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松田優作について、今だから語っておきたい明かしたいことがある。幻のライブの封印を解いた理由

水上賢治映画ライター
崔洋一監督 筆者撮影

 松田優作がこの世を去って30年を過ぎた今年2月5日、追悼の想いが込められた2枚組のDVDが届けられた。『CLUB DEJA-VU ONE NIGHT SHOW 松田優作・メモリアル・ライブ+優作について私が知っている二、三の事柄』とタイトルがついたこの作品、DISC1には、松田優作の死後1年と少し過ぎた日、池袋サンシャイン劇場で行われた1夜限りの追悼ライブ「CLUB DEJA-VU ONE NIGHT SHOW」を収録。DISC2には、「CLUB DEJA-VU ONE NIGHT SHOW」を表で、陰で支えた者たちへの新規インタビューが収められている。

 どちらも演出・構成を手掛けているのは崔洋一監督。監督いわく「このライブは門外不出のものだった」と明かす。

 なぜ、幻のステージをいま世に出そうと思ったのか? ライブのこと、松田優作のこと、崔監督が、いまだから話しておきたいことを語ってくれた。そのロング・インタビューを3回に渡ってお届けする。

 はじめは、伝説のライブが30年封印され、いまそれが解かれた理由について。

伝説のライブが30年封印された理由

 1990年12月3日に行われた「CLUB DEJA-VU ONE NIGHT SHOW」は、松田優作を架空のクラブの不在オーナーに見立て、音楽、演劇、ライブペイントなどが融合。内田裕也、宇崎竜童、シーナ&鮎川誠、桃井かおり、原田芳雄らが訳アリの客に扮して、松田優作の楽曲を次々と歌い、それぞれが思い出を語り、哀悼の意を表するステージだった。

 ただ、当日来場した約800人の観客のみが目撃したこのライブは、その後、一切世に出ることなく、ここまで月日は流れた。

 なぜ、こうした経緯をたどることになってしまったのか、崔監督はこう明かす。

「このステージに関しては、これまで何度も『世に出したい』っていう人たちはいたんですよ。噂をきいたりしたんでしょうね。その都度、企画を引き受けてくれた黒澤(満)さん(松田優作出演作品を多く手がけた製作プロダクション、セントラル・アーツのプロデューサー)に話がいって、そこから僕のところへくるわけです。『崔、こういう話があるけど、どうする?』と。で、僕は『断ってください、ダメです』の繰り返し(苦笑)

 まあ、僕に権利があるわけではないけども、舞台全体の構成、つまり台本を書いたのは自分だし、演出もやってる。出演交渉も僕がほとんどやってますので、そういう意味では強い権限といったらいやらしいけど、発言力はもっている。

 なぜ、ノーなのかというと、それは、あのときにライブに来た方たち、とりわけ出演してくれた方たち、スタッフとして関わってくれた人たちが、自分と優作との私的な関係の中で記憶に残ればいいと。もともと、そういう志でやろうとなったもの。なにかを遺そうとやったわけではない。関わった人々の、もしくは見てくれた人々の記憶に残ればそれでいい。一夜限りの幻、幻夜で、幻視で、幻想でいいじゃないか。こういうライブがあった、で終わっていいじゃないかと」

写真・渡邉俊夫
写真・渡邉俊夫

残すためにやったライブではない。一夜限りの幻でいい

 松田優作の弔い。ショウビズ的なものにしたくなかったところもあった。

「利益を出さないまでも、トントンというか赤字にしない方法はあったわけですよ。実際、テレビ中継の話はあって、入れると、出演者にギャラまではいかないけれども、謝礼程度はできたかなというぐらい。でも、それは主旨に反するわけですよ。で、大赤字になることは前提で、黒澤さんに引き受けてもらうことになった」

 また、当時の音楽業界の事情もあった。

「当時の音楽産業はまだ古臭い縛りの中にあったから、トリビュートとかカバーとか成立しないときで。レコード会社に所属しているアーティストはそう簡単に他人の曲を歌えない、そういう権利問題もあったんですよ。

