「この子の命を守りたい」避難生活では母乳が一番安全だが…【シリア危機、日本に何ができるか】
彼らは私たちと同じ人間だ
日本からシリアまで約8600キロ。大量のシリア難民が流入する欧州とは異なり、シリア危機は日本にとっては遠い国の出来事なのかもしれない。そのシリアでは408万9千人が国外に脱出、760万人が国内で避難生活を強いられている。
「難民」になった人たちは内戦が始まる前は普通に暮らしていた。医者、看護婦、弁護士、教師、大学生…。日本で暮らすあなたと同じように働き、学び、子供を育て、家族で食事を楽しんできた。
しかし、アサド政権と反政府勢力、過激派組織「イスラム国」などが泥沼の内戦を繰り広げ、欧米や湾岸諸国だけでなく、ついにロシアまで軍事介入した。4年8カ月に及ぶ内戦で死者は30万人を突破したとの統計もある。
命が脅かされている難民を支援するのは人道上の責務である。
安倍晋三首相は国連演説で「シリア、イラクの難民、国内避難民に向けた支援を一層厚くする。今年は8.1億ドル(約974億円)で昨年実績の3倍となる」と強調した。ドイツなどに向かう難民ルート上のセルビア、マケドニアなどに約250万ドル(約3億円)を提供する。
しかし、難民支援団体や国際人権団体から求められていた難民の受け入れについては言及しなかった。日本は難民の受け入れについて消極的だ。同質性が極めて高い日本社会は「和」を何よりも尊ぶ。しかし、その一方で「和」を乱しかねない異分子には排除の遠心力が働いているかのようだ。
「難民は厄介だ」「難民は物騒だ」「ニセ難民もいる」「実は経済移民だ」「『イスラム国』の戦士が紛れ込んでいる恐れがある」――。こんな論調は欧州のメディアだけでなく政治家も声高に叫んでいる。
シリア難民について語る前に、シリア難民の話に耳を傾けてみようとは思いませんか。遠くから見ているだけでは分からない。近づいてみれば、彼らが自分たちと何一つ変わらない人間であることに気づく。
中東・北アフリカで長年、国際支援活動を続けてきた田邑恵子さんがおくる、悲しくも心温まるシリア難民の食卓リポート。
シリア難民の出発ターミナル
[イズミル発、田邑恵子]エーゲ海沿岸、トルコ屈指のリゾート地イズミルは今や対岸のギリシャを目指すシリア難民の出発ターミナルと化している。
おしゃれなシーフード・レストランや水タバコを燻らせるカフェのすぐ隣では、ゴムボート、エンジン、救命胴衣、給水タンクなどを売る店が軒を連ねる。路上には中古の携帯、ソーラーパネル、防水ケースなどを段ボールの箱に載せて売るにわかの物売りがひしめき合っている。
カラフルな厚手のゴム風船は、子どもが遊ぶためではなく、ゴムボートで地中海を渡る時に携帯や現金を水から守り、あるいは、万が一の時には浮き輪代わりに使われる。
スーパーではフライパンを積み上げたワゴンの隣で、サーファーが使うような防寒下着、水陸両用靴が売られている。
トルコ語で表記されたレストランのメニューの上には手書きのアラビア語が併記されている。路上を歩いていると何人かの男たちが「全員で5人だな?」「それに赤ちゃんが1人」と密航のための交渉をしている会話が実に簡単に耳に入ってくる。
普通の暮らしと逃避行の準備が、まったく隣り合わせで展開されている。
大きなリュックサックを背負い、旅の必需品を品定めする一家、古びた救命胴衣を2つ抱えて坂道を上っていく老夫婦。
子供用の救命胴衣の代わりにするためか、プールで着けるベスト型の浮き輪や腕につける浮き輪も売られているが、あんなちゃちな作りでは、とても海上を2時間も浮いていられないだろう。
救命胴衣を見つめる少女
この観光都市の一角だけが、まるで旅の用意が全部揃うショッピングモールと化してしまっているようだ。
路上にはホテルに泊まるお金のない多くの難民が寝泊まりしている。24時間営業のカフェやレストランで時間を潰し、夜を明かす人もいる。
モスク(イスラム教の礼拝所)の周囲にはたくさん人がいるけれども、特に配給などの支援があるわけではなく、夜にはモスクの門も閉められてしまう。中で眠ることはできない。エーゲ海沿岸であっても、夜間は大分冷え込むようになってきた。
回収されるのを待つ路上のゴミの中にスーツケースがあった。持ち主は荷物を入れ替え、ギリシャへの危険な航海に旅立ったのか。
予想していたとは言え、余りに現実的過ぎる風景にやり切れなさだけが募った。シリア人、トルコ人に関係なく、誰も彼もがこのチャンスに乗っかって利益を手に入れようとしている。
救命胴衣を見つめていた女の子は自分がそれを着けて海へ入る運命にあるかもしれないことを知っているのだろうか? ゴムボートを売っている店主は、自分の売ったボートの一つが沈んでしまったらと考えないのだろうか?
