため、サロモンの絵画は現在まで残っている。そしてサロモンの自伝が2015年に「Leben? oder Theater?(人生?もしくは劇場?)」として発刊された。
戦後70年以上が経過しホロコースト生存者らの高齢化も進み、多くの人が他界してしまった。当時の記憶や経験を後世に伝えようとしてホロコースト生存者らの証言を動画や3Dなどで記録して保存している、いわゆる記憶のデジタル化は積極的に進められている。また、ホロコーストの犠牲者の遺品やメモ、生存者らが所有していたホロコースト時代の物の多くは、家族らがホロコースト博物館などに寄付している。
欧米では主要都市のほとんどにホロコースト博物館やユダヤ博物館があり、ホロコーストに関する様々な物品が展示されている。そして、それらの多くはデジタル化されて世界中からオンラインで閲覧が可能であり、研究者やホロコースト教育に活用されている。いわゆる記憶のデジタル化の一環であり、後世にホロコーストの歴史を伝えることに貢献している。サロモンの絵画もホロコースト研究にとっては当時の様子を知ることができる貴重な作品である。