初の冠番組で街ロケも 世界のソプラニスタ・岡本知高がその活動の全てにおいてこだわる“本当の自分”
初の冠番組『おか素~ソプラニスタの作り方~』とは――「普段の自分をそのまま撮ってもらっている感じ」
世界で3人だけと言われる、女性ソプラノの音域を持つ男性ソプラノ歌手、ソプラニスタの岡本知高。海外のオーケストラからも評価が高く、共演も多い。そんな岡本の初の冠番組『おか素~ソプラニスタの作り方~』が、1月からBSフジでスタート(毎週金曜日 23:55~24:00)。稀有な存在のこのソプラニスタを作るルーツ、まさに「おか素」をキーワードに、様々なゲストを招いて岡本について切り込む番組だ。素の岡本が全開の、5分番組ながらものすごいエネルギーに満ちたこの番組について、さらにライフワークとしている学校訪問コンサート、さらに4月からスタートするスペシャルコンサートについて、インタビューした。
「僕は嘘をつきたくないタイプなので、普段の自分をそのまま撮ってもらっている感じです。やっぱり僕が大柄なのと、衣装も派手で、日常感がない声なので、怖がられるんですよね(笑)。怖い人だと思っていたと言われることも多いので、でもそれはそれぞれの受け止め方だから仕方ないけど、本当は違うんだよということを、世の中にもっと出したいという、スタッフさんの思いもあったのだと思います」。
「普通のオペラ歌手が通る道を通ってこなかった。自分の意志で歩いていき、ホリプロにたどり着いた」
マイク片手にロケを楽しそうにこなす岡本。そのユーモラスな姿は、世界的なソプラニスタという事実とのギャップが面白さにつながってる。
「僕は、普通のオペラ歌手が通る二期会や、藤原歌劇団というところを通っていなくて、でもそれも自分の意思で歩いて行った先に、芸能プロダクションのホリプロにたどり着いていたという。だからバラエティ番組にでることに迷いはなくて。僕はこの衣装で外に出ることは今までなかったのですが、願望としてはありました(笑)。普通の格好で歩いていても意外と気づかれないんです」。
ライフワークとなった学校訪問コンサート。「伝えるべきことを伝えれば、歌は飾りでもいいと思っています」
岡本は高知県宿毛市出身。中学時代、サックスに夢中になり将来は音楽教諭を目指したいと思うようになった。そして高校の音楽の授業の時、岡本の「医学的には声変わりはしているそうで、でも女性と同じように、自覚のないまま変わっていた」高い声を聴いた音楽の先生から、「ソプラノを歌って」と言われたことをきっかけに歌の世界に魅了され、国立音楽大学声楽科に入学、本格的にレッスンを始めた。岡本のレパートリーは広く、オペラを始め、クラシカルクロスオーバー、日本のポップス、「小さいころ親とよく歌っていた、音楽のルーツ」という唱歌と童謡など、あらゆるジャンルの歌を歌い、コンサートには老若男女、幅広い層のファンが駆け付ける。そして岡本がライフワークのひとつとしているのが、学校訪問コンサートだ。去年も20を超える全国各地の学校を訪れ、歌と言葉を伝えた。
「僕が教師を目指した目的は、吹奏楽を一生やりたかったからです。どうやれば、年を取るまで吹奏楽を続けることができるのかを考えた時、部活の顧問というのが一番手っ取り早いと思いました(笑)。一昨年は30校、昨年は20校訪問しました。どんな校風で、普段この学校の生徒たちがどんな勉強をしているのか、一切知らずに行きますが、学校に足を踏み入れた瞬間に、どんな学校かわかります。それでもう好きなことをしゃべります(笑)。『さっきの女性の先生いたでしょ。あのしゃべり方は、声の暴力っていうんだよ」って(笑)。『みんな、声って人の心を優しく包んであげることもできるけど、言葉を選ばないと、声の使い方をちゃんと考えないと、ナイフになるから』って。伝えるべきことを伝えれば、歌は飾りでもいいかなと思っていて』。
岡本の初コンサートは小学校だったという。「僕が大学2年生の時に、初めて小学校で歌う機会をいただいて、今学校を訪問しているのも、その初心を忘れないためでもあります。最初のコンサートは、大学で習っているものを発表会のように並べたら、誰も聴いてくれなくて。それでもう一回小学校で歌う機会をいただいて、そのとき子供達がどうやったら楽しんでくれるかなということを初めて考えました。誰かに聴かせる、楽しんでもらうという意識が芽生え始めたことは、すごく大きかったです。二回目はアニメソングを入れたり、おしゃべりを入れてみたりとか。僕がなぜその曲を歌うのか、なんでその曲にチャレンジしているかとか、この曲を歌うと必ず母親が洗濯物を干してる姿が浮かんでくるとか、そういう自分の話をしたところ、みなさん集中して聴いてくれました』。
「僕の音楽を聴いてくれるお客様は、普段テレビを観ている方が多いので、クラシックのファンのほうではなく、そちらを見て歌っています」
歌もコンサートも、そして番組も「伝える」という行為ということに変わりはない。この「伝える」ことについては、変わらない“思い”があるのだろうか。
