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【大阪マラソン展望】箱根駅伝1回大会優勝の筑波大。出身選手最高記録の西と初マラソンの福谷に快走の期待

寺田辰朗陸上競技ライター
20年の箱根駅伝1区を走る西研人(当時筑波大3年)(写真:アフロスポーツ)

 大阪マラソン(2月25日開催)では筑波大出身選手記録(2時間08分11秒)を持つ西研人(大阪ガス)と、ルーキーの福谷颯太(黒崎播磨)の筑波大OB2人が、マラソンファンを驚かせるかもしれない。

 大阪マラソンの焦点はパリ五輪の代表選考。昨年10月のMGC(マラソン・グランドチャンピオンシップ)で優勝した小山直城(Honda)と、2位の赤﨑暁(九電工)が代表に決定している。最後の3人目に、MGCファイナルチャレンジに指定された大会で、2時間05分50秒をクリアした選手の最上位者が選ばれる。クリアする選手が現れなかった場合はMGC3位の大迫傑(Nike)が代表になる。

 男子は昨年12月の福岡国際マラソン、2月25日の大阪マラソン、3月3日の東京マラソンがMGCファイナルチャレンジに指定されている。大阪は昨年までは2時間06分36秒、1km毎3分00秒のペースが設定されていたが、今年は2時間05分50秒、1km毎2分59秒前後のペースが設定されそうだ。

昨年の大阪マラソンで35年ぶりの記録更新

 西は大阪マラソンの目標を「大まかに自己記録更新」と話した。

「去年の大阪で2時間08分11秒で走りました。(1km2分58~59秒ペースが予想される)先頭集団で付けるところまで走り、(最低でも)2時間7分台を、あわよくば6分台、5分台も考えています」

 西は4回のマラソン歴がある。

                                           <筆者作表>
                                           <筆者作表>

 初マラソンは野中優志(トヨタ自動車。当時大阪ガス)のマラソン練習パートナーをしていた流れで、「お試し」のような感覚で出場した。2度目が昨年の大阪マラソン。30kmを1時間30分14秒で通過した先頭集団で走っていたが、35km手前で同学年の西山和弥(トヨタ自動車)や池田耀平(Kao)たちから後れてしまった。西山は箱根駅伝1区で区間賞を2度、池田も箱根駅伝2区で区間日本人1位の実績を持つ。

 しかし2時間08分11秒は、筑波大にとっては歴史的なことだった。渋谷俊浩が1988年にマークした2時間11分04秒の筑波大出身選手最高記録を、実に35年ぶりに更新したのだ。

 3回目は昨年4月の長野マラソンで、MGC出場資格を取るために出場。優勝して2本合計タイムのワイルドカードで出場権を獲得した。「大阪から短いスパンでしたが予定していた練習を、疲労がある中でも行うことができ、流れに乗って走ることができました」。MGC出場資格だけでなく、内容的にも収穫があった。

 しかし4回目のMGCは24位。「惨敗でした。夏の練習にしては質も量もできていたのに、調子を合わせられなかった」と課題が残った。

 その課題克服はマラソンを走ってみてわかることだが、今大会前の練習にはこれまでで一番の手応えがある。MGC後は殿部に違和感があり、「練習量がイマイチ」でニューイヤー駅伝は3区区間27位だった。しかし年明けの奄美合宿から状態を上げることに成功した。

「思い切って走り込んでみたら、体が動いてきました。2週間前の全日本実業団ハーフマラソンも、昨年は1時間01分52秒(18位)でしたが、今年は1時間01分09秒(15位)でした」

 レース当日は雨予報だが、気象コンディションが多少悪くても自己記録の大幅更新は期待できる。

今につながる学生時代の経験

 筑波大は箱根駅伝第1回大会(1920年)優勝校(当時は東京高師)である。優勝はその1回だけだが1960年までは5位以内の常連校だった。その後は私立大学に押されてきたが、1980~87年は86年を除いて9位以内に入り、翌年のシード権を取り続けた。

 だがテレビ放映が始まり強化に力を入れる大学が増えると、記念大会で20校が出場できた94年を最後に本戦出場ができなくなった。国立大である筑波大に学費免除や栄養費支給の制度はなく、活動予算も少ない。