路上を歩きながら、そんな考えだけが私の頭の中をぐるぐる回っていた。
ティッシュ売りの稼ぎは1日450円
シリア人街と化した辺りをちょっと離れ、観光客が訪れるレストランやカフェから遠くない路上に、ラニヤさん(仮名)は赤ちゃんと毎日夜12時まで座って過ごす。
もともとはシリア南部ダラアの出身だけれど、旦那さんと2人の子どもと一緒にトルコに逃れてきた。今は市内に小さい部屋を借りているけれど、キッチンはない。普段の食事はサンドイッチなどでしのいでいるが、シリアで暮らしていた頃のようには料理をすることができないでいる。
今は路上でティッシュを「売る」仕事をしていて、大体1日に10トルコリラ(450円程度)ぐらいの現金を手にする。旦那さんは仕事を探しているけれど、まだ見つかっていない。
イズミルには来たけれど、彼女の家族はギリシャへ渡る予定はしていない。「怖くてできない」と彼女は言う。
シャシャリークを作れない日々
シリアに住んでいた時は他のシリア人家庭と同じようにヘルシーなご飯を作っていた。野菜や果物、毎日違うご飯を作った。イスラム教のお祭りには、彼女の大好きなシャシャリーク(小さい餃子のようなものをスパイスやミントで味付けしたヨーグルトスープで煮た料理)を作った。
でもトルコに来てからは、そんな料理は作ることができないでいる。
1カ月ほど前、彼女は2歳になる娘を亡くした。ひょっとすると自分が買って与えたミルクが悪かったのかもしれないと彼女は後悔している。病院に連れていったけれど、娘は息をしなくなってしまった。彼女は携帯の写真を見せてくれた。ピンクの服を着た、巻き毛の女の子が笑顔で写っていた。この世にはもういない。
ラニヤさんは「今はもう怖くて、残った赤ちゃんには母乳しかあげていない」と言う。
シリア内戦が始まる前、シリアのお母さんたちは粉ミルクを使うのが一般的で、母乳は人気がなかった。栄養素などが追加されている粉ミルクの方が赤ちゃんには良いと皆、信じていたからだ。
避難生活での粉ミルクの危険性
キャンプや移動中であっても、母親たちの多くは粉ミルクの支給を希望するけれど、実は、それが赤ちゃんを危険な目に遭わせる可能性があることはあまり知られていない。
ミルク瓶の消毒がきちんとできていなかったり、粉ミルクを溶くための安全な水が手に入らない場合は、母乳が一番安全なのだ。
彼女に赤ちゃんのためには母乳の方が良くて、「あなたの決断は正しい」と伝えたけれど、彼女自身が栄養のあるものを食べていない今、どれくらいの期間、母乳がきちんと出続けるのと私は自分に問い返した。
イズミルから戻った後に調べたら、昔の日本では母乳がでないお母さんたちはご飯を炊いた時にできる重湯や米のとぎ汁を赤ちゃんに与えて代用していたそうだ。これをラニヤさんに伝えてあげられれば良かったと悔やんだ。
(つづく)
このシリーズでは、シリア人の食卓を通じて彼ら1人ひとりの素顔を紹介していきたい。
田邑恵子(たむら・けいこ)
北海道生まれ。北海道大学法学部、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス大学院卒。人口3千人という片田舎の出身だが、国際協力の仕事に従事。開発援助や復興支援の仕事に15年ほど従事し、日本のNPO事務局、国際協力機構(JICA)、国連開発計画、セーブ・ザ・チルドレンなどで勤務。中東・北アフリカ地域で過ごした年数が多い。美味しい中東料理が大好きで、食に関するアラビア語のボキャブラリーは豊富。