【富田林市・河内長野市】「この世界の片隅に」にも登場!戦時中に食べられていた楠公飯を作ってみた。
昨日まで富田林のすばるホールでの平和を考える戦争展が行われていましたが、その中の戦時中の食事として、楠公飯(なんこうめし)が取り上げられていました。
楠公飯のことは以前から承知しており、戦争アニメ映画の「この世界の片隅に」でも登場した戦時中の非常食としても有名です。
もともとは鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて主に南河内地域で活躍した武将、楠木正成が考案したものと聞きました。楠木軍が鎌倉幕府軍や北朝軍相手に籠城する際に食べられたとされる非常食、それが楠公飯です。
戦前から戦時中にかけては大楠公といわれ、楠木正成が神格化されていたこともあるので、その当時にあやかって食べていたのでしょう。特に富田林や河内長野といった南河内地域では楠公飯を戦時中に盛んに食べられたと考えられます。
海外の似たような戦時中の非常食として、ベトナムのライスペーパーがあります。ベトナム戦争で北ベトナム側(ベトコン)が勝利したのは、非常食として常備していたライスペーパーがあったからと言われるほど。
ちょうど今日は終戦記念日ということなので、楠公飯を再現してみることにしました。
私は河内長野産の玄米をいつも食べています。そのため玄米がいつも家にあり、また玄米食に慣れています。
そういう意味では普段から白米を食べている人は、少し抵抗があるかもしれません。実際に楠公飯はまずいという口コミもあります。本来非常食のようなものなので、味は二の次だから仕方がありませんね。
玄米食は身体に良い(外部リンク)と紹介されているように、食物繊維などの栄養素が多いから、これを機会に白米を食べている人も玄米食に挑戦しても良いかもしれません。ただ玄米は消化が悪くてよく噛まないといけないというデメリットがあります。
さて、楠公飯の材料です。玄米と、玄米の3倍量の水、それだけです。今回の調理では、2合の玄米で作ることにしました。
油をひいていないフライパンに水洗いしていない玄米をそのまま入れて、火を付けました。玄米を焦がさないため、弱火にしています。
火の通りがまだらにならないように、ときどき木べらでかきまぜます。
少しだけですが、動画も撮ってみました。
こうして、ポップコーンのように米粒がはじけたものが出始めた状態で、火を止めます。
この後、炊飯器に玄米を移し、3倍量の水も加えます。
私の場合は玄米をいつも炊くために電気圧力釜を使っているので、ここからすぐに炊きましたが、玄米モードのない炊飯器なら一晩漬けておいてください。夏場は、そのまま冷蔵庫に入れておく方が安心です。
このように多くの水が入りました。玄米2合ほどなのに、水の量は4合の位置まで入っています。前にも書きましたが、玄米を炊く機能がない場合はしばらく浸けておきますが、これは玄米がすぐに炊ける電気圧力釜なので、そのまま次に進めます。
圧力釜の自動メニューです。玄米ではありますが、今回先に煎って火を通しているので、白米モードで炊いてみました。
出来上がりまで1時間15分です。ただ焦がした玄米の水多めというイレギュラーな状態で炊いたので、この時間で炊けた後も内部の圧力が抜けきれず、ふたが開きません。排気が終わるまで、しばらく待つことになりました。
ということで炊きあがりました。ふたを開けたときに、炊き上がりのとても良い匂いが立ち込めました。これが楠公飯です。玄米を煎り、さらに水を多く入れると白米モードでも炊けます。
楠公飯の見た目は確かに柔らかいし、米粒がいつもより大きいですね。玄米に食べ慣れていない人でも柔らかくて食べられそう。
ただ、お粥までいかないにしろ、柔らかすぎるために、どうしてもまずいと感じるかもしれません。そこはおいしいおかずと合わせることでフォローしてみたいところ。
ということで、昨日の夕ごはんとして楠公飯をいただきました。食べた感想はやはりいつもより柔らかいなとは思いましたが、たまに食べる分には気になりません。
さて、このように完成した楠公飯を自宅でいただきましたが、食べながら、やはり楠木軍の城跡だったところで食べてみるというのもよさそうだと気づきました。
楠木軍が籠ったした楠木七城と言われている城は次の通りです。
- 千早城(千早赤阪村)
- 下赤坂城(千早赤阪村)
- 小根田城(上赤坂城の一部)(千早赤阪村)
- 桐山城(上赤坂城の一部)(千早赤阪村)
- 烏帽子形城(河内長野市)
- 龍泉寺城(嶽山城)(富田林市)
- 金胎寺城(富田林市)
この中でふたつの城が富田林内、ひとつが河内長野市内にありますね。まず富田林市内を見ていくと、龍泉寺城(嶽山城)は、すぐ隣に亀の井ホテル富田林(旧かんぽの宿富田林)があり、アクセスは富田林駅から無料送迎バスが使えて便利です。
しかし実際の場所は少しうっそうとしていて見晴らしもあまりよくなく、楠公飯を食べるのに適していません。
となるともうひとつの金胎寺城跡の方がおすすめです。標高296.1メートル、富田林最高峰の金胎寺山山頂ですね。
道路もなく、下から歩いて登る必要はありますが、非常に見晴らしも良く、天気が良ければあべのハルカスや明石海峡大橋などが見えるスポット。
当時山の上の城に立て籠った楠木の軍勢はこの見晴らしから敵の様子を伺いながら、楠公飯に食らいついたのでしょう。
行き方はこんな感じです。河内長野駅からも歩いていけなくはないですね。
次に河内長野をみると、 標高182メートルのところにあった烏帽子形城となります。ここは河内長野駅から高野街道を歩けば直ぐなので行きやすいですね。
途中、土塁など城の痕跡が残っているのを見ながら登っていくとやがて山頂が見えてきます。金胎寺城跡よりも標高が低いので早く登れそう。
ところどころに説明があるので、それを見ながら当時に思いをはせてもよさそうです。
ということで山頂の城跡に到着。ここに城の建物があったんですね。
このように河内長野の市街地が一望できるところがあります。市役所などもはっきりわかりますが、よく見ると富田林の大平和祈念塔やあべのハルカスの姿も見えます。
昔ならここから敵の動きを監視していたのでしょうけれど、今は市内の風景を見ながらのんびり楠公飯を食べてみましょう。
大まかな行き方を書いた地図です。金胎寺山と違い複数の登山口から上に上がれるようです。
ということで、富田林と河内長野の両市で、楠公飯を食べるのにおすすめのスポットを紹介しました。
楠公飯は白米よりも手間がかかりますが、富田林、河内長野両市ともせっかく楠木軍ゆかりの城跡があるので、楠公飯を当時の軍勢たちの気持ちになって食べてみるのも面白いです。
金胎寺城跡
住所:大阪府富田林市伏見堂 アクセス:近鉄汐ノ宮駅から徒歩1時間弱
烏帽子形城跡
住所:大阪府河内長野市喜多町725-1 アクセス:南海・近鉄河内長野駅から徒歩25分
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