【私と朝ドラ『虎に翼』3】「当時、私は逃げたのか」寅子にオーバーラップした50代女性の記憶
朝ドラ(NHK連続テレビ小説)をあまり観ない、あるいはこれまで1度も観たことがないという人をも巻き込むムーブメントとなっている『虎に翼』。女性法律家のさきがけ・三淵嘉子をモデルとした、吉田恵里香脚本×伊藤沙莉主演の異色の朝ドラについて市井の方々に聞くシリーズ第3回では、音楽業界で働くフリーランスの50代女性・川合由美さん(仮名)にご登場いただいた。
川合さんはこれまで朝ドラはあまり観ておらず、出産後に仕事をペースダウンしていた一時期、『とと姉ちゃん』(2016年度上半期)や『ひよっこ』(2017年度上半期)、『半分、青い。』(2018年度上半期)などを観たものの、以降は離れていたと言う。
『虎に翼』視聴のきっかけは「推し」の出演のはずが「三山君が出る前にどっぷりハマってしまって」
今回観ることを決めたきっかけは、「推し」の三山凌輝が弟の直明役で出演することだったと言うが……
「三山君が出る前にどっぷりハマってしまって。しかも、最初5週ぐらいまで楽しく観ていたんですが、寅子が大学を卒業して、キャリアがスタートするあたりからは集中して観なければというモードに入りました。寅ちゃんの心の動きが、そこから大きく変わってきたな、と。学生時代はお父さんの贈収賄疑惑などもありつつ、自分の目標がはっきりわかっていて、前を向いて進んでいたと思うんですよ。そこからどうにもならない壁にぶつかり始めたのが、卒業後で、自分が仕事してきた道と重ね合わせて共感できる部分がありました」(川合さん 以下同)
川合さんはもともと夢などを持っておらず、最初は深く考えることなく、財団法人への手堅い就職を選んだ。そこで約3年働き、仕事も覚え、物足りなさを感じ始めた頃に、ずっと好きだった音楽に関わる仕事をしてみたいと思い、突然退職。「音楽と言えばイギリスだろ」といったノリで、退職金を使ってイギリスに行き、1カ月半くらい現地で様々なライブを見まくった。
そこから音楽業界で働きたい思いがますます強まり、帰国後は音楽関連の会社を中途採用で片っ端から受けまくり、落ちまくった挙句、「1個拾ってくれた会社に入った」。しかし、現実の厳しさにぶち当たったのだと言う。
女性だから下に見られる、認められない……音楽業界のマネージャーとして感じた理不尽
「24歳のときにレーベルの営業として入社し、別の女性マネージャーが辞めたタイミングでマネージャーをやることになりました。でも、当時は女性マネージャーが活躍できる場所は少なく、女性であるが故に認められないみたいなところがありました。上司からは何をしても怒られる、過酷なスケジュールで睡眠時間が確保できないなどの様々な理由で、同じ会社や他社の女性マネージャーがどんどん辞めていくんです。私自身、女だからという理由で『どうせできないでしょう』と言われたり、お酒の席などで軽い扱いを受けたりすることもありました。それでも、自分で選んだ道だし、当時女性のマネージャーは下に見られることをわかったうえで進んだわけだし、と自分に言い聞かせていました。みんなは辞めていくけど、自分は頑張らなきゃと思っていた。女性法曹を志した仲間たちがどんどん辞めていったときの寅ちゃんの『もう私しかいないんだ』という追い詰められ方が、そのときの自分には近いなと思うんですが、そんなときに私も妊娠したんですね」
妊娠発覚に「これでもう仕事をやらなくていいんだ、これで逃げられると思ってしまった」
当時ミュージシャンだった夫との同棲中に妊娠が発覚。川合さんは結婚・出産する道を選ぶ。
「正直、妊娠がわかって安心しちゃってた自分がいたんです。実はちょうど他社から人気アーティストのマネージャーとして声をかけられていたチャンスのときでもあったんですが、これでもう仕事をやらなくていいんだ、これで逃げられると思ってしまった自分がいて。上司はなんとか仕事を続けられる方法も考えてくれましたが、子どもがいて続けられるような仕事じゃないことはわかっていたので、自分には無理だと言って会社を辞めました。マネージャー時代は、朝起きてすぐ会社に行き、夜中か翌朝に帰ってきて一瞬仮眠して、また仕事に行くみたいな日々で、寝ずに運転してツアーをまわるようなこともありました。今思えば、慢性的な寝不足で正常な判断ができる状態じゃなかったのかもしれません」