 その筑波大が箱根駅伝復活プロジェクトを発足させ、OBで福岡国際マラソン2位の競技実績を持つ弘山勉監督を15年4月に招聘。弘山監督は実業団チームで、弘山晴美や藤永佳子を日本代表に導いた指導実績も持つ。

 そして箱根駅伝20年大会に26年ぶりに出場。そのとき1区を区間11位で走ったのが、当時3年生の西だった。4年時はチームが予選会11位で本戦出場を惜しくも逃したが、西個人は予選会9位(1時間01分46秒)と健闘。日本人トップの三浦龍司(順大4年。当時1年)とは5秒差。池田耀平(当時日体大4年)、菊地駿弥(中国電力。当時城西大4年)と、昨年の大阪マラソンで同じ集団を走った3人が3秒の間に日本人3~5位でフィニッシュした。日本人6位が吉居大和(中大4年。当時1年)、同7位が難波天(トーエネック。当時麗澤大4年。昨年10000mで27分46秒66)と、その後活躍する選手たちが上位を占めた。

 福谷の学生時代は後述するが、弘山監督は「当時から2人とも将来はマラソンで活躍できる選手と感じていた」という。

 西は学生トップレベルの選手と対等に走ったことだけでなく、恵まれない環境でも「泥くさく頑張った」ことが今に生きているという。

「大阪ガスも長距離は、強豪実業団チームと比べて環境的に恵まれていません。業務もしっかり行う会社で、入社1年目は両立させることが大変でした。しかし学生時代に、どんな環境でも力を伸ばしていく力を身につけられたことがよかった」

 気象条件の悪さをはねのけるタフさが、筑波大出身の西にはある。

2時間7~8分台の練習ができている福谷

 福谷は西の2学年下。高校では全国大会に出られなかった選手で、自己記録は毎年伸ばしてきたが、大学2年時(西が4年時)の箱根駅伝予選会は168位(1時間03分56秒)だった。大学2年時までは「下積みの練習を積み上げていた」時期だった。練習に全力で取り組んではいたが、疲労がたまっている状態が続いていた。

 しかし3年になると体力もつき、練習に余裕を持てるようになった。

「前年と同じ練習をやっても、練習をやる意味が理解できてきました。力の入れ方と抜き方もわかってきて、試合に集中していけるようになったんです」

 予選会で16位(1時間02分58秒)に入り、実業団で続ける気持ちが強くなった。箱根駅伝本戦には関東学生連合チームの5区、山登り区間に出場。参考記録扱いだが区間10位相当のタイムで走破した。

「マラソンと駅伝をやるならこのチームで」と黒崎播磨に入社。当初は、1年目は駅伝を最大目標としていたが、夏頃に澁谷明憲監督から「マラソン出場も考えたらどうか」とアドバイスを受けた。

 細谷恭平(自己記録2時間06分35秒。東京マラソンに出場予定)も土井大輔(2時間07分55秒。大阪マラソンの優勝候補の1人)も、「学卒選手は2年目に初マラソンをしました」と澁谷監督。「早めにマラソンを経験していい」と澁谷監督が感じるものが、福谷にはあった。

 ニューイヤー駅伝は5区で区間12位ではあったが、主要区間の1つで他チームのエースクラスに混じって奮闘した。大阪マラソン2週間前の全日本実業団ハーフマラソンは、1時間00分58秒で10位。土井とも7秒差にとどめた。

「2時間7~8分台のトレーニングはできています。40km走を3本、段階的にやりますが、重ねていく毎にタイムも上がり、余裕も持てています。1週間前に速い40km走をやっての実業団ハーフのタイムでしたから、マラソンの適性はありますね。(記録よりも8位以内に)入賞しようと話しています」(澁谷監督)

 昨年の大阪では西山和弥と池田耀平の、初マラソン勢が日本人ワンツー。西山は2時間06分45秒の初マラソン日本最高だった。福谷は目立たない位置を走るかもしれないが、今年も先頭集団で走る初マラソン選手に注目したい。

陸上競技ライター

陸上競技専門のフリーライター。陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の“深い”情報を紹介することをライフワークとする。一見、数字の羅列に見えるデータから、その中に潜む人間ドラマを見つけだすことが多い。地道な資料整理など、泥臭い仕事が自身のバックボーンだと言う。座右の銘は「この一球は絶対無二の一球なり」。同じ取材機会は二度とない、と自身を戒めるが、ユーモアを忘れないことが取材の集中力につながるとも考えている。

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