控訴は減刑を求めてではない 目黒区女児虐待事件、優里被告の「贖罪」
9月8日、東京高裁での控訴審判決により、船戸優里被告の控訴が棄却された。優里被告は、2018年、夫の雄大被告から虐待されていた長女の結愛ちゃんを病院へ連れて行かずに死亡させた罪に問われ一審で懲役8年の実刑判決が言い渡されていた。
控訴棄却が報道されると、ネットニュースには「そもそも、控訴してる意味がわからない」「たった8年を控訴って…何なのこの母親」「減刑してもらえたとして、この世に出てきてどう生きていくつもりなのか」などの厳しいコメントが並んだ。
優里被告はなぜ控訴をしたのか。減刑を求めてのことではない。その理由は、彼女が今年2月に上梓した『結愛へ』を読めば明らかだ。
■「娘を死なせたんだからどんな刑でも受けます」
文中の「あの人」とは雄大被告のこと。判決が先に出た優里被告は、この後で雄大被告の裁判に出廷しなければならなかった。
優里被告は雄大被告から食事制限される、長時間の叱責を受けるなどの精神的DVを受けており、解離(記憶の喪失)、感情麻痺、抑うつなどの症状が見られた。
虐待の加害者でありDVの被害者でもある優里被告を支えるために、弁護士はDV専門のカウンセラーとともにサポートしていた。裁判で雄大被告と顔を合わせることになれば、希死念慮のある優里被告が不安定になると考えての控訴だったのだろう。
優里被告が懲役8年について「重い」と考えているわけでまったくないことも、著書の記述からわかる。
報道では控訴棄却の後、弁護人は「上告はしない」と明らかにしているそうで、このことからも優里被告に減刑の希望があったわけではなく、著書での記述通りの理由だったと考えられる。
■報道されなかった過酷な精神的DV
逮捕された時の優里被告の表情はまるで能面のように固まっており、それを見て彼女を「冷たい母親」「鬼母」だと思った人もいるかもしれない。
実際、夫の虐待を止められなかったことは事実であるし、そのことを優里被告が一番悔やんでいる。ただ、『結愛へ』を読んでわかることは、彼女自身が雄大被告からの激しい精神的DVに支配されていたことだ。
たとえば、結愛ちゃんが「モデル体型」を目指すために食事制限されていたことは大きく報道されたが、優里被告も雄大被告から160センチ48キロを「ぽっちゃり型」と言われ、「太った女は醜い」と、食事を残さないと叱責を受けるようになった。
雄大被告との子どもを身ごもり、臨月を迎えた頃の優里被告の食事は「2、3日食べないで、食べる時は隠れて、食パンの一斤くらいを一気に食べた」という調子だったと記述されている。
また、優里被告の人格を否定するような説教が連日数時間繰り返された。特に酷く感じられるのが、優里被告の実家を否定するような言葉だ。
優里被告の実家へ行くと雄大被告が不機嫌になり「説教」が行われるため、優里被告はだんだん実家へ足を向けなくなる。途中で口答えするとその分説教が長引くため、反論することもできなかった。
優里被告は、雄大被告から逃げられなかった理由について「説教」が関係していると思うと綴っている。
ただ、優里被告がこのように雄大被告の言動を振り返ることができるようになったのは、逮捕によって夫と離れ、弁護士やカウンセラーのサポートを受けてからのこと。それまでは、精神的DVを受けていたことや精神的に支配されていたことに気付いていなかったと思われる。
■「私は彼のことも自分のことも一生許さない」
精神的なDVを受けていたとはいえ、結果的に娘を死に至らせた母親に同情の気持ちなど持てない、という人もいて当然だと思う。ただ、家庭の中で起こる虐待を個人の問題と社会の問題に切り分け、後者について考えるのであれば、『結愛へ』が示唆する虐待とDVの構造にも目を向ける必要がある。
当初、自分が再婚したせいで雄大被告を虐待の加害者にしてしまったと悔い、ひたすら自分が死ぬことを願っていた優里被告は、次第に自分の罪と夫の罪を分けて考えられるようになる。本書のラスト近くで、優里被告はこう書いている。
優里被告が書くように、おそらく雄大被告も社会から強いプレッシャーを受け苦しんでいたのだろう。弱い者が、その苦しさを自分より力や立場の弱い者へぶつける。その連鎖は今もこの社会の中で繰り返されている。今もどこかで起こっている虐待を見過ごさないために、弱さへの嫌悪に敏感でなければならないように思う。
夫から子どもへの虐待を止められなかった母が、自分の身に起こったことを知り、改めて罪を悔いる。混乱のまま自死を選ぶより、そのような贖罪のかたちがあっても良いのではないか……。『結愛へ』を読み、そう思わずにはいられなかった。
(記事内の写真はすべて筆者撮影)
【関連】
・優里被告は夢の中で結愛ちゃんと会う