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相模原事件・植松聖死刑囚が最後の獄中手記で明かした小指噛みちぎり事件の真相

篠田博之月刊『創』編集長
小指がちぎれた手で書かれた植松聖死刑囚の手記(筆者撮影)

 何やら世の中がコロナ一色になった感がある。眞子さま結婚延期の行方や、3月に死刑判決の出た相模原障害者殺傷事件など、それ以前からの話題が一気に風化しつつある。コロナ問題は大きな関心事なので仕方ないとはいえるが。

植松死刑囚は東京拘置所に移送され接見禁止に

 既に報告しているように、相模原事件の植松死刑囚は、3月31日に死刑判決が確定、4月7日に刑場のある東京拘置所に移送され、接見禁止がついた。確定死刑囚の処遇に移ったわけだ。

 しかし、それと別に、コロナ禍は裁判所や拘置所も混乱に落とし入れており、東京拘置所も大阪拘置所も、一般面会は原則として中止になっている。大阪拘置所では職員に、東京拘置所では収容者にコロナ感染者が出ており、深刻な状況だ。

 相模原事件は障害者差別など深刻な問題を浮き彫りにしたが、被告の刑事責任能力の有無に終始した裁判ではほとんど本質的な問題の解明がなされないまま終わってしまった。

裁判が行われた横浜地裁(筆者撮影)
裁判が行われた横浜地裁(筆者撮影)

 いくら何でもこのまま一気に風化していくというのはまずいので、接見禁止になった植松死刑囚とも何とかしてパイプをつなげたいと思っている。

 私は連続幼女殺害事件の宮崎勤死刑囚(既に執行)にも、接見禁止がついて以降も何回か面会したし、彼の母親を経由して、執行直前まで彼の手紙を入手していた。植松死刑囚についても、コロナの影響が一段落してから、いろいろな手を打っていくつもりだ。

 その植松死刑囚だが、発売中の月刊『創』5・6月号に、最後になるかもしれない獄中手記を発表している。新聞・テレビなどのマスコミも、裁判中は連日、植松被告に接見取材を行ったが、本人の手記を掲載しているのは『創』だけだ。

噛みちぎった小指の先端は紫色に変色

 その手記で話題になっているのが、1月8日の第1回公判と翌日、右手小指を自ら噛みちぎったという話だ。既に報じられてはいたが、本人が直接文字にしたものはやはりリアリティがある。本人は謝罪の意思表示として小指を第2関節から噛みちぎろうとしたのだが、予想外に関節が堅くて無理と判断したのだが、手記を見ると、噛みちぎれないとわかった瞬間に、掴んでへし折ろうかとも考えたという。法廷で暴れたと当初報道されたが、それはそんなふうに本人が格闘していたからだったわけだ。

 結局、法廷では噛みちぎるのもへし折るのも果たせないまま、翌朝、今度は第一関節から噛みちぎったわけだ。私も傷が癒えてから、植松被告本人に面会室で見せてもらったが、傷はなくなったとはいってもちぎれた部分は紫色に変色していた。彼は当初は自傷防止のためにミトンをはめられていたのだが、そのうち包帯になった。その指包帯をスポッと抜いて、植松被告は面会室で来る人ごとに見せていて、そのたびに刑務官から「それはやめなさい」と注意されていた。

  

 その自傷行為に対する処罰として、植松死刑囚は、丸々1カ月間、懲罰として接見禁止がつけられていた。初めは回復しても手紙などは書けないのではと言われたが、予想以上に回復は早く、掲載した獄中手記を始め、何度も手紙を書き送ってきた。

以下、その小指噛みちぎりの経緯を、植松死刑囚の最後になるかもしれない獄中手記から紹介しよう。手記全体はこの数倍も長いもので、関心のある方はぜひ原文をご覧いただきたいと思う。手記の冒頭の部分のみ引用する。手記は裁判に対する印象から始まる。

植松聖死刑囚の手記に書かれた小指噛みちぎりの真相

 《裁判はとても厳粛で被告人質問は心臓の音が聞こえました。考えを伝えられたのは、弁護士先生の整理されたご質問のおかげです。記者方や教授、博識な皆様から学んだ経験を生かすことが出来ました。

言葉だけでは納得が行かず「皆様に深く御詫び致します」と謝罪し小指の第2、第1関節を噛みました。「ちぎれない」とは言えないので掴んでへし折ろうと考えますが、それは引く所もあり、明日起きたら噛み切ろうと決めて就寝しました。

 目を醒ますと晴れた朝やけで「きれいだなー」と思い噛みました。爪は剥がれましたが職員方が駆けつけ、保護房に入れられます。9時まで両手を後ろで拘束され、朝食を食べると「二度とやらないよう」注意を受け、お医者さんが来るのを待ちました。噛んでるときはよく判りませんが、落ち着くと痛みが激しくなり、どうして一瞬の痛みに躊躇するのでしょう。

少したつと独房の外に人が集まる気配がしたので「いらねぇんだよこんなものッ」と心で叫ぶと噛み切れました。

 4週たっても骨は飛び出して外国の芋虫に見えますが、6週目にかさぶたと一緒に骨も取れ「慌てるとろくなことがない」とお医者さんは笑いました。

 左手に14日、右手は56日間ミトンで拘束され、1月20日に裁判のときは外されました。僭越ながらこの日、30歳になり「今日は絶対ミトンを付けない」と決めていましたが、抵抗しても16人位に押さえられ、ミトンをしてバスに乗せられます。「ミトンをするなら裁判は出ません」と伝え、なんとか外して頂きました。

長い拘留所生活でしたが、書きやすいボールペンや豊富な色鉛筆を買えるようになり、時間外の運動や本の所有制限を見逃して頂きました。御面倒を御掛けし大変な御世話になり、深く感謝申し上げます。

 1月31日から自傷行為で30日間懲罰を受けて体調を崩します。真冬に毛布無しで座らされ面会は出来ません。部屋の中でも外みたいなので、3日目に毛布は黙認頂きました。》

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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