 出演者でレコード会社に所属してる方が半分以上いらっしゃる。そういう中で、ライブが形に残ると権利問題が生じる。そうなると、歌うこと自体が大変難しいことになってしまう。ライブ自体は有料でしたから。そこで苦肉の策かつ、赤字が前提でしたので、みなさんにはノーギャラで、その場限りのこととしてやっていただく、と。一部のバックバンド絡みのエキストラで入ってくれた人たちの日当以外は全員ギャラは出さない、ということになったんです」

 こうした状況もあって、当初はカメラを回すことも予定していなかった。

記録するつもりもなかったんですよ。でも、黒澤さんに言われて、じゃあ、とりあえず記録だけはしておくかと。それで当日たまたま取材にきたカメラマンに急遽撮影を頼んだんです。だから、カメラは1台のみ。ただ、テープチェンジがあるから画がないところがある。だからステージすべてが記録されているわけではない。音に関してはPAが回してくれたDATがあってすべて録音していた。まあ、それも本来、彼らはミュージシャンと観客のための現場の音調整が最大の役割なわけで、このDATが回っていたこともまた奇跡ですよ」

伝説のライブは1度、まとめられていた!

 こうして記録映像と音源は残されていた。この二つは1度まとめられている。

「ノーギャラということで、出演及び骨を折ってくれたスタッフに対して、御礼といいますか。まず、当日のライブの後、池袋サンシャイン劇場のご厚意で、ロビーを出た廊下の部分からむかいの喫茶店も含めて開放してくれて、ささやかながら打ち上げをやったんです。そのとき、今回のDVDで最後に入ってますけど、全員で記念写真をとりまして、それをのちにプリントしてみなさんに差し上げました。

 あと、これは黒澤さんのご指示もあったんですけども、記録映像をうけとって、それをまとめたんです。さっき言いましたけど、テープチェンジがあるので12~13秒、計4回欠けているんですけど、そこには、工藤栄一(監督)、村川透(監督)、森田芳光(監督)の撮った優作映画を非営利・非公開ということで部分使用させてもらって。これも僕が全部許諾を取ったんだけど。当時だから、VHSから抜いて、それを画のない部分にはめ込んだんですよ。音はDATがあったから、それを借りて。

 最終的に1インチにして、そこからVHSにダビングして50本ぐらいだったかな。それを謝礼替わりにアーティストを軸にしてお配りした。そこまで、だったんです」

僕が鬼籍に入ったら、この映像は完全に日の目をみないで消滅してしまう

 その封印してきた記録をいま公にした理由をこう明かす。

「黒澤さんのお体の具合があまりよくないと、お聞きしたときぐらいからですかね。ちょっと心境が変わったといいますか。黒澤さんは2018年11月に亡くなられて、考えたら、僕自身も古希で、優作と同い年なんですけど、そのとき思ったんですよね。『これで僕が何年か後に鬼籍に入ったら、この映像は完全に日の目をみないで消滅しちゃうね』と。それもまた忍びないなと、素直に思いました。

 だったら、ずっと否定してたんだけれども、何か世の中に残せないかと、まあ単純に宗旨がえしたんですよ。まあ、僕自身がいいじいさまというか、老齢に入って、自分の中の生き死にみたいなことが割とリアルに感じられて。これは、『優作について私が知っている二、三の事柄』のほうで(桃井)かおりも言ってますけど、この追悼ライブをやったころは、優作という存在がある日突然いなくなっちゃったけど、残った者たちは生きてるわけです。

 死と生のバランスでいったら、生が強いわけですよ。いまの僕の中の死生観と、30年前の僕が描いていた死生観は全く違う。このライブをやった意味っていうのも、まったく違うものではないけれども、どこか水と油のようなもので。でも、30年もたてば、ドレッシングというのかな、シェイクして混ぜあわさっちゃうこともあるんですよ。だから、残すことに意味があるというふうに考え始めた。

 だから、まだご存命だった黒澤さんにも2年前に言われました。『おまえもようやくそういう領域に達したか』と。『だから、ずっと(残したら)どうだと言ってきただろう』とね。それが今回、封印を解いた大きな動機です」(※次へ続く)

(C)株式会社 セントラル・アーツ
(C)株式会社 セントラル・アーツ

「CLUB DEJA-VU ONE NIGHT SHOW  松田優作・メモリアル・ライブ +  

優作について私が知っている二、三の事柄」

DVD(2枚組)発売中 

価格:6,900円+税

販売:東映株式会社 

発売:東映ビデオ株式会社

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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