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演出で心も健康に。「こうのとりのゆりかご」慈恵病院が外部の専門家と取り組む食の改革

三星舞編集者、ライター、フードコーディネーター
写真提供=慈恵病院

「こうのとりのゆりかご」「内密出産」で知られる熊本県熊本市の慈恵病院。全国で例を見ない取り組みゆえにマスコミからセンセーショナルに取り上げられることが多いものの、もともとは内科や小児科を診療科目とする〝普通の〟総合病院。患者のほとんどは地元の人たちで、産科では年間1600名以上の新生児が誕生している。同院は2020年から「母となった時の特別な食事を思い出深いものに」と外部の専門家とともに病院食の改革にも着手。2022年7月末にはオリジナルレシピをまとめた初の書籍「alma(アルマ)」を上梓した。

栄養バランスだけでなく心の健康にも目を向けて

 2020年にSNS上で流行したハッシュタグ「#産婦人科ご飯の写真撮ってた人見せて」。投稿された写真を見ると、簡素なものからレストランのコース料理のようなものまで多種多様。病院ごとに異なる料理内容が話題になった。産婦人科の食事内容は基本的には制限がないため、内容は病院の方針次第。慈恵病院でも2011年の新病棟オープンに合わせて病院食の改革に着手し、病院内の調理スタッフと栄養士を中心に部屋食の充実化を図った。「ホテルのルームサービスのような病院食」を目指し、レストランではなく各個室で食事を取る部屋食スタイルに。食材はできるだけ地のものを使い、新しい仕入れ先を決める際には作業場や圃場に出向いて衛生面や栽培方法も確認。味の追究にも尽力した。

写真提供=慈恵病院
写真提供=慈恵病院

写真提供=慈恵病院
写真提供=慈恵病院

 「次に課題となったのが、食事の魅せ方でした」と同院の管理栄養士室長・上田留美さん。「私自身30年以上病院給食に携わっているし、料理長も14年病院食を作っています。ですから味に自信は持っていましたが、目で愉しませる点には苦心していました」と話す。料理長の三浦克ニさんは「食べる方の体の健康のためにカロリーや栄養バランスを考えて作るのは病院食の大前提。ですが、楽しく食事をしていただく〝心の健康〟に目を向けることも大事だと考えたのです」と言い添える。そして2019年、新たな試みとして「慈恵病院は料理がすごい! プロジェクト」を始動させた。

〝魅せる病院食〟を目指し、新プロジェクトをスタート

 プロジェクトでは栄養士や調理スタッフ、看護師など院内のさまざまな部署のスタッフを総動員。また、全ての食事を大幅にリニューアルすることに決め、外部の専門家を交えたプロジェクトを発足した。出産する女性たちの多くはSNS世代。彼女たちの心を動かすためには、高級感とは異なる魅せ方のアプローチが必要だと考えたからだ。そこで『慈恵病院は料理がすごい! プロジェクト』と題し、多角的に意見を出し合いながら〝慈恵病院独自の世界観〟を求めた。

 部屋食は患者が自分のペースで食事を取れるメリットがある一方、火が使えない、調理パフォーマンスを披露することが難しいなどの制限もある。テーマを「女性が喜ぶおしゃれなごはん」に設定し、食器の選び方と盛り付け方で世界観を演出することに趣向を凝らした。

 「食事前に料理を写真に撮る患者が増えたように感じます」と上田さん。SNSでも徐々に注目を集め、病院食紹介専用のInstagramのアカウントのフォロワー数は1500人を超えた。その反響は調理スタッフの仕事への意欲を刺激し、「新しい料理に挑戦したり、休日は偵察がてら外食する職員も増えた」と三浦さんは楽しそう。プロジェクトメンバーらは、出産から退院までの時間は一生の中でも特別なひと時ととらえ、患者に1日3回の食事を笑顔で楽しんでもらいたいとの一心で日々工夫を重ねている。

写真提供=慈恵病院
写真提供=慈恵病院

写真提供=慈恵病院
写真提供=慈恵病院

いのちが誕生した瞬間の感動を呼び覚ます一冊

 プロジェクト発足から2年目の2021年、次のステップとして病院食のレシピをまとめた書籍の制作を決めた。患者からレシピを知りたいとの声が挙がるようになったからだ。産後の幸福な時間の記憶を呼び起こす一冊となるよう、レシピに加えて出産や病院にまつわるエピソードや病院食への思いもショートエッセイとして収録した。

 プロジェクトメンバーは、本が慈恵病院の別の顔をみなさんに知ってもらうきっかけとなることも願っていると話す。慈恵病院に関する報道は「こうのとりのゆりかご」「内密出産」とセンセーショナルな話題が先行しがちだが、もともとは内科や小児科を診療科目とする一般的な総合病院。患者のほとんどは地元の女性たちで、産科では年間1600名以上の新生児が誕生している。そこには新しい命との穏やかな向き合いも確かに存在しているのだ。

 書籍は7月末に上梓し、患者に無料で配布している(患者以外には1冊1100円、送料別で販売)。タイトルは「alma」。スペイン語で心、魂。ラテン語で栄養、滋養、健康の源を意味する。

写真提供=慈恵病院
写真提供=慈恵病院

 8月には病院の敷地内にテイクアウト専門店「MARIARY(マリアリー)」もオープン。病院スタッフの福利厚生を目的としての開設だが、患者や見舞客も利用できる。メニューはプロジェクトチームで検討し、病院食で人気の料理やデザートも並ぶ。病院食の改革、レシピ本の制作、テイクアウト専門店の開設。そして、「こうのとりのゆりかご」「内密出産」。あらゆる取り組みに共通するのは、慈恵病院の母と子への慈愛だ。

慈恵病院

熊本県熊本市西区島崎6-1-27

電話 096-355-6131

https://jikei-hp.or.jp

写真・文/三星舞

編集者、ライター、フードコーディネーター

雑誌「九州の食卓」副編集長を経て、フリーのエディター・ライターに。食に関する興味が旺盛で、料理と器も好き。九州中を駆け巡って各地のおいしいもので胃袋を満たしてきた経験を生かし、フードコーディネーターとしても活動中。

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