「技術的には、少しずつ積み重なってる部分もあるし、今42歳で、45歳くらいをピークに、歌声の伸びというものは年齢とともに減衰してくるものと考えています。50歳になる前にはトレーニングしていても、落ちてくると思います。だから今、本当にピークだと思いますが、ただ、歌を歌うということに関しては、大学4年間、周りの目も気にせず自分の好きなスタイルで、好きな歌を歌わせてもらったことは、今のスタイルの土台になっています。僕の音楽を聴いてくれるお客様、コンサートに来て下さるお客様は、普段テレビを観ている方が多いので、クラシックのファンのほうではなく、僕はそちらを見て歌っています。その方たちが、どうやったらリラックスしてコンサートを楽しめるか、ということを考え始めたのが多分大学の3年生くらいからだと思いますが、そこからお客様に喜んでいただくことが僕の喜びにもなりました。もちろん上手に歌うことも大切だし、当時はコンクールにも出ていたので、コンクールに勝つための歌い方と、お金を払って観に来てくださる、お茶の間のお客様向けの歌い方は切り替えていました。でもうまいとか下手というのが、どのくらい大事なのかなということも、考えるようになりました。プロというのは本当にうまい必要があるのか?とか。昔はそんなに歌がうまくないアイドルが、テレビでスポットを浴びて歌っているのを観ると、悔しいと思うこともありました。でも自分がいざステージに立って、周りを見たりとか、こうして今ホリプロに入って色々なタレントさんを見ていると、やっぱりみなさん頑張っているんです。自分を磨いて、芸を磨いてるからこそ、生き残っていける世界であって、だから下手とかうまいということが、必ずしも必要なのかということを考えました。コンクールで勝った人たちが、今残っているかのかを考えると、少なくとも日本で活動していく上では、ステージに出てきた時の衣装の上に、もう一枚羽織っているオーラとか、所作、視線の向け方とか、お客様との接し方とか、僕はそちらを磨きたいと思い始めました。そういう意識が大学在学中に変わっていってからは、歌い方とか表現の方法とかはそれを貫いています」。
クラシックの知識がなくても、オペラの知識がなくても、岡本の歌を聴き“何か”を感じてくれることが極上の喜びだという。
「何かを感じてくれるだけで嬉しくて、例えそれが悪い方向でも、その人がわざわざコンサートに足を運んでくださって、こちらも一生懸命練習して、勉強して頑張るけれど、お客様は好きか嫌いでいいと思うんですよ」。
「コンサートは全て“自分でいる”ことが大切。自分の引き出しにはないきれいな景色のことを歌うと、それは偽物になる」
オペラやミュージカルでは役のキャラクターになり切ることが求められるが、自身のコンサートでは自分のありのままを見せ、全て自分でいることが大切だという。
「表現するということは大学で歌を始めた頃までは、偽りを演じるものだと思っていました。全く違う世界を曲ごとに描いていくようなイメージでしたが、今はコンサートに関しては、全て自分でいることが一番大事だと思っていて。だから自分の引き出しの中にない、どこかのきれいな景色のことを歌うと、偽物になります。すごくいい曲だけど、自分の言葉にできない作品は取り上げないです。だから子供たちに教える時に『心を込めて歌ってはダメ』と言います。例えばみんなで「ふるさと」を歌うときに、『僕もウサギを山で追いかけたこと、一回もないけど』って言って、一緒に歌います(笑)。結果的に伝わればいいと思っていて。それを、ほら楽しいでしょ!って歌うのがクラシック界隈の人達で、そうではなく、聴き終わってから、なんか楽しかったねと思ってもらうほうが大事です」。
岡本は4月7日の長野・軽井沢大賀ホールを皮切りに、全国ツアー『岡本知高スペシャルコンサート 春につむぐ愛の歌』を行う。岡本の地元・高知公演もあり、気合が入る。
「普段はマイクを使ったりオーケストラと一緒にやっているのですが、今回は勝負をかけたいと思っていて、マイクを使わず、ピアノ一本と生の歌声だけでやります。僕にとっては一番難しい状態ですが、だからこそ良さが伝わる部分があるし、ピアニストと歌いながら目と目で会話をし、応酬し合い、まさにセッションを楽しもうと思っています。ゲーム感覚といった方が近いかもしれません。原曲がプラスマイナスゼロだとすると、作曲した人の意図とは違っても、それと同じ熱量、力加減、テンポで終わらせて、でも結果的にウインにするという感じです。例えばオペラの曲は基本的には、原曲通りに演奏した方がもちろんいいんですけど、僕の声に合わせて、ピアニストの飯田俊明さんがアレンジしてくださいます。他にも日本の唱歌あり、中島みゆきさんの曲があり、例えば子供の頃に歌った「切手のないおくりもの」を大人になった気持ちで歌ったり。それぞれの地域の子供たちとの合唱もあります。学校訪問コンサートもやっていますが、コンサートにも来てもらっているので、各会場で子供たちと歌いたいです。地元・高知での公演は、どうしても気合が入ると思います。だって普段歌う時想像している風景、思い出がそこにあるし、一番吸いたい空気がある場所ですから」。
「今までは“力強さ”を磨いてきた。でもこれからは柔らかさ、内面の弱さ、ピアニッシモを求めていきたい」
今が充実の時と語る岡本の視線の先にあるものは何だろうか?
「僕はやっぱり男性のパワーで女性の声を出しているので、今までは力強さというもの磨いてきたと思っています。でもそれがだんだんと柔らかさとか、内面の弱さ、ピアニッシモを求めて、それを表現の課題にしていて。先ほど言った、今がピークというのは、フォルテが力強く出せる年齢のピークだということで、これからは、人のシワとかシミとかのように、味わい深い声で、ピアニッシモをどこまで追求できるかです。強い人が出す弱い部分というのは一番ドラマティックだと思っているので。カーネギーホールで歌いたいとか、「蝶々夫人」を演じてみたいとかは、全然思っていません(笑)」。