出産後には、一般の事務職なども経験した。あれこれ考えるよりも、「とりあえず子どもも生まれたし、日々の生活を頑張らなければ」という思いで仕事と家事・育児に励んだ。仕事もつまらないわけではなく、生きていくために必要な仕事もあるととらえていたと川合さんは振り返る。
「それでも、自分が逃げたことはずっと感じていて、音楽そのものから逃げたい、音楽を聴きたくない、その方が心の安定が保たれるみたいな状態でした。寅ちゃんが弁護士を辞めて、子育てに入り、家族を失って無になっていき、日本国憲法が公布されたのを新聞記事で読んで初めて知ったときの感情が、勝手にオーバーラップしてしまって。夫はときどきライブを手伝ってみたいに言ってくれることがあったので、どこかSOSを感じていたのかもしれません。でも、周りに心配させないぐらいではいられました。『逃げた』と思われたくなかったから」
出産後に復帰した後も付きまとう「こんな中途半端な働き方をしている人間が、音楽に関わっていいのか」という思い
寅子は法曹に復帰してからも、逃げたことに負い目を感じ続けていた。川合さんもまた、知人に声をかけられ、音楽業界に復帰するが、当初は復帰に抵抗を感じていたと言う。
「マネージャーという激務を、子どもがいてもできるとは到底思えなかったんです。たまたま声をかけてもらって『自分のできる範囲で良い』と言ってもらえたので、ゆるい形で復帰しましたが、この人たちを売るにはどうしたらいいかみたいなアイデアは出てきても、なかなか実行に移せない状態が続きました。自分には子育てもあるから、自分にブレーキをかけてしまうところもありました。また、全てを賭けるわけでもない、こんな中途半端な働き方をしている人間が、音楽に関わっていいのかという思いもありました」
その後、知り合いの依頼で、これまでの仕事と並行してアーティストのPR、SNSの更新などの手伝いをすることに。そこからいろいろな仕事の依頼が増え、仕事の幅も広がっていった。
「私が最初にマネージャーをやっていた頃は、事務所所属だったので、フリーランスでマネージャーをやるようになって、フレキシブルな付き合い方ができるようになりました。かつてはアーティストとレーベルの間で調整する仕事でしたが、フリーになってからは、アーティスト主導で、足りない部分を考えたり、ファンのためのプランをアーティストと話し合って一緒に作ったりするようになり、自分主体で動けるようになってきました。また、業界的に大きく変わったのはCDが売れなくなったこと、SNSが浸透したこと。それによって今まではマネージャーが全部やらなきゃいけなかったことを、アーティスト自身が発信するようになったのも大きな変化です。それでも、フリーランスの女性のマネージャーはまだ少ないと思います。どうしても男性が当たり前という体力勝負の現場で、女性は体力的に同じことを求められると無理なところもありますし、生理やホルモンバランスの影響もありますし。独立して事務所を作ったようなバイタリティのある女性もいますが、そういう方はやはり特別で大半の人はやっぱり何か選ばなきゃいけなかったのだと思います」
自分が「逃げた」ことに初めて気づき、受け入れたこと
川合さんは『虎に翼』で寅子自身が妊娠を機に女性法曹の道から「逃げた」ととらえ、自分を責め続ける描写に衝撃を受けたと言う。そして、『虎に翼』を通して自身に訪れた心境の変化を、次のように語るのだった。
「寅ちゃんは子どもを産んで育てて、生きていくために必要なことをしていた。それなのに、自分が『逃げた』というところから逃げないことがすごいなと思ったんです。あれを見て、私も逃げたんだなと初めて受け止めることができました。今となっては逃げることが必要なことだったんだなと思えるんですけど、そのときは自分が逃げたとは認めたくなくて、今までずっと無自覚だったり、フタをしてきたりしていて。私はかなり時間をかけてようやく今、向き合うことができて、思い出話として言えるくらいになった。そこにたどり着けるのが、もう少し若い頃だったら、何か違っていたかもしれませんが……それでも、逃げたことを受け入れたことで、ようやくあの頃の自分を肯定できるようになった気がします」
(田幸和歌子)